4
内に抱える不安や恐怖や憎しみとは関係なく、私は臨月を迎えました。
相変わらず我が子の誕生を待ち望む気にはなれません。王子の誕生を期待されるたび、陛下の熱病に浮かされたような澱んだ視線を感じるたび、きっと予想通りにはならないのだろうと思ってしまうのです。お腹の子のせいで私は死ぬことになるのだろうと。
悪夢は日毎に詳細になり、場面も進んで行きます。昨夜は私の首が城門に晒されるところまで夢に見てしまいました。目に鴉の嘴が迫るのに顔を背けることもできず、蛆虫が頬の肉を食らう痛痒さまで本当のことのように感じられるのです。
そうして寝不足で青い顔をしていれば、どうして休まないのかと責められて。目をつり上げる陛下の横にはあの侍女がいて。その勝ち誇ったような笑顔に首が絞められていくような思いをするのです。
今朝、陛下が狩りに出る際に、私はお見送りをすることも許されませんでした。自室から城門までの往復でさえも、子供のために慎めと申し渡されたのです。
囚人のように閉じ込められて――私を慰めてくれるのは王女様たちとのお喋りくらいです。陛下がいらっしゃる間はあまりお会いすることもできないですから、最近の私は陛下のご不在を待ち望んでいるほどです。
「お父様はお義母様に獲物を捧げるおつもりだそうです」
「ええ、お義母様と御子様のことを思っていらっしゃるのです」
「……そうなのでしょうね」
私の生む、男の子のことだけを。
王女様たちのお気遣いを前に、私は本音を口にすることができませんでした。この方たちのお母様たちも男の子を生めなかったのです。まだ子供が生まれてもいない今の私が、泣き言を言うなんて許されないことなのでしょう。
でも、この期に及んでも、命の危険を感じていても、私はやっぱり男の子なんて欲しくない。子供のためにと言いながら平然と獣を殺すような陛下も、陛下が望まれるような強く勇ましい王子も。どこか忌まわしく感じてしまうのです。
日々大きく頻繁に感じられるようになった胎動も。早く出せと私を脅しているかのように。
全くおかしなことなのですが、私にはお腹の子が陛下によく似た男の子のような気がしています。それが本当ならば何事もなくおめでたいことのはずなのに、なぜか安心することはできないのです。
陛下に似た子は陛下のように私を苦しめるのだろうと思ってしまって、王女様たちのような女の子であれば、と願ってしまって。けれどそれはやはりこの身の破滅を意味していて。
私はもう、どうして良いやら、何を祈れば良いやら分からなくなってしまっているのです。
「お義母様、どうか思い詰めないで。暗い心持ちは赤ちゃんにも分かってしまうそうです。……実母も、そう言っていましたの」
躊躇いがちに言ったのは、上の王女様。この方の母君は、何度も流産を繰り返されたそうで……だから、陛下のお心が離れて離縁されてしまったということでした。
高貴な方が今度こそ、と念じている様を――その鬼気迫る表情を思い浮かべると、私の心は痛みました。王女様に、実のお母様のそのようなところを思い出させてしまったことにも。
「お義母様までいなくなったら悲しいですわ。せっかく仲良くしていただいているのに」
「滅多なことを言ってはいけません」
「だって、お姉様……」
王女様たちのやり取りに、私の胸は改めて締め付けられます。何人もの王妃が現れては去っていくのを見てきたこの方たちも、私以上に不安なのでしょう。もし私がいなくなってしまったら、次の王妃はこの方たちをどのように扱うかも分かりません。
私は、この方たちを置き去りにするようなことがあってはならない。そう強く思います。
「ご安心してくださいませ、王女様」
だから私はお二人に向けて精一杯笑顔を作りました。
「私もお二人とずっと一緒にいたいです。何が起きても――仲良くしてくださいね」
それでも、言葉の選び方はどこか不吉なものになってしまったのですが。王女様たちは、ほっとしたように微笑んでくださったのでした。
夜、私はいつものように悪夢に魘されて目を覚ましました。でも、今宵は夢の途中で。いつものように首筋に感じる刃に悲鳴を上げたのでもお腹を蹴る胎児に起こされたのでもなく、遠くから人のざわめきが聞こえきたのです。目を開けていても閉じていても辺りは闇――ですが、人の声には明らかに切迫した響きがあって、何か常ではないことが起きたようでした。
「何があったのです!?」
寝具をかき集めて、それが身を守ってくれるかのように抱きしめて――それでも恐ろしいほど頼りないのですが――私は扉の外へ叫びました。
すぐそこに侍女たちが控えているはずでした。私というよりはお腹の子のために、すぐに駆けつけてくれるはずでした。ですが聞こえてくるのはやはり慌ただしい足音と、抑えても抑えきれていない、荒れた海の潮騒のような囁き声だけでした。
「何が……」
誰も来てくれないのでは着替えることも、すなわち出歩くこともできません。私はお腹を抱えてつぶやくことしかできませんでした。扉の外の音だけでも恐ろしいのに、胎児が騒ぎに呼応するかのように、子宮を内から蹴破ろうとでもするかのように荒ぶるのです。
早く、静まって欲しい。その願いは叶えられることなく、むしろ早すぎる夜明けが来たかのように、王宮のあちこちに灯りがともされ人が集まっているようでした。外の灯りは窓の外をわずかに白ませ、けれど私の部屋の闇を一層濃くするようで。
そして永遠にも思える時間が過ぎてやっと、扉が開く音がしました。同時に踏み込んできたのは、王妃付の侍女のひとり。私が信頼し、私を気にかけてくれている者でした。普段ならばあり得ないほどの無作法で、衣装の裾を乱して。私がお腹を抱えて蹲る寝台へ駆け寄ってきます。
「陛下が――狩りで怪我をなさいました」
そんな、と喘ぎながら、私はいつか陛下を見送った時のことを思い出していました。子が無事に生まれるかどうか、五体満足な男の子なのかどうか。恐れるあまりに、私は陛下がお帰りにならなければ良いと思ってしまったのです。
「お怪我は――ひどいのでしょうか」
白々しく心配そうな声を作りながら、私はそうに違いない、と確信していました。そうでなければ真夜中にこのような騒ぎになるはずがありません。私の心臓は、早鐘のように激しく打ち始めます。恐怖ではなく――期待によって。
「お気を確かにお聞きくださいませ」
私の心など知らない侍女は、力強く励ますように私の手を握ってくれました。その前置きがまた、私の期待を、希望を膨らませます。
「鹿に止めを刺そうと槍を構えた瞬間に、鐙が切れてしまったとか。それで落馬なされて――驚いた鹿が、お身体を……」
「ああ……!」
皆まで聞かずに、私は一声上げると顔を掌で覆いました。侍女は私の背を撫でながら、忙しなく医師を呼ぶように叫んでいます。心労のあまりに、胎児に悪い影響があるやもと恐れたのでしょう。このような場合だというのに、陛下のお命が危ないというのに、胎児は誰よりも何よりも優先されて気遣われるべき存在なのでしょう。
だから誰も見ていなかったはずです。私が一滴の涙も零していないことを。掌で隠した影で、口元では歪んだ笑みを浮かべていたことを。