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私は先の王妃様たちと直接お会いしたことがありません。あるとしたら遠目にお姿を拝見しただけ、あるいはお城に残された肖像画から面影を偲ぶくらいのものです。
だから、先の王妃様たちと言って私が思い浮かべるのは、何と言っても五人目の王妃様の死に顔なのです。私が輿入れする行列を恨めしげに見下ろしていた、無残な生首。いえ、見下ろしていた、などと思うのは私がそう感じたというだけ。何しろ私が花嫁のヴェールの隙間から恐る恐る見上げた時、その双の眼窩からはすでに眼球が失われていたのですから。……だから結局、私はあのお方の瞳の色も知らないのです。
まだお若い方でしたから、柔らかい肉は鴉などの良い餌食になってしまったのでしょう。頬の肉も削げ、赤黒く腐った断面からは骨と蛆虫の白が覗いていました。たなびく黒髪も、往時の艶やかな美しさよりは死神の衣装のような不吉さを感じさせて。あまりの恐ろしさに一瞬で目を逸らしてしまったのですが――でも、それゆえに決して忘れることのできない光景なのです。
だってそれは私の将来の姿なのかもしれないのですから。
大きなお腹のせいで息苦しくて、不安に苛まれて。浅い眠りの中で私は悪夢に魘されます。
血塗れの赤ちゃんを、素っ気ない手つきで検める医師や侍女たち。小さな足の間がまさぐられ、落胆の溜息が産屋を満たす。私はそれを自身への死刑宣告として聞くのです。
それから、ぐったりとして動けない私を見下ろす陛下の目。冷たいのにはっきりと怒りに燃えていて、役立たずだと私を責める目。
場面は変わって処刑場。私は絶えず悲鳴を上げながら白刃を見つめます。目を閉じたいのに、見たくないのに目を背けることができないのです。そんな恐ろしい場面を見たことなどないはずなのに、二人目の王妃様や五人目の王妃様のお噂で、どのようなものか知ってしまっているのです。
剥き出しにされた首筋の薄寒さも、押さえつける手の荒々しさ力強さも。石の台に頭を固定された時の、頬に刺さる石の冷たさもざらつきも。まるで本当にこの身で味わったかのように。
そして、振り下ろされる刃が起こす風を、首に感じ――
私は自分の悲鳴で飛び起きました。汗に濡れて荒く息を吐きながら、まず確かめるのはお腹です。重さも膨らみも、眠りについた時のまま。大丈夫、この子はまだ流れてはいない。この子は健やかに育ち――私を苦しめ続けている。
「王妃様!? どうなさったのですか!?」
「何でもないわ。怖い夢を見ただけなの」
侍女に答えながら、私の頬を涙が伝います。これほどの不安、これほどの恐怖を私は誰に打ち明けることもできないのです。陛下のお耳に入ったなら、世継ぎのためにもそのような考えは捨てろと叱られるだけに決まっています。そして赤ちゃんに何かあったなら、母の――私の心がけが悪かったのだと言われるのです。
私は、子供を授かることはもっと幸せなことだと思っていました。女と生まれたからには、お腹が膨らみ胎動を感じるのは至上の幸福なのだろうと。
実際は全くの逆でした。この子は私を殺すかもしれない子です。懐妊を待ち侘びていた頃よりも、今の恐怖はなおひどい。私はこの子が何より恐ろしいのに、この子の無事を祈るしかできないのですから。
分かりきっていたことですが、陛下は視察から無事にお戻りになりました。留守の間に部屋に立ち入った者がいると騒いで従者たちを恐懼させ、私をうんざりさせて。ご自身が何者かに狙われているという妄想もまた、王の権威が磐石ではないと思わせ、男の子への執着を強めているようなのです。
王の帰還を祝って晩餐が開かれますが、やはり私には楽しみなど何もない時間に過ぎません。当然のようにお酒など飲めないから、高まる熱気についていけない――などというのは理由の中でも些細なものです。
「御子は順調にお育ちのようですね。喜ばしいことです」
「ええ、ありがとうございます」
挨拶に現れる方の誰もが私のお腹しか見ていないから、期待されているのは王子だけだと思い知らされるから、というのも最早いつものことです。
浮かれ踊ったことで流産されてしまったという二人目の王妃様のことから、席を立つことさえ禁じられて鉄の枠で固められたようにひたすら料理を口に運び続けることしかできない窮屈さ。――それも、私が宴を楽しめない理由の全てではありません。
王妃の身動きが取れないからには、陛下に侍っているのは別の方です。視察にも伴われた、あの侍女。あの美しく妙に色気もある女が、陛下にお酒を注いで料理を取り分けて、甲斐甲斐しく世話をしているのです。
前の王妃様たちの中には、さらに前の王妃様にお仕えしていた方もいらっしゃいました。侍女として働くうちに、陛下のお目に留まった方が。
挨拶に答え、お二人そろって隅の席へ追いやられた王女さまたちを案じながら、私のお腹にはまた黒い思いが満ちていきます。
あの侍女は陛下の閨にも侍ったのだろうか。
お腹を潰してしまわないように、陛下はもう私を抱くことはおろか触れることさえ憚っていらっしゃるようです。ならば殿方の欲求は妻以外が晴らさなければならないのでしょう。――では、その役目は今は誰が負っているのでしょうか。身重の妻として、あるいは夫の気遣いを感謝しなければならないのかもしれません。
でも、もしあの侍女も陛下の御子を孕んだなどということになったら。情を交わした記憶の新しい女の方が、愛しく感じられるということはないのでしょうか。
「そろそろ夜も更ける。そなたはもう下がるが良い」
思い悩むうちに、陛下は私に命じられました。食事は既に終わり、後はお酒を主に楽しむ時間です。もちろんお腹の子のために、私はひとりで眠らなければなりません。
「――はい。失礼いたします」
陛下の隣で、あの侍女の微笑みは勝ち誇ったように艶やかなものに見えました。
「お義母様……」
部屋に戻ろうとする私を呼び止めたのは、王女様たちでした。大人の席に付き合うにはお若すぎる方々ですから、私と同じように晩餐の場から下がらされたのでしょう。
「あの女性は、見た目ほどにお若くはないのです。お義母様よりもずっと年上の方ですわ」
「だからご心配なさらないで。お父様もお義母様を大事に思っていらっしゃいます」
眉を寄せて口々に訴える王女様たちに、私は深々と溜息を吐きました。こんなお子様たちにも分かってしまうくらい、私は不安をあからさまにしてしまっていたのでしょうか。
実のお母様たちを思い出させてしまうでしょうに、なさぬ仲の私を思いやってくださっているのです。子供にこんな思いをさせるなんて――やはり陛下は残酷でひどい方。
「ありがとうございます。私は大丈夫ですから、王女様方もお休みくださいませ」
無理に笑顔を作って――とはいえ陛下に対するように恐怖からではなく王女様たちへの愛しさのために――おふたりを寝室へ向けようとすると、おふたりも心配そうな顔ながら就寝の挨拶を述べてくれました。
と、別れ際に、上の王女様が思い出したように口を開きました。
「あの侍女は未亡人だそうです。年若いご子息が領地を継いだばかりとのことで――だから、醜聞になるようなことはいたしませんでしょう」
「そう、ですか……」
王女様は私を安心させようとして付け加えてくださったのでしょう。でも、それは逆に私の不安を強めました。
それならあの女は男の子を生んだ実績があるということです。
暗闇の中で寝台に横たわりながら、私は目を閉じることができませんでした。眠ってしまえばまた同じ夢を見ることが分かっていたからです。
お腹の内側を蹴る胎児が憎たらしくてなりませんでした。もしもこの子が健常な男の子でなかったら、私は夢の通りに殺されるのでしょう。そして、あの女が次の王妃になるのでしょう。
私にはそれがほとんど決まったことのように感じられるのでした。