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袖振りあうも... 前編  作者: 月のひまわり
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二  一之瀬比奈の場合

 東京の街は真っ暗だった。一筋の灯りさえも見えない。

 このマンションの屋上に立ち、私は自分の何処を直せば良いのかと神に問うた。

 私に悪いところがあるなら直します。だから神様、教えて下さい。

 毎夜毎夜、私は涙を流して神に問いかけた。

 だけど答えは無い。ただ風だけがゴーゴーと音を立てて私の周りを通り過ぎて行く。


 人に好かれる為には、いつもニコニコ笑顔を絶やすなと本に書いてあった。

 その場の空気を読めと別の本に書いてあった。

 更に別の本には、人の嫌がることをするなと書いてあった。

 だから私はいつもニコニコして怒らず、人の嫌がることはしないように努めた。

 だけど、空気がどんなもんかは、私にはわからなかった。

 その所為かどうか、高校に入ってからも私には一向に友達が出来なかった。


 それでも一学期が終わる頃、瑠璃がニッコリ笑って話しかけてきた。

 嬉しかった!

 神に祈りが通じたのだと思った。その夜、屋上に上がって神にお礼を言った。屋上から見る東京の町はネオンがキラキラと眩いほどに輝き、明るかった。

 瑠璃は五人グループのリーダー的存在であった。綺麗でセンスが良く勉強も良くできた。

 翌日から、私は学校へ行くのが楽しくなった。

「ナニ!あの格好!」瑠璃が口の端を歪め、一人のクラスメートを顎で示して言った。

「ホント!」「超ダサイ!」「バカじゃねえの」皆が口々に続けた。

 瑠璃が私の顔を見た。

「ホント!センス無―い」私も調子に乗って言った。

 瑠璃は満足気に頷き、皆は笑った。

 私は受けたのが嬉しくて、一緒になって笑った。でも、私の心には不快な塊が残った。

私はその子の服装がおかしいとは思っていなかった。否、むしろカッコ良いとすら思っていたのだ。

 瑠璃はいつも誰かをバカにして悪い所ばかりをあげつらい、仲間達はそれに倣っていた。

 或る日、瑠璃が私に「アイスクリームが食べたいね」と言った。

 私も「食べたいね―」と笑顔で応えた。皆が私をじっと見つめた。

 私は人数分のアイスクリームを買って来て瑠璃に差出した。瑠璃が一つを手に取ると、仲間達が我先にとアイスクリームを奪い合った。アイスクリームのお金を払う者は、誰一人として居なかった。

 翌日はアイスクリームがタコ焼きに変り、それからクッキーに、クレープに、ハンバーガーにと、品物は変っていったが誰一人として私以外にお金を払う者は居なかった。


 暫くしてもう一人仲間が増えた。いつも一人ぼっちで教室の隅っこに居る子で名前は葵という。

 それから菓子やスナックを買ってくるのは葵の役目になり、私は皆と一緒になって手を出し、食べた分のお金は払わなかった。

 葵から強引に得た菓子は、砂を噛むようで少しも美味しくはなかった。そればかりか不快な塊が少しずつ私の心に増殖していった。

 或る日、私が休み時間にトイレに行った時、追いかけるように葵が入ってきた。私が個室に入ろうとした瞬間に、葵は一緒に滑りこんできて「シ―」と唇に指を当てた。

「私、あのグループから抜ける。アンタも抜けた方が良いよ」葵は声を顰めて私の耳に囁き、お婆ちゃんの形見だと言って、小さな根付けと紙きれを私に握らせた。それからドアを開け、辺りを見回すと素早く出ていった。

 アっという間だった。紙切れには何故か電話番号が書いてあった。メアドでもラインのIDでもなく固定電話の番号が。


 暫くして、葵は瑠璃のグループから離れていった。

 葵が居なくなると、菓子やスナックを買う役目は再び私になった。私も瑠璃のグループを抜けようと決意した。抜ければ仕返しをされると思ったが、葵と二人なら怖くない。私は葵との約束を忘れないように、葵から貰った根付けをペンダントにして制服の下に隠してつけていた。

 葵が抜けたその日から、まるで私を監視するように、グループの誰かがいつもべったりついていた。私はなかなかグループを抜けると言い出せず、ズルズルと瑠璃の後に従っていた。

 私は根付けと一緒にもらった電話番号に電話をかけた。象牙の唐獅子の根付けのお礼も言いたかった。でも、電話には誰も出なかった。


 私が電話をかけた翌日、葵が学校を休んだ

 その日の放課後、突然瑠璃が散歩に行こうと言いだした。そして例のように私達はゾロゾロと瑠璃の後をついて行った。公園を通りかかった時、お婆さんが一人でベンチに座っていた。

 あのババアはボケているのだと、瑠璃が嘲笑った。

「お婆さん、今日は何日ですか?」突然聞かれてお婆さんは戸惑ったような顔で瑠璃を見上げた。「今日は三月三日ですよ」と瑠璃が言った。

「三月?」お婆さんは吃驚して辺りを見回した。当り前である。九月半ばとはいえ、まだまだ暑くセミが鳴いている。

「教えてあげたんだからお金ちょうだい」瑠璃はお婆さんに手を突き出した。

 お婆さんはベンチに座ったまま手提げ袋を抱えて身を竦ませた。

「オイ」瑠璃が後ろの仲間を振返った。「手提げ袋を取ってきな」

 仲間が次々と後ろを振返り、最後に私を見た。

 もちろん私は躊躇したが仲間達の視線が痛く、モタモタしているうちにお婆さんの前に突き飛ばされた。囃声と一緒に背中をどつかれた私はよろめいてお婆さんに覆いかぶさった。その瞬間、唐獅子の根付けが制服の襟元から飛び出した。

「ヒナ!」呼ばれて振返った。

 シャッター音が響いて、二、三人がスマホを構えていた。

 私の下で、お婆さんが私を見上げた。哀願と恐怖が入り混じった目だった。

 本当に、これで瑠璃との仲もお仕舞いにしようと覚悟を決めた時、瑠璃が私の背中を掴んで引き起こし、唐獅子の根付けに目を付けた。

「葵も…、そんなのしてたよな?」言うが早いか瑠璃は根付けを引き千切った。

 私は根付けを取り返そうと瑠璃に飛びかかったが、瑠璃は素早く身を交わし、クルっと回って私の背中を蹴飛ばした。私は二、三歩よろめいて立ちあがり、そのまま走って逃げた。捕まればリンチにあう。

「これはもらったよ」瑠璃の声が聞こえ、それからお婆さんのしゃがれた悲鳴と仲間達の歓声が聞こえた。振返ると、地面に転がったお婆さんから瑠璃が手提げ袋を奪い、仲間達がお婆さんを蹴飛ばしていた。

 耳を塞いで私はそのまま逃げた。私には一欠けらの勇気も無い。


 その夜、葵から連絡があった。

「樹海の中にたった一か所にだけ、七色の光が降り注ぐ場所があるんだって」電話の向うで葵が言った。「その光の中に飛び込めば一瞬にして遥か天空の楽園に旅立つことが出来るらしいよ」明るく喋ってはいたが、葵の声には涙が混じっていた。

「何かあった?」やはり葵はリンチにあったんだ、そう思ったが何気ない風に私は言った。

 葵は黙り込んだ。電話の向うから鼻水を啜りあげるのが聞えてくる。

「葵!」「葵!」私は何度も叫んだ。

 暫くして、意を決したように葵が話し始めた。もう涙は無かった。

「男たちに襲われたんだよ。何度も何度も襲われて……」

 私は絶句した。葵は少し口ごもりながら言った。

「それはまだ良いんだ。その後、私を裸にして、足を広げていろんなことをして、写真を撮られた。……その動画が送られてきた」

 何も言えなかった。葵も黙っていた。

「警察に行こう。私も一緒に行く」長い時間が過ぎた後、やっとの思いで私は言った。

「駄目だよ」

「今、警察に行かなきゃ、ずっとそいつらに付きまとわれる」

「警察へ行くって、どういうことかわかる?いろんな人がこの動画を見るんだよ!いろんな人だよ。親もだよ」

 瞬時に私は葵の気持ちを理解した。

「樹海へ行こ」意を決して私は言った。

「一緒に行ってくれるの?」

「あたりまえじゃン」

 私達は翌日の午後一時に樹海の入り口で会う約束をした。葵はすぐに約束の場所の地図を送ってきた。

 翌日、一時少し前に私は約束の場所に着き葵を待った。

 昨夜電話を切った後、樹海の七色の光りについてネットで調べてみた。

 葵の言っていた通りだった。『樹海の中にたった一か所にだけ、七色の光が降り注ぐ場所がある。その場所に立ち、光の中に飛び込めば一瞬にして遥か天空の楽園に旅立つことが出来る』とあった。

 七色の光りとはどんな光か想像しながら私は葵を待った。

 北極の夜空をいろどるオーロラのように、光のカーテンがひるがえるのだろうか……。それとも、七色に輝く光が滝のように流れ落ちているのか……。

 一時間たっても二時間たっても三時間たっても、葵は現われなかった。

 もしかしたら葵は先に行ってしまったのかもしれない。そう思って、私は樹海に足を踏み入れた。ところが、歩き始めてものの三十分もたたないうちに、私は監視員に見つかって、母に連絡されてしまった。


 大慌てで母が迎えに来た時、辺りはもう暗くなっていた。その夜は旅館に泊まり、翌日私は家へ連れ戻された。

 家に帰るとテレビが少女の死を報じていた。葵だった。女子高校生が自宅マンションの七階の部屋から飛び降りたと。

 その日から私の身体は食べ物を受け付けなくなった。母が煩く言うから少しは食べる。けれども食べれば必ず吐いた。みるみるうちに私は痩せ細り、学校へも行かなくなった。



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