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あの恐ろしい夜から、早いものでもう十年が経ちました。
王女様たちは、聡明さお優しさはそのままに、美しい貴婦人へと成長なさいました。今は女王陛下とお呼び申し上げる姉姫様も、お若いながらに政の補佐に尽力なさっている妹姫様も、美貌と機知で若い殿方を魅了しているそうです。お二人の仲睦まじさもかつてと変わらず、頭を寄せ合ってお話をされている姿は、幼い頃を思い出させて私の心を和ませてくれるのです。もちろん話す内容は昔のように物語や刺繍のことではなくて、国の行く末のことなのですが。
優しい姫君方のもと、和やかに導かれる国と民。亡くなった陛下やお腹の子に怯えながら私が夢見ていた光景が、本当になってくれたかのよう。――でも、それは見せかけだけ。太后として気楽な立場に退くことができた私などとは違って、女王様も王女様もまだ恐ろしい敵に囲まれていらっしゃるのです。
「どうか、太后様からもお口添えを――」
「そのような。無理ですわ」
このような年増のところにわざわざやって来てくれた何とかいう大臣を、でも、私は素っ気なくあしらいます。
この人たちが浮かべている諂いの笑みは、私がよく知っているものです。それは、かつて陛下に向けられていたもの。私のお腹に宿った子は男の子に違いない、なんと頼もしい、なんとめでたいと、媚びる言葉の鎖で私の首を絞めていたのと同じ類の。実がない癖に、舌先ひとつの軽口で大層な忠誠を捧げているのだと、恩を売りつけてくる類のものです。
あの時この人たちは陛下の不興を買わないために、私を生贄にしたのです。こうして無事にお産を終えて生きながらえたといって、それを忘れることなどできません。それに――
「女王陛下は貴女様を本当の母君のように慕っていらっしゃいます。その御方の助言ならば――」
「必要のないことです。女王様と妹君様と、立派に国を治めていらっしゃるではないですか」
「ですが」
「差し出がましいことでしょう。そのようなことはおふた方が望まれた時に決めれば良いことです」
この人たちは、女王様たちにご結婚を、と迫ろうというのです。立派な殿方をお婿様に迎えて子を育むのが女の幸せ――などとは表向きだけのこと。本心は、自身の縁者をあの方たちに押し付けて、政を乗っ取ろうというのです。
「お心の優しい方々にはお辛いことも多いかと存じますが」
「臣下の皆様が支えて差し上げれば良いのです。何もご夫君でなければということはありません」
ご夫君に慰めを求めよ、結婚するのが女の幸せ――などと、どうして私の口から言えるでしょう。夫が私にもたらしたのは恐怖と苦しみばかり。子供でさえも私を脅かしました。女王様方もそのことをよくご存知です。その私が結婚をお勧めなどしたら、きっと裏切られたように思われるに違いありません。
「太后様――」
「この話はこれで。王子を出迎えなければなりませんから」
なおも言いすがる相手を無視して、私は席を立ちました。告げた言葉は全くの嘘という訳でもありません。
十になる息子は、幼いというのに亡くなった陛下にそっくりです。弓や剣や――血を見ることが大好きで。この数日、伴の者を引き連れて狩りに行っていたのですが、今日帰る予定だったのです。
陛下がいなくなっても、城門は私にとっては恐ろしく忌まわしい場所でした。かつての王妃様たちと同様に、今も罪人の首を晒す場所だからです。
女の王というのはやはり侮られるようで、あわよくばとばかりに乱を起こす者が後を絶たないのです。もちろん、反逆者には相応の罰を与えなければならないし、男の王でもその倣いに何ら変わりがあるはずもないのですが――まるで女王様が好んで処刑を行うように語られてしまうのです。先ほども会っていたような者が悪い噂を流しているに違いありません。これだから女は、と。男の人たちは決めつけたくて仕方ないのです。
あのように優しいお方が、血塗れの、などと悪意のある枕詞をつけて語られるのは、本当に悲しく憤ろしいことでした。
眼球を失った虚ろな眼窩に見下ろされながら、私は息子を待ちます。お腹を痛めた子は愛しいものだと言いますが、少なくとも私にはそのような想いは分かりません。何しろ私にはあの子を産み落とした時の記憶がないのです。気がつけばあの子は私のお腹から抜け出て産声を――それも聞いてはいないのですが――上げていたのです。私にとってお産とは、ただ息苦しいほど膨らんだお腹がいつのまにやら平らになっていたというだけのものでした。
いいえ、ただ愛情を持てないというだけならまだ良い。お腹にいた頃と同じく、あの子は私にとって恐怖でしかありません。あの子が追うのは、傍にいる私や姉君方ではなく、顔も知らない父親の面影。臣下がおだてるのも手伝って、子供ながらにまるで王になったかのように振舞って――女王様までも脅かすのです。
かつての私は、夫が無事に戻らないことを望んでその出立を見送り、帰りを待っていました。その方が亡くなって十年も経って、今でも同じ心持ちで地平を見つめているのは、まことに不思議な気分でした。
やがて、地平の際が砂埃で煙ります。すると次の瞬間には、騎馬の一団が姿を現しました。その先頭、やや小柄とはいえ大人の馬を、細い手脚で乗りこなす者こそ、私が産んだという子――この国の王となるべき王子でした。
その子供は、私の姿を認めると輝くばかりの笑顔をほころばせて叫びました。
「母上! ただ今戻りました!」
「お帰りなさいませ、殿下。ご無事で何よりです」
対する私はよそよそしく、まるで臣下のような態度を保ちます。我が子にどのような顔をすれば良いか分からないから。
「今日は兎を仕留めました。雉の番も。それから――」
「まずはお身体を清めてお着替えをなさいませ。とても、汚れてしまって」
転がり落ちるように馬から飛び降りて、王子は私へと駆け寄ります。その小さな手が伸ばされるのを制したのは、言葉通りに豪奢な衣装が細かい土や砂の粒子に塗れていたから。それに、乾いたばかりといった様子の赤茶の染みに、獣の返り血を浴びたままなのだと分かって気味が悪かったからです。
「母上……」
王子は不満げに唇を尖らせました。血塗れの姿を気に掛けないのは、父親譲りの豪放さということなのでしょうか。哀れな小さな獣を殺したのを手柄のように語るのも、あの陛下に似た残酷さがそうさせるのでしょうか。
「太后様、そう余所余所しくなさらずとも」
「そうです、殿下は本当に上達なさいました」
「まさに、陛下のように――」
臣下たちがこのように甘やかすのも、この子の残忍な性質を助長しているように思えてなりません。この人たちにとっては王とは男だけなのでしょう。まるで女王様がいらっしゃらないかのように言うのも、私の眉を顰めさせます。
「今の国王陛下は女王陛下でいらっしゃいます。きちんと先王陛下と申し上げるべきでしょう」
私がやや語気を強めた時――一行の後ろから、進み出る細い小柄な人影がありました。
「殿下、母君様の仰る通りですわ。そのようなお姿でご婦人の前に出るものではありません」
「……そうか」
私がまず驚いたのは、王子が不満そうな表情をしながらもおとなしく頷いたことに、です。とても癇の強い子で、気に入らないことがあると顔を真っ赤にして泣き叫ぶのさえよくあることだというのに。
「太后様、お懐かしゅうございます。この度、また王子殿下にお仕えさせていただくこととなったのです」
次いで、恭しく膝を折って頭を垂れたその女の顔をまともに見て、私は今度こそ息もできないほどの驚きと――恐怖に、心臓を鷲掴みにされました。
髪には白いものがまざり、肌の張りも失われて。顔には皺が刻まれていても。忘れるものでも見間違えるものでもありません。
なぜか王子と親しげに視線を交わして微笑むその女は、かつて亡夫に侍って私を脅かしたあの女に相違ありませんでした。