曇天は重く
雨に濡れ、服が肌に貼り付く。水を含み重くなる。そして私は戦闘の高揚感も、全能感も何もなく、ただ強く降り続ける雨に、視界と体温を奪われていた。足元も土が泥になり、草が水を纏う。足元が掬われる。踏ん張ることも出来ず、太刀筋はさらに歪み、人を殺せるものではなくなっていた。こうなると素人であることが如実に表れ、周りとは浮いた愚かな踊りを演じているようですらあった。雨一つで、そこはもう四日前、五日前まで調子に乗って武器を振るえた場所とは、全く異なっていた。
そうなるともう、私は真っ当に戦うことを諦めた。武器を無様に振るい続ける苦行に、嫌気が差したのである。斬られることを前提とした、まるで無防備な私の突出に、相対していた相手は嘲笑を浮かべ、その肉厚のロングソードを真っ直ぐ上から振り下ろしてきた。それを頭だけ避け、左肩に食い込ませると、私は右腕に握っていたカットラスを、相手の心臓に突き立てた。驚きに目を引ん剝く馬鹿な男を蹴り飛ばし、ロングソードを乱暴に抜き捨てると、次の相手へ向かい駆けていく。
三歩足を出すころには、もう傷は塞がっており、その感触を肩を回して確かめた。さらに強く振り出す雨に、血液が流され、音も視界も悪くなる中、手当たり次第に私は敵に突っ込み、血を流し命を奪っていった。私は彼らと同じ舞台には立っていないことに、このときにはもう心の中で達観するように、静かにその事実を見つめていた。
十人程度は殺したのだろう。そして人が流すには多すぎる血液を流したころになり、その冷めていた心が、どうも余裕をなくしていたことに気が付いた。馬車から離れ過ぎていたのである。周りが見えない中、馬車の陰も捉えられないながらも、元来た道を死体の目印で戻っていく。
六体目を数えたころ、その敵は現れた。禿頭を晒す体格の良い男であった。骨太で膨れ上がった筋肉と私の頭よりも後三つばかり高い巨人であった。その気性の荒さを目に宿し、男の荒々しさに、私の動きも思わず止まる。
「ふんっ」
鈍器にも見間違うほどの分厚く、私の身の丈もある刀身を持つ大剣が、目の前に迫ってきた。斬られるよりも速く、頭が破裂するイメージに埋め尽くされる。もう転ぶように無様に躱すと、男の持つ大剣は、轟々と雨も風も切り裂きながら頭上を通過していった。
その驚くべき剛腕に、後ろへ逃げ、距離を取る。過去に二度、頭に剣を通した私の経験則から、頭部を破壊されても死ぬことは考えられないが、そこまでの覚悟がなかった。そしてこれも経験則ではあるが、致死量の攻撃を受けると、相手は一瞬でも心に隙間が出来るのだ。それでしか必殺の隙を作れないのだから、もう少しばかりタイミングを図らねば、とんでもない持久戦に持ち越すことになるだろう。
暴風を纏うその剛剣を、何度も何度も転げるように躱す。袈裟懸けに出された大剣を前に転がり、カットラスを突き出す。本来突き刺す武器でもなかったが、牽制くらいにはなったようである。相手も無理はせず、身軽に身体を後ろへ退く。紙一重で届かない位置に躱される。
そしてすぐさま前に踏み込んできた男は、私の頭を割るように、その巨大な鉄の塊を振り下ろす。そこに男の必殺の手を見た。確かにこの距離、この速度で振り下ろされる大剣を躱すには、私は武術に対して未熟であった。相手も私の動きからそれを悟ったのだろう。そして私も相手のその心の隙間を悟った。
カットラスを突き出した体勢をそのままに、右足、左足と踏み込み、男の大剣を頭で受け止めた。最後に見た男の顔は驚愕に満ちていた。頭蓋から頸骨、背骨へと重く衝撃が響く。頭蓋が陥没し、割れた骨で皮膚が割かれ、血や脳漿が噴出し、鉄の塊が脳を犯す。大剣の重さに耐えられず頸骨が後ろへ倒れるように折れ、気道を塞ぐ。かひゅかひゅと息が音となり、それ以降、耳が何も音を拾わなくなったころ、鎖骨を砕き、肋骨を砕き、心臓にまで達するのを感じた。
そこまで大剣が食い込むと、痛みと言うものを感じなくなっており、相手の安堵が鉄を伝って、私の内臓を揺らしたような感触を覚えた。そして突き出したままだった腕を横に振るった。振るったカットラスは、最初から相手の首に合わせてあり、筋肉を斬る感触が、腕に伝わってきた。
余っていた左腕で、身体に埋まっていた大剣を乱暴に掴み引き抜く。上半身が半分と裂かれた状態では、バランスを取ることも儘ならず、そのまま倒れ込み草の感触に意識を集中させた。
どれくらい経っただろうか。いつの間にか、私の目と耳は、今だ強く降り続ける雨を伝えてくる。回復までに五分を要したのか、一時間を要したのか、はっきりとしなかった。私は手を付き、起き上がると頭を振り、目の前に先ほどまで戦っていた巨体が倒れているのを確認した。立ち上がり男を見ると、手足が痙攣し死後硬直を起こしていた。強かった、強敵であったと、独り言つ。男の首から流れ出る血が、雨で薄まり地に吸い込まれていくのを、呆けながら見ていた。
脳が修復された直後だからか、頭が働かない。周りを見渡すと、剣戟や怒号が聞こえてくるが人の陰ばかりで、敵か味方か判別がつかなかった。ただそれでも、私が来たであろう馬車の方向に灯りが燈っているのが分かる。それを見ると私は、突出したために戻ってきたことを思い出した。
しかし不可解なもの見つけてしまう。私は思わず、呟く。
「……何で灯りが」
その声が雨に搔き消される。一瞬、理解が追い付かなかった。この雨では馬車が燃えることは、基本的にはないだろう。ならばあの灯りは何だろうかと考えると、視界の悪い今の状況が、その灯りの使い道を示していた。
「誰だ、余計なことを」
そう感情的に吐き捨て、灯りに向かって私は走った。草に滑り、足が取られるが、強く踏み締め駆ける。さらに強く。雨と風を切りながら走り、馬車近くまで寄ると、やはり賊が周りに集まっていた。護衛団長のライリーが賊を斬り捨てているのが見えた。
私は彼と視線を交わし、お互いの無事を知らせ合うと、そのまま横を通り過ぎ馬車の元まで向かう。そしてステップの下に置いてある灯籠を掴み、遠くへ投げ捨てた。私は誘蛾灯を処理すると、今度は馬車から離れ過ぎぬよう賊を斬り捨てていったのだった。