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その後も文学という名の攻防は続いた。陽は傾き、帰りを促す声が聞こえるようになった。
お互い読み進み、残すところあと数ページ。両者満身創痍で、左手と両足は使い物にならず、右手だけで辛うじてページをめくっていた。これほどまでに激戦となろうとは。予想はしていたが、現実に起こると想像していた以上の感激を覚えずにはいられない。
けれども。
そう、次の一撃で勝負は決まるだろう。きっと次のページでそこへ到達するに違いない。そうして芥山はついに知るのだ。俺の書いた作品における驚愕の、「犯人の正体」を。
早く家に帰りましょう、そんな声が響いた後、室内は静寂に包まれる。衣擦れの音すらはばかられる静けさの中、芥山の手が動き、パラ、とページをめくる音がした。
そして。
……来た! おそらくそのシーンだ。超能力でも何でもなく、俺にはわかる。探偵が犯人を追い詰めるシーンの結末だ。だが、それは正しい言い方ではない。正確には「探偵が、犯人である主人公を追い詰める」だ。
どうだ芥山。自分が犯人とは思いもしなかっただろう。どうだ、ぐうの音も出ないか。
事実、数分の間、彼は何も口にしないどころか微動だにしなかった。
しばらくした後、おもむろに顔を上げ、俺を真っ直ぐに見ながら目を見開き、驚いた表情を見せた後、彼には似つかわしくないほどの笑みを見せた。
時が止まる。
芥山はわざとらしく口を大きく開けてその四文字を言い放った。
「あ、り、が、ち」
空気が凍りついた。声にならない声で、嘘だろ、と呟いた。きっとそうだ。芥山は強がっているに違いない。あまりにも衝撃的だったからありのままの現実を受け入れることができず、脳が異常を来してしまっているのだ。
だが。
彼の表情がそれ以上笑顔を保つことはなかった。一ミリも動かぬ真顔に至り、作品へと視線を落とした。
まさかのノーダメージ。ここで止めを刺すはずだった目論見がすっかり外れた。
しかし、まだ終わった訳じゃない。遠足は家に帰るまでが遠足なのだ。俺はまた彼の作品へと目を落とした。
きっとまだチャンスはある。きっと。
だが、それがこの上なく甘い考えだったとすぐに気付かされるのである。
パラリ、とページをめくる音。
それが十五回ほど聞こえた後、ついにそのときが来た。
静寂。
後にまた静寂。
「……あ……」
最初は言葉にならなかった。思いを形にするのが困難だったのだ。
俺は残された右手で机を叩き、反動で体を浮かして一気に窓まで吹っ飛ぶ。そのまま窓の桟に足をかけ、開け放たれた窓から身を乗り出した。口に手を当て、大きく息を吸い込み吐き出しながら、俺はそれを叫び放った。
「ここで叙述トリックかぁぁああーッ!!」
オレンジ色を称える町の夕焼けが、俺の言葉を受け入れてくれていた。
「男と思っていたら、こいつは女で、しかもこれで犯人確定って……芥山ぁー! まさかおまえもミステリーだったのかぁぁああーッ!!」
町並みに声が轟き、それが溶け込んでいくのを確認してから、俺は「とぅっ!」という掛け声と共に、窓から空へ飛んだ。「ああぁぁああぁぁー!!」という叫び声が響き渡ったらしいがよく覚えていない。
十字を切り神に祈る。嗚呼、痛くありませんように。