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俺はページをめくる。次いで彼もページをめくる。紙をめくる音だけが異質に耳へ届く。
しかし。
「……っ!」
声を上げそうになって必死にこらえた。なん、だと……。
まさか女性視点で来るとは思わなかった。しかもこれは男が想像する男の妄想が産み出した空想の女性ではない。言葉の端々に「女」を感じるからだ。それが証拠に俺は恋をしかけていた。妄想は膨らみ、付き合うところから秒で三人の子を成すまで至っていた。なんということだ、人の文章力とは、磨けば他人の人生を狂わすほどまでになるのか。恐ろしい。げに恐ろしきは文才だ。きっと核兵器に匹敵するほどの破壊ポテンシャルを秘めているに違いない。
けれども、真に驚いたのは、顔を上げたときに芥山と目があったことである。
「どうだ、俺の作品は。驚いただろう」そう言いたげな顔だ。
くっ! あまりの悔しさに俺は唇を噛み締めた。噛み締めすぎて口中から血の味を感じた。冒頭数ページで流血させるとは、芥山やはり侮れない。
ただし、それはずっとわかりきっていたことだ。強敵だからこそ相対することを望んだ。自らの意思でこの死地に赴いたのだ。
だからこそ、この京川春彦が無策のまま、されるがままにやられるわけがないのだ。
「ぬああぁぁーっ!」
突如として叫び声が響き渡る。声の主が芥山のものであるとわかったのも束の間、目の前で座っていたはずの彼は椅子と共に後方へとひっくり返り、地の底が震えたかのような音を上げて床へとぶっ倒れた。
再び静まり返る室内。程なくして彼は立ち上がり、机の上へと顔を覗かせた。
「やるじゃないか。まさか主人公が五ページ目で殺されるとはな」
俺の策にはまったらしい。ミステリーで探偵役が早々に被害者となり物語から退場してしまう話はなかなかお目にかかれないだろう。奇策ではあったがダメージはあったようだ。
見ると頭から血を流していた。倒れたときに打ち付けたのだろう、血がドクドクと流れていたがどうやら意に介する様子はないようだった。
「流血は気にするな。文学に血は付き物。名作ほど流血を伴う。ミステリーならば尚更だ」