3:学院編:ボッチゴリラとデカパイ
グリザネア半島の真珠。
マーセルヌ王国王都ルナルダンはそう讃えられている。
重厚な内郭と外郭の二重防壁に石造りや煉瓦造りの建物が並ぶ。大通りや港湾部は活気に溢れていた。まあ、三流和製ファンタジーにありきたりな歴史的背景や地理的文化性を欠くテンプレートな欧州風の街並みだ。美しいが、作り物の印象を拭えない。
そして……この王都の繁栄振りは虚飾に過ぎない。
マーセルヌ王国は腐りきっている。暴君と佞臣による悪政。特権階層の横暴。官吏の腐敗。法の不正義と不公正。人心の荒廃。経済の不況。産業の不振。叛徒の跳梁跋扈。貧困。退廃。堕落。不実と不道徳に不品行。その中核たる王都ルナルダンは魑魅魍魎が蠢く万魔殿であり、百鬼夜行が練り歩く魔都である。
近現代南米か冷戦期アフリカ辺りの失敗国家そのもの。救いようがない。
この無惨なるマーセルヌ王国王都ルナルダンに、エリート育成機関の王都学院はあった。
ちょっとした大学並みに大きな敷地とやたら豪奢な新古典主義的校舎と学生寮。通う生徒達は和製アニメ的デザインの制服を着ており、女子は当然のようにスカート丈が短く生足を晒している。史実欧州の中近世なら娼婦だってそうそう表で生足は晒したりしないが……野暮なこたぁ良いんだよっ!
ゲーム的事情から学院生は従士や従卒を連れて生活はできない。また、最低位階の一代貴族だろうと王族だろうと、学院では机を並べて学び、同じ釜の飯を食い、訓練では等しく殴り合う。和製サブカル的平等教育観に溢れている。
そんなツッコミどころ満載の王都学院へアイヴァンが入学から三カ月。
アイヴァン・ロッフェロー君。絶賛ボッチ中。
男爵家家督相続人アイヴァン・ロッフェローはすっかり変人で知られていた。
授業態度は真面目だが、級友達と慣れ親しむことは無い。相手の位階が上でも下でも、分け隔てなく付き合いも悪いし、愛想も悪い。その二メートル近い上背から冷たい目で見下してくる。怖すぎて誰も近づかない。
そんなわけで、アイヴァンの評判はよくない。
ただ、オヤジが叛徒に殺された一件はそれなりに知られているようで、『父親を殺されたことで色々大変なのだろう』と勝手に慮っている。
そうした背景を抜きにしても、空いた時間も休日も遊びに行くこともなく、延々と体を鍛え、訓練場で武技を練り、飯時にトロールの如く大食する様――
飯食って体鍛えて、牛乳飲んで技鍛えて、飯食って体鍛えて、牛乳飲んで技鍛えて……
――という一人で一個師団の価値がある男みたいな生活を送る十代は、変人に過ぎるだろう。
だが、これはアイヴァンなりに“緻密な計算”があった。
ゲーム本編で無様な小悪党としてくたばったのは、ゲーム本編の関係者に関わったがためだろう。そも腐敗しきった国だ。木っ端悪役貴族に足りえる薄らバカは、ゲーム本編中のアイヴァンに限らない。
つまり、アイヴァンは本来なら自分が担うであろう木っ端悪党の役回りを、余所の薄らバカに押しつけようと企図していたのだ。その結果、別の誰かが惨めに命を落とすかもしれないが……頭のネジが外れ続けて16年のアイヴァンが今更、そんな“みみっちぃ”倫理観に囚われるわけもなく。
くくく。だーれがくたばろうと知ったことかっ! 俺は悪役だからよぉ、せいぜい他人を利用させてもらうぜェっ! この俺の復讐のため、尊い犠牲になるが良いわぁっ! むふふふ、ふははははははっ! はーはっはっはっはっ!
学生寮の隣人:まーた何かぶつぶつ言ってる。こえーよ。アイツこえーよ。
〇
さて、学院入学から三カ月もすると、武術や魔導術の実技にも対戦形式が導入される。「あの筋肉ゴリラが本当に強いのかどうか見ものだな」と意地悪な声も散見した。
アイヴァンは訓練用全身甲冑を着込み、刃を潰した訓練剣と盾を持って競技線の中へ足を入れる。
相手は子爵家次男坊、ゲーム的に言えば、モブだ。
始め、と審判役の教官が告げると、アイヴァンは構えを取ることなく、ずんずんと無造作に距離を詰めていく。
なめやがって、と子爵家次男坊が兜の中で青筋を浮かべる。いくら体躯と膂力に秀でているからといって、構えもせず、距離を詰めてくるだと? 馬鹿に、するなっ!
子爵家次男坊が怪鳥染みた雄叫びを上げ、片手剣を振り上げて切りかかる。
アイヴァンは蠅を払うように容易く次男坊の剣戟を払いのけた。
実にあっさりとした動きだったが、次男坊に伝わった衝撃は強烈だった。次男坊は大きく大勢を崩しながら『ああんっ!?』とゲイ・ポルノみたいな悲鳴を漏らす。
瞬間、イラッとしたアイヴァンがしっかり踏ん張り、腰に力を入れ、盾で伯爵次男坊をぶん殴った。
どかん。
交通事故みたいな音色が訓練場に響き、子爵家次男坊が『きゃいんっ!?』と子犬みたいな悲鳴を上げて競技線の外へ吹き飛び、壁際までボールみたいに跳ね転がった。
そのあまりにもあんまりな事態に訓練場が静寂に支配される。
「い、医者っ! 医者だっ! 医務室から医者を呼んで来いっ!」
我に返った教官が慌てて叫ぶ。そりゃそうだ。撥ね飛ばされた子爵家次男坊がピクリとも動かないもの。まあ流石に死傷はしていないだろう。アイヴァンも手加減したし。
アイヴァンはつまらなそうに鼻を鳴らし、競技線の外に出ようと踵を返す、と。
「待たれよ。貴殿、強いな。是非とも一手勝負願いたい」
茶髪のポニーテールを三つ編みにした長身の美少女がずいっと競技場に入ってきた。訓練用甲冑にぎゅうぎゅうと押さえ込まれてもなお、自己主張が強い胸の持ち主だ(F……いや、G? Gか?)。
名門アイトナ伯爵家長女エルズベス・フォン・アイトナ。
凛とした眉目の秀麗なエルズベス嬢を前にし、アイヴァンは顔を覆う兜の中で密やかに毒づく。
やめろ近づくな。俺が死ぬ。
この尻が弱そうな長身巨乳ポニーテール娘は、ゲーム本編の来年に入学してくる正ヒロインA:王家の末姫の友人にしてサブヒロインの一人。女騎士――正確にはヒロインAの近衛になろうとしているため、シナリオ主筋にもガンガン絡んでくるメインキャラである。
現在、学院には他にも幾人か主人公の先輩キャラやシナリオ関係者として男女のネームドもいるが、エルズベスに比べれば脇役も脇役。シナリオ分岐次第では、ストーリーから排除される手合い共だ。下手に関わらなければ危険性も低い。
だが、このエルズベスはとってもデンジャラス。知己を得るだけで自動的に主人公にも関わってしまうはずだ。アイヴァンにしてみれば死神の胸に飛び込むようなもの。牙門旗のようなデカい死亡フラグがはためいてしまう。
生存確定まで絶対に避けて通りたいところだが……何の因果か同級生。おのれ、クソ神。許すまじクソシナリオ。
アイヴァンは内心で世界を悪罵しつつ、素早く思案する。
断ることは確定事項。メインキャラのサブヒロインなんぞと関わりたくもない。だが、どう断るか。高圧的に断って反感を持たれても後々悪影響をもたらしかねない。下手に友好的な調子で関わるのも恐ろしい事態を招きそうだ。
ここは平易な口調と理屈で押そう。アイヴァンは告げた。
「これは学級の授業だ。貴女も今日の相手は決まっていよう。いずれの対戦を待たれよ」
「むむ」
エルズベスは断られると思っていなかったのか、眉間に皺を刻む。そして、良いアイデアを思い付いたと言いたげに口元を吊り上げる。
「貴殿と戦った後、今日の相手とも戦う。それで問題解決だ」
二回も戦えてお得、みたいな顔をするな。デカパイめ。
アイヴァンは兜の中で眉をしかめる。
ゲーム本編のエルズベス嬢は冷静沈着な見た目とは裏腹に意外と脳筋キャラで、度々腕力による解決案を提示し、ヒロインAや主人公に呆れられるシーンがある。まぁ、主人公の智謀溢れる作戦(笑)を「すごいっ!」と讃えるヨイショキャラの一人だから、でもあるが。
「いや、だから―――」
アイヴァンがなおも断ろうとするも、エルズベス嬢は兜を被り、がしゃりと鎧を鳴かせて構えた。意気軒昂に叫ぶ。
「さあ、いざ勝負ッ!」
人の話を聞いて。お願いだから。
アイヴァンには無視して立ち去ることも出来た。
が、級友達の目は明らかに勝負を期待しており、ここで退くことを許さぬ無言の同調圧力があった。ここで勝負を避けようものなら、どんな陰口が叩かれるか分からない。
悪役貴族たらんとする者が『女から逃げた腰抜け』呼ばわりもよろしくない。
あああ、もう仕方ねェなあ。目ェ付けられねェ程度にあしらうか。
アイヴァンはおもむろに盾と剣を構えた。
〇
ゲームの設定上、モブキャラとネームドキャラには明確な差別化が図られる。
それはシナリオに関わるとか、固有グラフィックが与えられるとかの扱いに加え、ステータス面でも大きく異なる。たとえば、ネームドとモブではパラメータの上昇率が段違いという例もある(旧版タクティ〇オウガとか)。
アイヴァンは知らない。
『黒鉄と白薔薇のワーグネル』ゲーム本編に置いて、『演出素材』の木っ端悪党アイヴァン・ロッフェローとメインキャラにしてサブヒロインのエルズベスでは、基礎ステータスもパラメータ上昇率も段違いだと。というか、ゲームにおけるステータス上のネームドキャラに対する優遇振りは“恐ろしいほど”だということを、アイヴァンは知らない。
それは和製創作物にはよく登場するアレだ。たとえば、枯れ木みたいな体つきの小娘が、自身の体重をはるかに上回る重量物を軽々と振り回すような馬鹿馬鹿しさ。
この世界はそんな不条理がまかり通るのだ。
ゆえに――
エルズベスはアホみたいに速かった。全身甲冑を着込んだ少女とは思えぬ迅雷の投足。次いで、繰り出される雷光のような剣閃。
斬撃と盾が激突する轟音がつんざく。
盾と全身甲冑と分厚い筋肉を貫いて体の芯まで届く衝撃。身長2メートル近くあり、体重と甲冑で100キロを超えるアイヴァンが思わずたたらを踏み、大きく姿勢を崩す。
「ぬああぁっ!?」
思わずアイヴァンが吃驚を上げ、即座に血が沸騰した。
ふざけんな、ふっざけんな、ふっっざけんなぁっ!! 10年掛かりでこさえたこの身体を、こんな細っこいデカパイ女が凌駕するだとっ!? クソゲー世界めぇえええああっ!!
もはや戦う前のテキトーにあしらうなどという気分は吹き飛んでいた。この世界に対する壮絶な憎悪と怨恨が一瞬でアイヴァンの戦意をレッドゾーンまで引き上げる。
しっ! と鋭く息を吐きながら、エルズベスが返し刀で追撃の一刀を振るう。
迫る一刀。アイヴァンはコンマ一秒に満たない時間の中、”選択”と”決断”を行う。
盾――間に合わん。剣もダメだ。重くて振りが遅れる(片手剣は2~3キロ+腕に付けた金属製防具の重量)。なら、体ごとだ。
アイヴァンは体勢を崩したまま強引に“前”へ突進。距離を詰めた。エルズベスの斬撃が最高速――最大威力に達する前に、甲冑の防御力と自身の質量で押さえにかかる。
エルズベスの斬撃がアイヴァンの右肩口を打つ、が、アイヴァンが深く間合いに踏み込んだことで、その一撃は速度が乗り切らず、また打擲面が刀身半ば辺りの“根打ち”だった。これではたとえ真剣でも有効打にならない。
ちぃ、とエルズベスは舌打ちしつつ、純粋な体格勝負になる鍔迫り合いを避けるべくバックステップを図る。
アイヴァンがエルズベスを逃がすまいと、咄嗟に剣を“捨て”る。
金属甲冑を着込んで片手剣を振るうことは、腕に錘をつけて2~3キロの鉄パイプを振るうようなもの。肉薄距離で“最高速度の攻撃”を出すなら、剣は邪魔だ。
それに、アイヴァンの武器は剣”だけ”ではない。
速度を得たアイヴァンの太く長い右腕が、エルズベスの甲冑襟元をがしりと掴み、
「おんどりゃあああっ!」
狂獣のような咆哮と共に腕一本で全身甲冑を着込んだ人間をその場に投げ倒す。なんという圧倒的膂力。ゴリラだ。ゴリラがいるぞ。
背中から床に叩きつけられたエルズベスが、『きゃあっ!?』と可愛い悲鳴をこぼし、アイヴァンがトドメの右拳を大きく振り上げた。
籠手とは防具であり、メリケンサックのような打撃武具である。それこそ驚異的膂力を持つアイヴァンに掛かれば、籠手は撲殺武器と同じだ。
このまま事故に見せかけて殺すッ!! 死ィねェ、メインキャラァアアッ!!
後先のことを一切考えず、ただ熱烈な狂気に暴走したまま、アイヴァンがその右拳を振り下ろ――
刹那。
叩きつけられた衝撃で緩んだエルズベスの胸甲の留め具が、バキン、と鳴いた。直後、押さえ込まれていた自己主張激しい乳房が最大瞬発力で胸甲を撥ね飛ばす。
撥ね飛んだ胸甲がちょっとした速度でアイヴァンの顔面を打つ。
兜と胸甲が激突する金属音。
「!? なんじゃああっ!?」
予期せぬ妨害に驚くアイヴァン。
「得たりっ!!」
奇貨の隙を逃さず、エルズベスは身を起こしながら切り上げ胴貫きを放つ。
「ぐほぉっ!?」
峻烈な衝撃が胴甲と腹筋を貫き、内臓と脊椎を打ちのめし、アイヴァンの意識を刈り取った。
狂獣が顔面から崩れ落ち、胸元だけ鎧下服を晒す少女騎士が勝利の剣を掲げた。級友達の大喝采と称賛と拍手が訓練場に響き渡る。
アイヴァン・ロッフェロー、デカパイに敗れり。
クレクレ中です('ω' )