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目が覚めると、見慣れた私の部屋の寝台の上でした。目覚めたらいつもするように、お腹の膨らみを――胎児がまだ無事なのを確かめようとして下腹を探ります。でも、そこは平らで、お腹の中で動く感覚もなく。
流れてしまった。
そう思うと同時に、私は恐慌に捕らわれて叫んでいました。
「ごめんなさい! 許して!」
世継ぎの御子を死なせてしまった。陛下に殺されるに違いない。そう思ってしまったのです。
「お義母様、お気を確かに」
「私は何もしてないの! 殺さないで!」
肩に手が触れたのも、刑場に引き出されるためとしか思えなくて、私は必死に振り払おうとします。けれど、私を抱き寄せて髪を撫でる手は柔らかくて優しくて、恐ろしい兵士のものではありませんでした。
「大丈夫です、お父様はもういませんから」
「…………王女様?」
上の王女様に抱きしめられている。そうと気付いてやっと我に帰って――私は、自分のひどい有り様に愕然としました。手には抉ったような傷が幾筋もついて、髪も乱れて。お腹は、平らになってしまっただけでなく、女のところが裂けたように痛みを訴えています。どうしてか喉も嗄れてしまって、王女様に呼びかけた声もひび割れています。
「お父様は身罷られました。――眠るような表情でいらっしゃったのはせめてもの慰めですわ。お義母様はお父様を看取られて、それで、悲しみの衝撃のままに産気づかれてしまったのです」
「陛下が――」
掠れる声で呟いた私を襲った、押し寄せる波のような感覚――それは、言葉にならない安堵でした。良かった、あの方は死んでくれた。これで私が殺されることもない。
それでやっとひと心地がついたのでしょうか。今度はあの血と死に満ちた部屋の記憶が一気に蘇って私の頭を揺さぶります。鬼気迫る陛下のお顔。掴まれた手の痛み。枕の感触。身体を食い破るかのように暴れた胎児。
「――眠るように?」
王女様の柔らかく温かい腕に包まれて、心から安らぎたいと思うのに。私の心臓は陛下のあの手に掴まれたかのように痛み、激しく鼓動を打ちます。
枕で覆ってしまったから、私は陛下のご臨終の顔を見てはいません。でも、あれほどもがいていたのです。安らかなお顔だったなどと、信じられるものではありません。
「はい。お義母様がいらっしゃったので安心なさったのでしょう」
「そう……なのですか……?」
急に、手の傷がじくじくと痛みだしました。そう、これは死の際で呼吸を求めた陛下が抉ってつけた傷です。もしも少しでも力を緩めていたら、あの方は反逆への罰として私の首をへし折っていたに違いありません。――その方が、眠るような表情で?
「あの、侍女は――」
あの時に私が叫んだ言葉も、喉を振り絞った声も、自分のものではないように恐ろしいものでした。あの侍女は扉の外に控えていたはず。まさか、聞かれていたら――いえ、それならば扉を開けて陛下をお救いすれば良かったのです。そうでなくても人を呼ぶとか。いずれにしても、私が今ここでこうしていられるなんてあり得ないはず。
でも、安心しても良いのでしょうか。私の声は相当に大きいものだったはず、と。この嗄れた喉が教えてくれます。なのに、あの女には聞こえなかったなどということがあるのでしょうか。
「ああ……あの者ですか? お父様が亡くなられたからには役目もなくなるでしょうし……亡夫の領地に帰るのだろうと思いますが」
王女様は首を傾げながらも教えてくださいました。どうしてあのように瑣末な者のことを気にかけるのか、不思議に思っていらっしゃるのでしょう。でも、王女様に打ち明けるなんてできません。このお方のお父様を、私のこの手で、なんて。ただでさえ悲しみにくれていらっしゃるのでしょうに、この上のご心痛なんてひどすぎます。
凍りついたように言葉を失った私を、どのように思われたのでしょうか。王女様は励ますように私の手を両手で包み込んでくださいます。父君様の息の根を止めた手を。
「お義母様、そんなことよりも。御子のことは気になりませんの? 私たちの弟なのか妹なのか、聞いてはくださらないのですか?」
「子供……」
言われて初めて、私は平らになったお腹を見下ろしました。撫でるとたるんだ皮膚の感触があって、はちきれるほどだった羊水も――胎児も、いなくなったのだと改めて思います。
あの子は、私を苦しめ続けた子でした。女の子だったり障害があったりして責められるのではないかという恐れはもちろんのこと、大きなお腹を抱えていては立つのも座るのも、ものを食べるのも、息をするのさえ難儀なことだったのです。
でも、だからといって身軽な身体になって嬉しいかというと、そのようなことは全くありませんでした。
私の恐怖と陛下の妄執を一身に浴びて育った子。母親が父親を殺そうとした瞬間に生まれた子です。誕生を祝うというよりは何か恐ろしいものをこの世に解き放ってしまったようで。私にはその子を見ることも、その子について口にすることさえも忌まわしいことのように思えました。でも、聞かない訳にはいかないのでしょう。
「あの――どちら、だったのですか?」
母の喜びとはほど遠いおどおどとした問い掛けでしたが、王女様はにっこりと微笑みました。
「おめでとうございます、お義母様。元気な男の子ですわ」
姉姫様が扉の方へ目配せすると、控えていた者がさっと扉を開け放ちました。すると、そこにいらっしゃったのは何か布の包みを抱えた妹姫様。姉君様と同じように、輝かしく微笑んで。
「お義母様は国母になられたのです」
高らかに告げながら、下の王女様がとても大事そうに差し出すそれ。とても頼りなく弱々しいその存在が、私をあんなにも苦しめた怪物だというのでしょうか。髪の毛も生え揃わない姿からはよく分かりませんが、このように醜い生き物が、陛下が望んだ強い世継ぎだというのでしょうか。
男の子だった。
それの重みと温かさを感じると、じわじわとその事実が胸に染み込んでいきます。そこから湧き上がった想いは――落胆と怒りと後悔の混ざり合った苦々しいものでした。
男の子だったならば、どうして私はあんなに怯えて過ごしたのでしょう。夜ごと悪夢に魘されて、陛下の一挙一動に目を凝らして。どうしてあのように魂を削るような日々を過ごさなければならなかったのでしょう。
どうして――尊敬すべき夫を、貴い国王陛下を。この手で――
それも全てこの子のせい。そう思うと、母親らしい愛情など欠片も湧いてきませんでした。それどころか――王妃としても、国の民としてもあってはならないことなのでしょうが――このような忌まわしい存在は、いなくなってしまえば良いと思ってしまいます。
王女様の手を離れた赤子は、母の荒れ狂う想いも知らないで、目を閉じておとなしく眠っています。それとも赤子とはまだ目が開かないものだったでしょうか。
そう、この子は、母親が父親を殺そうとした瞬間に生まれた子です。薄赤い目蓋を透して、この子はあの瞬間を見たのでしょうか。この子も陛下のように恐ろしい目つきで私を睨み、父を殺した罪を責める日がくるのでしょうか。ああ、何て恐ろしい。
「弟が成長するまでは、私が国と王位を保ちます」
「私もお姉さまを支えますわ」
だからお義母様、これからも私たちをよろしくお願いいたしますね。
声を揃えて微笑む王女様方の声をどこか遠くに聞きながら、私は腕の中の赤子を床に投げ捨てたい衝動と必死に戦っていました。