十三 孫
初めてのお給料日がきた。
比奈が封も切らずに袋ごと克代に渡すと、神棚とかお仏壇が無いとこんな時に不便だねえ…などと言いながら、克代は比奈の給料袋を押し頂き、そのまま比奈の手に返した。
「これは大事に仕舞っておきなさい」
「だって、家賃とか電気代の支払いがあるって言ってたじゃん」
「比奈ちゃんの大事なお給料をそんなものに使えやしないわよ。生活の方は心配しなくて良いって言ったでしょ。私もお給料戴けたし年金もあるし……。ただね、始めてのお給料なんだから、お母さまにだけは何か買ってお送りすると良いわね」
「何を買えば良い?」
「何でも良いのよ。気持ちだから」
「何にしよう……」
「それじゃ、今度のお休みに買い物に行こうか」
「わあ!」比奈は歓声を上げた。
「ところで、あんたの誕生日はいつ?」
「五月十四日」
「まだまだ先の話ね。それじゃクリスマスにお母さまをご招待するってのはどう? それで、比奈ちゃんの初月給の記念にお母さま用のお布団をプレゼントするの。 そうすればお母さまは、いつでも此処に来て泊まれるじゃないの」
「エー!」
「エじゃないわよ。お母さまがどんなお気持ちで、あんたを私に預けてお帰りになられたのか……」
「それはさ、おばさんの旦那さんが偉いから」
「違う!」克代は決然として否定した。
「違わないよ。お母さんはね、偉い人とかお金持ちとか有名な人に弱いんだよ」
「それはあんた自身でしょ。あんた自身がそう思っているから、人もそうだと思い込むの。大体ね、偉いとか有名だとか、そんなことを気にするのは、あんたが、自分に自信が無いからよ」
「自信なんて有りっこないじゃん。何をやったって駄目なんだから」
「まあ、それを自覚してりゃ、自信過剰の人間よりも遥かに良いとは思うけど……」
「自信過剰って誰?」
「私です」克代はおどけて自分の鼻を指差した。「それは兎も角、あんたのお母さまはもう少し肝が据わってると思うわ。お母さまは私を信じてくれたのよ。緊急避難と言う言葉を信じてくれたの。だから、無理に連れて帰ろうとはなさらなかったの」
「お母さんが、おばさんを信じたってのも自信過剰じゃないの?」
「だからお呼びすれば良いじゃないの。そうすりゃすぐにわかるわ」
「お母さん来るかな?」
「絶対、いらっしゃるわよ」克代がニッコリと頷いた。
それから克代はカレンダーを捲りながら言った。
「二十四日と二十五日にはクリスマスのイベントがあるから、その前が良いかな。少し早いけど、二十日頃にお招きしたらどうかしら。二十日は比奈ちゃんお休みでしょ。もしかしたら二十一日もお休み貰えるかもしれないし……。ネ、皆でクリスマスパーティやりましょうよ」
翌日、比奈はシャイニータウンから綺麗な写真や包み紙なんかをもらってきて招待状を作り、母に送った。
伊東警察からシャイニータウンに連絡があったのは、十一月三十日の午後七時過ぎであった。
「商店街のベンチにお婆さんが一人、もう長いこと座っている」そんな通報で警官が駆けつけたところ、駅前商店街のベンチに三宅絹子がぼんやりと座っていたのだった。
三宅絹子は警官に、自分の名前とシャイニータウンの住所をはっきりと述べた上で、孫と一緒に遊びに来たが、孫に急用ができて東京へ帰ってしまったので、自分は一人でこれからシャイニータウンに帰るところだが、どうも降りる駅を間違えたらしいと語ったという。
警官は三宅絹子の態度と理路整然とした話し方に一応は納得したが、高齢であることと疲れている様子に心配して、シャイニータウンに連絡してきたのだった。
斉田所長は電話を受けた後、諸々の手配を主任の須賀に託して、自分は直ちに三宅絹子を迎えに伊東へ向かった。その時点では、誰もが三宅絹子には何らかの事情があって、息子の家から早めに帰ってきたのだろうと思っていた。
何故なら、その前夜の二十九日午後八時頃に息子の誠二から電話があったからだ。
「孫に子供が生まれ、その祝いがあるので三十日は外出させて欲しい。明朝八時ごろ私の息子が母を迎えにいく」誠二は電話でそう語った。
そして三十日の午前九時頃、茶髪で、耳たぶの上から下まで何本もの金や銀のリングを嵌めた少年がタクシーで迎えに来ると、三宅絹子はその少年を孫だと皆に紹介し、嬉々として一緒にタクシーに乗り、出かけて行ったのだった。
そんなわけで、シャイニータウンでは三宅絹子の外出に誰一人として疑問を抱く者はいなかった。しかもこの少年はこれまでにも何度もシャイニータウンを訪れていて、三宅絹子は常日頃から、「私の一番愛する孫の健太です」と紹介していたという。
だから、見た目はともかく今時珍しいお婆さん思いの優しいお孫さんだと、職員達の間でも評判が良かった。
伊東警察からの電話で所長が絹子を迎えに出かけた後、絹子の家族が心配しているだろうと考えた須賀は、息子の誠二宅に電話をかけ、「当館の所長が、ただいま三宅さんを伊東駅までお迎えにあがっていますので、間もなくお帰りになられます」と伝えた。
ところが電話口に出た家族は、三宅絹子が外出したことさえ知らなかったと言い、事情を説明する須賀に対して、「多分気晴らしに出かけたのでしょう。昔から気に入らないことがあるとふいに居なくなる人ですから。こちらとしては姑が元気であれば別にかまいません」と答えた。
所長の顔を見て安心したのか三宅絹子は帰りの車中でぐっすりと眠り、シャイニータウンに着いた時には所長よりも元気な様子だったという。それでも所長は大事をとって、三宅絹子を一旦診療所に入院させた。
翌日、比奈は美穂に誘われて、診療所に入院している三宅夫人を見舞った。
「孫がね、お婆ちゃんは刺身が良いだろって言ってね、こんな大きな刺身の舟盛りを注文してくれたの」三宅夫人はニコニコしながら両手を広げて語り、余程嬉しかったのか、会話の中で、孫が、孫がと連発していた。
「どうもね、三宅夫人には男のお孫さんは居ないらしいんだよ」診療所からの帰り道、美穂が首を傾げながら比奈に言った。
「じゃあ、何で孫、孫って言うの?」
「もしかしたら、隠し子とかが居たりして……」美穂は片目を瞑って首を竦めた。
三宅絹子は二日後に診療所を退院してホームに戻ってきたが、その数日後、今度は貯金通帳を盗られたと言いだした。その通帳は、診療所に入院した時の所持品の中にあったことが、医者や看護婦達によって確認されていた。
だから三宅絹子は診療所から帰ってきたその日に、部屋の何処かに隠したのだろうと推測され、須賀主任と美穂が三宅絹子と一緒に部屋を探したところ、通帳はすぐに見つかった。洋服ダンスの引き出しの、衣類の間に隠されていたのである。
但し、百万円が引き出されていて、預金残高を見て三宅絹子は青くなった。
現金を引き出した日付は、絹子が孫と出かけた三十日になっていた。
須賀から、今回の絹子の外出について家族は何も知らなかったらしいと報告を受けていた所長は、三宅絹子から貯金を下した記憶が無いと聞き、息子の誠二に連絡すると同時に警察にも通報した。高齢者を狙った詐欺かもしれないと心配したのだ。
ところが警察が来ていろいろ質問するうちに、三宅絹子は、「そのお金は私が郵便局で下して孫にあげた」と言いだした。
しかし警察の調べでは、絹子には戸籍上男の孫が無いことが判明している。
又、誠二からも「他に子供や孫がいるという話は聞いたことがない」との証言を得た警察は、三宅絹子に再度、確認を行った。
「何かの間違いじゃないですか? 息子さんも他に孫がいる話は聞いたことが無いと言ってるんですよ。もしかしたら、その健太って少年に騙されたのじゃないですか?」警察の指摘を、三宅絹子は頑強に否定した。
「それは確かに血はつながっていないかもしれません。それでも、見舞いにも来ず、何年も会っていない家族よりも、健太は私にとって有難い存在です。孫と思っている健太が、もしお金に困っているのなら、僅かでも助けてあげたいと思って何が悪いのでしょう」
「それでも、お金さえもらってしまえばシャイニータウンまで送り届けもせずに、途中で貴女を放り出すような人ですよ」警官が諭すように言った。
「私と主人の二人で築いてきた財産です。主人の居ない今、どう使おうと私の勝手ではないですか!」三宅絹子は憤然として言った。
三宅絹子が、「貯金通帳を盗まれたと言ったのは私の勘違いで、お金は私があげたのです」と言い張る以上、どうすることも出来ずに警察は帰って行った。
次の貼り絵教室の日、三宅絹子は欠席した。
絹子が騙された話がどうして皆に知れわたったのか、貼り絵の授業はそっちのけで、皆が三宅絹子について喋っていた。
「次はあんたかな」噂話に興じている一人に向って、岩永が言った。
「どういうこと!」言われた人は鼻白んで岩永を見た。
「だから、人の不幸を喜んでると次はあんたが狙われるってことだよ」
「喜んでなんかないわよ。私達は三宅さんがお気の毒だから……」
「気の毒だと思うなら黙ってな! 人の不幸は蜜の味ってね、誤解されるよ」
それから皆は口を閉じて作業に没頭し、その日の貼り絵教室の作業は極めて静かに行なわれた。
続く




