ウィスキーの小瓶を抱えて
小鳥の囀りや、木々の騒めく音が聞こえた気がする。私の住んでいるところは確かに田舎ではあるが、そんな辺鄙なところではないのだ。聞きなれない音が耳に入ってくると、気になって目が覚めてしまうのも、自然のことだろう。
目を開けて起き上がろう、そう思い手に力を入れるとざわざわとした感触と、妙に鼻に感じる土と草の臭いに、更なる異常を感じ、思い切り起き上がり頭を強く打った。痛い。脳天に響く鈍痛に、頭蓋がかち割れるような衝撃に、頭を押さえ蹲り転がっていると、今度は肩や腰を打ち付け、もがくことを諦めた。頭蓋が綺麗に二つ割れたらいいなと思ったが、そう都合の良いことは起こらないようだ。生きることを諦めても、それに伴わない現実に、嫌気が差して手足を地面へ投げ出した。
投げ出した身体から痛みが抜けたことを確認すると、ようやく私は目を開けた。今回は起き上がらずに。同じ轍は踏まぬよう、繊細な生き方をしていたから、癖のようなものである。目の前に広がるのは、薄暗く腐った木の断面が見えた。木の洞だろう。ここまで広いものになると伽藍洞と呼ぶべきかもしれない。そんな場所に寝かされて腐葉土の臭いに、虫の存在に思い至ると、今度は頭をぶつけぬようにゆっくりと上体を起こした。先ほどの痛みで眠気はない。迷惑な痛みである。先ほどまで部屋で寝ていたのに、伽藍洞の中に放り込まれている。
それに私が寝る前に着ていた服は、化学繊維で出来た肌に優しいスポーツシャツにチノパン、パーカーであったはずなのに、今はごわごわと肌触りの悪い衣服を身に着けていた。教科書に載っていたサン・キュロットの画像にそっくりな格好をしている。ロココがギロチンで斬首される頃の服装である。この後には恐怖政治が待っている。出会いたくない、そんな政治。
それにしてもどうして、こんなことになっているのだろうか。こんな異常事態に付き合ってはいられない。
とりあえず寝て、問題を先送りにしたかったのだが、それも無理な話なのかと思い、溜息を吐くと、どうやら手に何かひんやりとした硬質なものが触れていることに気が付いた。そちらに目を向けると琥珀色の液体の入った瓶が置いてあった。ラベルに書いてある響の文字を見ると、思わず声を出してしまった。
「おお、どうせなら三十年ものが飲みたかったな」
誰の物とは知れなかったが、とりあえずビニルを剥がし、コルクを回し取る。栓を開くと同時に、華やかで甘くアルコールの香りが鼻腔で膨らむ。万人受けのするジャパニーズウィスキー、その中でもブレンデッドウィスキーの代表格だろう。その香りを確認すると、舐めるように飲み始めた。徐々にペースを上げ、最終的には下品にも喉を鳴らしながら、飲んでいくと酒精が回ったように思考がぼやけてきた。いい感じに酔いが回ってきたのではないだろうか。もう寝よう。夢のような現実味の帯びた現実からは、逃避して、とりあえずは寝てから考えよう。寝るには良い木漏れ日である。しっとりとした空気を胸いっぱいに吸いながら、明日の自分が解決してくれることを祈って、おやすみなさい。
穏やかな光と草木の騒めきで、気持ちよく目を覚ますも、相変わらずどこだか分からない、木の洞の中にいた。どうやらこれは現実らしいことがはっきりすると、どうしたものかと考える。端の方に転がっていた空の瓶を手元に戻し、転がしながら気付く。まだ一日も経っていないだろうと。これでは明日の自分が解決してくれることはないだろう。今になって皺寄せが来た現実に、やはり嫌気が差すが、そんなことを言ってもいられない。朝から食事も水も摂っていないから、身体が養分を寄越せと自己主張激しく、空腹感と倦怠感をもたらすからだ。
ここがどこだか分からないが、このままではいられない。餓死なんぞ、苦しい死に方はしたくない。即身仏にはなりたくないのだ。尻軽そうな地獄の魔女を侍らせるのである。天国には行けなかった。
そういった理由から、私は洞から出て、とりあえず小川と木の実や果実を探すことにした。現代っ子の私がカルキ臭くない水を飲んだら、お腹を壊すだとか、果実や木の実を食べ、不本意ながら虫と間接キスをしなければならないなど、厭なことを思い浮かべながらも、飢えを満たす他の方法を模索したが、どうにも見つからない。
仕方なしにと獣道すらない草木の生い茂った森の中を歩く。陰樹の極相林の中を歩いているようである。湿っぽく陽の光が差さない。虫やら何やらで倦厭していた場所なのだから入ったことはないが、一番深い森を想像すると、目の前の景色が正解に近いだろうから、極相林と見たわけである。もう少しばかり、真面目に高校の生物基礎を習っておけば、こんな頭の悪い理由付けをしなくて済むのだが、それはもうどうしようもないことである。
自分の自堕落な過去を振り返っていると、微かに川音が聞こえてくるではないか。これは天が、私に地獄へ落ちろと言っているのだ、天啓をいただいたのだと感じ、その深き御心に感謝の念を送りながら、その音の方へと足を向けた。
名も分からぬ茂った草を抜けると、そこには小川があった。尖った岩が多く、水が岩の隙間で踊っている。上流にあたるだろうか。海まではまだまだ遠い。嫌いだから行くことはないだろうが。
小川に近づくと川底が見通せるほど、水が透き通っていた。その透明な水に、寄生虫や細菌の可能性を思ったが、背に腹は代えられない。濁った泥水を啜るよりも比べるべきもところもない。歩いて乾いた喉を潤そうと、持ってきていた瓶を水で軽く濯ぎ、その中に水を溜めた。それを比較的平らになっている岩の上に置き、小川から直に水を掬い、顔を洗った。飲むよりも安心感が勝ったことと、額に軽くかいた汗を綺麗に洗い落としたかったからである。よくよく考えると、私がシャワーを浴びたのは、夜勤前の二十三時ころのことである。それから浴びていないのだから、この欲求には逆らえまい。
ついでに、シャツを脱いで、身体に軽く水をかけた。恥ずかしがり屋な私としては、外で服を脱ぐなど、とうてい許容出来ないことであったが、これも欲求の為せる業である。恥ずかしや。
そうこうして、瓶の中身を見てみると、どうやら本当に綺麗な水だったようで、沈殿物も肉眼では確認出来ないものだった。あくまでも肉眼ではあるが、これは当たりかと思い、ゆっくりと瓶を傾け水を口に含む。舌の上で水を転がし、変な味はしないかと確かめていると、どうも硬水でありマグネシウムが多いのか、雑味と苦みを感じた。あと喉が渇いていて飲んでいるのだが、飲み口が重いために、中々喉を通らない。やはり飲み慣れた軟水がいいなと贅沢を感じながらも、渇きを満たすために、胃に流し込む。軟水が恋しい。
そんな我儘を感じながらも、瓶の中を飲み干し、また掬っては飲んでいた。腹に水が溜まり、満足感がそれなりには出てきたが、やはり固形物を食べなければ駄目なのだろう。空腹感に気力を失った。元々なかったのだから、失ってはいないのだろう。差し引きマイナスである。困ったことにも。
そうやって岩に寄りかかりうだうだしていると、日の当たり方が変わったように感じた。どうやら太陽が中天に差し掛かったようである。直射日光に身体がやられ、嫌になる。もう何もかもを投げ出して、手足を投げてこのまま眠りたい。太陽は苦手だ。
だが、食べねば即身仏になってしまう。重い腰を上げ、岩に手を付き立ち上がると、腹がぐるぐると鳴り出した。お腹が痛い。これは腹痛独特の痛みと腸の緩さだ。ぐるぐると鳴り続ける腹の音に、身体がぐるぐると回っているような気がした。吐き気もする。気持ち悪い。気持ち悪い。
水が合わなかったのだろうか。水中の細菌にやられたのだろうか。それとも寄生虫の存在を見逃して、飲んでしまったのだろうか。答えの見えない言葉が、頭の中で撹拌されて思考も纏まらない。誰か私に塩素を、カルキをください。纏まらない思考の中、ぐちゃぐちゃと文字が踊り狂う中、塩素やカルキが欲しいと懇願することが出来るくらいには、余裕があるなと言葉が過ぎり、そこで意識を失った。