どうしようもない履歴書
初めまして、逆竜胆と申します。
最後まで続けられたらと思いますので、お付き合いいただければ幸いに存じます。
私の名前は、八雲祥雲。本名は語らない、シャイな二十二歳である。
工業高校へ進学した私は、そこでの規則の厳しさや締め付けにほとほと厭きれ、秋には退学とことが運ぶのはもはや当然の節理だった。しかし、中卒で働くところなんぞ、肉体労働しかなく、そこまで頑張って生にしがみつく気力も活力も湧き上がらなかったため、翌年、通信制高校へ入学した。また一年生からのやり直しである。その高校も四年ほどで卒業し、悪足掻きも底を尽いた今年、内定の決まった職場に一切の連絡も入れず、そして入らぬよう細工もして、一日と出社せず、退職となった私は、高校時代から続けていたコンビニの夜勤バイトで、細々と糧を得ていた。
朝、夜勤が終わり引継ぎを終え早々に帰宅すると、起きていた母親に簡単と挨拶を交わし部屋に入る。書作品やパステル画の散らばった机が目に入り、昨日は寝ずの夜勤番だったことを思い出し、疲れがどっと押し寄せてきた。乱雑に机の上のものを退かし、ひんやりとしたトレース台の上に腕枕を敷き、突っ伏す。疲れが全身に染み渡るような、言いも知れぬ倦怠感に襲われ、書作品に書かれた自称雅号の祥雲を目に収め、すっと意識が遠のいた。夜勤だけとは言え、ここ二週間ばかり休日がなかったから、疲れが溜まっていたのだろう。もう一人の夜勤者が病気療養で入院したためである。いい迷惑だ。
そんな状態だから、普段から気にも留めずに、心に留めていた思いが、ぼんやりと頭の中に浮かぶのだろう。死にたいと思った。ふと朝はパンの気分だからと、食パンをトースターで焼き、バターを塗るのと、そう変わらない感覚で、ふと思ったのだ。死にたいと。
だが、これはよくあることなのだ。多分そう物珍しいものでもないだろう。心の動きとしては、ごく自然で、こんな未来に光を灯さない国で生まれてしまった自分の不運を恨むだけである。そして恨み疲れると、自然と思うのだ。死にたいと。
しかし両親はまだ五十代と若い。私が両親との死別を待たず、先立ってしまった後のことを考えると、申し訳なさから、この首にナイフの切っ先を突き立てて掻っ捌くことを夢想するに留めるしかないのである。電車や新幹線、または自動車。速く走る鉄の塊に体を預けて、ぐちゃぐちゃになった自分を想像することしか出来ないのだ。
だから死ねない。だが、死ねないだけだ。自分から積極的に生きようとは思ってもいなかった。はっきり言ってしまうと、交通事故や通り魔やテロや火災や地震や津波や、何かしらの事故天災に遭遇して死ぬことが、一番気軽にこの世から去られるというものだ。ただ、出来れば眠ったように安らかに死にたいと思うのも、また心理である。出来れば、死ぬときは冬の東北で、吹雪の日に酒を飲んで雪に埋もれて眠るように死ねたらと思う。除雪機に巻き込まれ、寝ている間に微塵にされるのも、雪の中で凍死するのも、起きていなければどちらも変わらないだろう。
そんなことをつらつらと夢現の狭間にて思い浮かべていると、意識が重く沈殿していく。この睡眠前の小舟漕ぎがどうにも心地良く、私はそのまま眠ってしまった。
書き溜めが用意出来ず、更新分が出来たら、その日、またはその次の日の午前十時に更新する予定です。
本作品は不定期更新となりますので、よろしくお願いいたします。
ちなみに、明日と明後日の分は用意がありますので、追いつかれぬよう、頑張って書いていこうと思います。