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数分後、俺は芥山の元へと帰ってきていた。とりあえず頭からの流血で目が見えにくくなっていたが、何とか手探りで辿り着けた。
惨敗だ。ぐうの音も出ないとはこのことだ。完全にしてやられた。正しくタイトルの通りだ。「迷走するオマエ」。オマエとは作中の誰のことでもない。読者自身のことを指していて、かつ、この場合は思い込みで勝てる算段を組み立てていた俺、「京川春彦」のことも指していたのかもしれない。このゲームが始まる前から、いや、誘いをかけたときから、こうなることを読んでいたのだとすれば、やはり恐るべし、天才・芥山文楽郎。
「全部、わかっていたのか」
俺の問いに彼は軽く首を振って見せた。
「まさか、そんな神のような所業、可能なはずがなかろう。わかっていたのはゲームの勝者は自分、ということだけだ」
参った。あるいはそれしか信じていなかったからこその勝利なのか。案外、文才とは非常にシンプルなものなのかもしれない。
陽は傾き、橙色の世界が更に色濃く、鮮やかさを増していった。終焉は近い。
俺は大人しく椅子に座り、残りの数ページを読みきった。最後の「完」を心の中できっちりと発音し、天井を仰いだ。
「ああ、負けた。完敗だよ芥山。やはりおまえは天才だ」
「いいね、悪くない。聞こえのいい言葉だな、天才とは」
そう凛々しく受け答える彼は、憎たらしくもあり、同時に誇らしく思った。
さあ、と言いながらゆっくり立ち上がる芥山。どうやら彼も読み終えたらしい。
「ゲームは私の勝ちだが、京川よ、おまえの作品も実に読み応えのある良作だった」
よしてくれ、と俺は手を振って見せた。照れ隠しではない。負けは負け。いくら文学は勝ち負けでないと言われたところでこの事実は覆らないのだから。
「謙遜するな。負けたから全てが無為というわけではなかろう。ああ、京川よ、そこでだ。俺は勝利というご褒美をもらった。代わりに、俺がおまえの願いを叶えてやろう」
一瞬何の話だと思ったが、何のことはない、ただのお戯れだ。
「願い、願いか……」
辺りを見回しながら思考する。叶えたかった願いは既に叶えてしまったから、取り立てて芥山にお願いすることはない。
ジュースでも奢ってもらおうか、そう思いながら彼の姿と俺の体とを見比べたとき、
「あっ」
と思い付いたことがあった。
「なんだ?」と芥山が聞いた。俺は外の景色へと目を移した。もうじき夜の帳が降りようとしている町。それを見ながらあまり時間がないじゃないか、と思う。
一番の願い。それはとてもシンプルだ。
「病院へ連れていってくれ」
数秒の間があって芥山が答えた。
「妙案だ」
その日、俺たちは二人揃って入院。翌日から仲良く学校を欠席することとなった。
文学。それは血生臭い代物であった。
終