11:学院編:だけど、僕は謝らない。
お待たせしました。
「誤解だ。俺は組みついてから鎧通しで滅多刺しにするつもりだったんだ。女王ナメクジのおっぱいを揉みたくて抱きついたわけじゃねェよ」
「嘘だぁ。突撃する時、ボス自身が叫んでたじゃないスか。おっぱい揉むぞって」
「バッカ、お前らの緊張を解いてやろうっていう心遣いだよ。言葉の裏を読め、言葉の裏を」
「うっそだぁ」
頭の悪い会話を交わしているのは、幼獣団の頭目アイヴァン・ロッフェローとその団員達である。
「で、ボス。結局のところ、女王ナメクジのおっぱいはどうだったんです?」
「そうだな。恥も外聞もなく言うとな……凄く良かった。もっぺん揉みたい」
そのやりとりを聞いた副長アーシェが、汚物を見るような目をアイヴァンへ向け「しね」と吐き捨てた。
女王ナメクジとの死闘以来、団員達の反応は二分している。
A)ボスはヤベェ人だ。どんなバケモンでもビビらず突っ込む漢だ。
B)ボスはヤベェ人だ。どんなバケモンでも見境なく襲う変態だ。
前者は野郎共が主で、後者は娘っ子達が主だった。
特に一部の女子団員達はアイヴァンから距離を取るようになった。露骨に『変態だ。超変態だ』とか『近づいたら犯されそう』とか毒づく者もいる(それでも彼女達に幼獣団を辞める気はない。変態ゴリラが頼れるボスなのも事実だからだ)。
『女王ナメクジを手籠めにした男』などという恥と畏怖を備えた二つ名は王都学院にも届いており、教師達からは『大丈夫か……?』と本気で心配され、学院生達からは異常者を見るような目で見られることが激増。デカパイ・エルズベスからは『年頃の男子にそ、“そういう”欲求があることは知っているが、人間性まで無くしてはいかんぞ』と忠告を受けた。
流石のアイヴァンもこの状況に顔を引きつらせる。
なんてこった。これじゃシナリオを引っ掻き回す大悪役じゃなくて、ネタ系超イロモノじゃねーか。
残念ながら既にネタキャラである。
で。だ。
件の醜聞が広まって数日後、アイヴァンが寮の食堂に入ったところ、
「貴様が貴族の面汚しか。なるほど、人間の女よりモンスターの尻を好みそうなナリをしている」
わざわざアイヴァンへ喧嘩を売りに来るアホが現れた。
いや、この場合、彼の言い分は妥当かもしれない。なんせアイヴァンの風評は『女王ナメクジを手籠めにした男』。なるほど、確かに貴族の面汚しである。
「あ?」
取り巻きを連れた爽やかイケメン野郎に罵声を浴びせられたアイヴァンは、既に青筋を浮かべていた。
「なんだ、モヤシ共。喧嘩売ってんのか?」
「図に乗るな下郎っ! この御方をどなたと心得るかっ! 王家閨閥ル・モラデイオン公爵家の御令息ジャン様ぞっ!」
取り巻きが喚き、ジャン某が胸を張ってふんぞり返る。
高位大身貴族の倅と分かった瞬間、アイヴァンは『へへえ』と愛想笑いを浮かべ、巨躯を屈めて揉み手をする。他の寮生達がその卑屈さに思わず顔をしかめた。
格好悪いと笑いたければ笑え。アイヴァンは男爵家推定相続人。現状、爵位すらない。前世、センパイというだけで威張り散らすパープリンや能無しの上司やクソッタレの取引相手に散々頭を下げてきた。王家閨閥という“肩書”に頭を下げるくらい屁でもない。
「モンスターを手籠めにするような知恵足らずだが、身の程は弁えているようだな」
ジャン某は取り巻きと共に嘲り笑い、処世術の愛想笑いをしているアイヴァンへ侮蔑の眼差しを向け、言った。
「貴様の愚行のせいで王国貴族全てが迷惑している」
「へへえ」
アイヴァンは深く頭を下げた。
一見、詫びているようにみえるが、謝罪の言葉は一つも吐いていない。
吐くわけがない。謝罪するということは非を認めることであり、非を認めれば、賠償だのなんだのタカられる言質になってしまうのだ。
だから、アイヴァンは謝罪の言葉など吐かない。頭を下げて心の中で舌を出すだけだ。これもまた処世術である。
そのことに気付かないジャン某は床を差して言った。
「この場でひざまずいて我らに詫びろ。我ら王国貴族に迷惑をかけたことをな。木っ端男爵家の恥晒しでも、それくらいは出来よう」
「――あ?」
瞬間、アイヴァンの顔から愛想笑いが消え、その背筋をまっすぐ伸ばしてジャン某と取り巻き達を見下した。
「今、ロッフェロー家を侮辱したか? 王家直参男爵家たるロッフェローを貶めたのか?」
その態度と物言いに、取り巻きが眉目を吊り上げ、アイヴァンに食って掛かる。
「貴様、たかが男爵家風情が――」
ごん。
食堂内に鈍い音が響いた次の瞬間、取り巻きの一人が食堂の長机の上をがーっと料理皿を薙ぎ払いながら滑っていく。
たくさんの食器が床に落ち、料理がばらまかれ、寮生達の悲鳴と怒声が食堂内に響く。殴られた取り巻きその1は、左の顎と頬骨が砕け、白目を剥いていた。
食堂内全員の視線を浴びながら、アイヴァンは言った。
「決闘開始だ、クソ共。お前らはロッフェロー家の名誉を貶めた」
刹那、食堂内に驚愕の静寂が降りた。
現貴族界の常識として位階の高低、身代の大小はとても重い。そうした位階差による不条理と理不尽を甘受する。それが不文律であった。
なのに、この筋肉ゴリラは公爵家令息に決闘を宣言している。
異常事態。
まさに異常事態だった。さながら本編主人公の所業だ。が、頭に血が昇ったアイヴァンはそんなこと綺麗さっぱり忘れている。
ロッフェロー家を、心優しい亡き祖母や病床の祖父を侮辱されたという時点で、アイヴァンはこのクソガキ共をぶちのめすこと以外、どーでも良かった。
泡食ったジャン某がアイヴァンを指さしながら喚く。
「き、貴様、僕が誰か分かっているのかっ! 僕はル・モラデイオン公爵家の――」
「知ったことか」
アイヴァンは大きな拳をミシミシと強く握りしめながら、冷笑する。
モラなんちゃら? 知らねえな、そんな“モブ”は。
ゲーム本編に関わる人間にはとことん慎重になるが、そうでなければ、何を気にすることがあろうか。
公爵家に喧嘩を売る? だから? どうせじきに内戦でめっちゃくちゃになるんだ。知ったことじゃねぇんだよ。
そもそもよぉ。
俺は悪役貴族だぞ。
「お前らはロッフェロー家を貶めた。その屈辱をお前らの悲鳴と血で雪がせてもらう」
下手なモンスターより凶悪な薄笑いを浮かべ、アイヴァンは一歩踏み出した。
「ひっ!?」
ジャン某は恐怖し、ようやく理解する。
こいつに喧嘩を売ってはいけないと。いや、関わってはいけないと。
残念ながら、理解が遅すぎた。
彼らの不幸は、アイヴァン・ロッフェローが腐れ邪神(アイヴァン談)との邂逅で、頭のネジが何本も引っこ抜かれた狂人ということを知らなかったことだろうか。まあ、知る方法など無いけれど。
ル・モラデイオン公爵家の三男坊とその取り巻き達は、周囲が止める間もなく一瞬で半殺しとなった。
駆け付けた寮監や職員が何事かと詰問するも、アイヴァンは薄笑いと共に『ちょっとした御ふざけですっ! 寮仲間として親睦を深め合いましたっ!』とシロー・ア〇ダみたいなことをのたまう始末。これには寮生達もドン引きである。
ジャン某と取り巻き達は死にはしなかったし、回復魔導術や回復薬ですぐに治療できた。そのうえで、彼らはこの日、貴重な体験をした。
拳で頬骨や顎を砕かれ、鼻を潰される苦痛体験。圧倒的暴威に成すすべなく蹴散らされる恐怖体験。そして、頭のおかしい奴に関わったらどうなるかという人生体験。
彼らはちょっぴり大人になった。
まあ、根本的な元凶はアイヴァンの愚行と醜聞が招いたことなのだが。
ともあれ、アイヴァン・ロッフェローは学院内でますますボッチ傾向を強めることになった。クランのメンバーですら、学院内ではまず近づかない。
当然だわな。
★
「公爵家に喧嘩を売るとかさ、バカなの? ねえ、バカなの?」「イカレてる。マジでイカレてる」「この脳筋暴力野郎っ!」「どーすんのよっ! あんたの一派と見做されて巻き込まれたらどーすんのっ!」「謝ってっ! 迷惑かけた私達に謝ってっ!!」
アーシェを始めとする学院生の団員達が怒声と罵声を浴びせてくる。
「公爵家のガキってボスより偉いのか? ボスは男爵様なんだろ?」「知らね。副長や班長達が慌ててっからそうなんじゃね?」「やっぱボスはヤベェな」「逃げるか?」「稼げるうちは様子見だな」「ヤバくなったら見捨てるべ」
平民の少年少女団員達はドライだった。そういうつながりだからね、しょうがないね。
団員達にぎゃーぎゃーと糾弾されたアイヴァンは、
「うるせーっ! そこは団員として『公爵家と喧嘩になったら助太刀します』くらい言いやがれクソ共がっ!!」
逆切れした。
「バカじゃないの?」「死ぬなら一人で死ねっ!」「ざけんなっ! ざっけんなっ!」「あんたと心中なんて出来るかっ!!」「謝って早く謝ってッ!!」「ボス、それは無いっス」「無いです。逃げます」「金を出すなら考えます」「払いは前金で全額おなしゃす」
団員達から更なる非難を浴び、アイヴァンは舌打ちしてその場から遁走した。
普通は問題解決に奔走するところであるが……アイヴァンが向かった先は高級娼館だった。
とりあえず鬱陶しい現実から逃避しようという訳だ。こいつ、自分が16歳の悪役貴族だって忘れてないだろうか。
「お、若旦那。今回は良かったでしょう?」
歯の黄色い客引きがにやにやと声を掛けてきた。アイヴァンは仏頂面を返す。
「また話と違うじゃねェか。何がボンキュッボンだよ。ボンボンボンだったぞ」
「ええ……ほならなんで朝までコースに切り返えましたん?」
★
危惧した公爵家の報復は起きず、平穏な日常が続くアイヴァン・ロッフェロー16歳の冬。
ゲーム本編において、“本来”のアイヴァンがどのような学院生活を送っていたのかは不明だが、間違っても筋肉ゴリラではなかっただろうし、周囲と最低限の関わりしか持たないボッチ野郎ではなかったと思われる。
アイヴァンは見た目が脳味噌の芯まで筋肉で出来て良そうなゴリラであるし、醜聞を信じるなら女体ならモンスターでも襲う変態であるし、高位貴族の令息をぶちのめす暴力男である。
が、王都学院生アイヴァン・ロッフェローは優等生とはいかないまでも、充分に成績優良者だった。見た目と風評を除けば、立派なエリートである。見た目と醜聞、悪評を除けば。
そんなアイヴァン・ロッフェローはもっぱら学院生活が雑だった。
なんせクランの運営に忙しい。
飢渇した野犬の如き団員達はアイヴァンに懐いてはいたが、両者の関係性にある根っこは損得勘定。ゆえに、アイヴァンは団員達を稼がせるため、日々クランの運営――ダンジョン潜りの計画案、団員達の人件費、装備や練度、技能の強化等々に奔走しなければならなかった。
平たく言えば、アイヴァンは自転車操業の小規模経営者と大差ない。夜逃げも出来ない身の上を考えれば、より悪いかもしれない。
年末が迫った頃、アイヴァンの忙しさには拍車が掛かっていた。
というのも、年末年始はダンジョンが封鎖されるからだ(そりゃ冒険者組合だって年末年始くらい休みたい)。
これに困ってしまうのが、ダンジョンで食い扶持を稼ぐ貧乏人共だ。
稼ぎの機会が減ることが生活を直撃する彼らは、年末年始の封鎖期間前に少しでも稼いでおかないと、悲惨な年越しを迎える羽目になってしまう。
なので、アイヴァンはダンジョン潜りの計画を練らねばならないのだが、腐っても男爵家推定相続人である。年末年始は方々に挨拶回りやらなんやらをしなくてはならない(そして、挨拶回りの先で醜聞や公爵家との一件で御叱りを味わうことに)。
アイヴァンはとにかく忙しかった。
「俺は御貴族様だよな……? 底辺ブラックのクソ社畜じゃねえよな……?」
「何言ってんだか分からないけど、ちゃきちゃき予定組んでさっさと計画立ててよ」
アーシェが鞭で馬車馬を引っ叩くような言動を浴びせる。
かっちーん。ときたアイヴァンはアーシェにメンチを切りながら悪態を吐く。
「おめぇはよぉっ! いたわりってのがねェのかよっ! 先天的に優しさが欠けてるんですかぁっ!? 手伝ってあげようかとか、ちょっとおっぱい揉む? くらい言えないんですかぁっ!?」
「何言ってんの? バカじゃないの?」
この世で最も劣った存在を見るような目を向けながら、アーシェは吐き捨てた。
これもまた妥当な反応であろう。
〇
さて、アイヴァン・ロッフェローにとってモブを数人、半殺しにしたことなど些事だ。
が、ル・モラデイオン公爵家にとっては一大事である。三男坊とはいえ、公爵家令息が数人掛かりで木っ端貴族の子倅一人にぶっ飛ばされたのだ。恥も恥、大恥である。
恥は雪がねばならない。
学院に圧力をかけて退学に追い込んでやろうか。ロッフェロー男爵領の流通に圧を掛けて領の経済を破綻させてやろうか。あるいは、刺客を送り込んでぶっ殺してやろうか。
そうだ。件の筋肉小僧はクランを率いてダンジョン潜りをしているというではないか。
ル・モラデイオン公爵家の報復は決定した。
その変態筋肉ゴリラ小僧をクラン共々、モンスターの餌にしてしまえ。




