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五人目の王妃様の首が晒されていた城門を離れて、私は自室へと戻ります。その道の途中途中で、かつての王妃様たちの影に怯えながら。
城門へ至る道は、位を剥奪された一人目の王妃様が涙を呑んで通られた道です。
処刑された二人目の王妃様は、広間で踊っているその時に流産なさいました。床を汚した血がこの目にも見え、貴婦人たちの悲鳴まで聞こえる気がします。
亡くなった三人目の王妃様も、私と同じように大きなお腹を抱えて庭園を散策されていたことでしょう。
恐ろしく悲しく忌まわしい記憶に満ちたこのお城では、陛下がご不在の間も、私はひと時も心を休めることができないのです。
王妃様たちを悲惨な運命に追いやった陛下が、それを見過ごした臣下たちが、無事にお世継ぎが生まれると信じているようなのが信じられません。かつての王妃様たちだってもっと生きていたかったに違いないのに。男の子でも女の子でも、生まれる子供の誕生と成長を待ち望んで、ご夫君と支えあって老いていく。そんな生涯を夢見ていたに違いないのに。
それを無惨に奪われたあの方たちが、どうして御子の誕生を祝福してなどくれるでしょう。六人目のこの私だけが国母と称えられるのを、どうして喜んでくださるでしょう。むしろ恨みと憎しみの目でこの国の行く末を見ていると、私もあの方と同じように恐怖と屈辱に塗れた破滅へと引き込もうとしていると考えるのが自然というものではないでしょうか。
そう思うと、このお腹に宿っているのは先の王妃様たちの怨念であるような、可愛らしい赤ちゃんなどではなく黒くどろりとした何か、私を内側から食い破ろうとする恐ろしい化物のように思えてしまうのです。
五人目の王妃様が陛下に命乞いすべく泣き叫びながら駆け抜けられたという廊下を通り、私は軽く息を吐きました。大きなお腹のせいで歩くのがつらいということもありますが、恐ろしい逸話のある場所を無事に――たとえば見えない手に足を掴まれて転ばされたりということもなく――通り抜けられたと思うと、安堵で立ち止まらずにはいられなかったのです。
「王妃様、もう少しですわ」
「ええ、頑張りましょう」
五人目の王妃様の逸話が示す通り、この辺りには陛下のお部屋があります。そして王妃のための一角も、そのすぐ近くにあるのです。
息を整えたところでまた足を進めようとして――私は、二つの小さな人影に気がつきました。
「お義母様」
「まあ、王女様方」
手を握り合ってそこに佇んでいらっしゃったのは、王女様方――最初の王妃様のお子様の第一王女様と、二人目の王妃様のお子様の第二王女様でした。
上の王女様は十五歳、下の王女様は十二歳。いずれもお可愛らしく、まだお若い姫君方だというのに、私の懐妊が明らかになったことで宮廷からはまるでいないかのように扱われてしまっている方々です。
「このようなところで何をなさっているのでしょうか」
「塔の上からお父様をお見送りしておりましたの。私たちがお目通りしてはご不快でしょうから」
「そうでしたの……」
澄んだ声ではきはきと答えられたのは上の王女様。妹君もこくこくと細い首を頷かせていらっしゃいます。
実のお母様方の亡くなり方もあって、陛下は姫君方を何か不吉な存在のように考えていらっしゃるようです。そのようなことになったのは陛下のご決断なのに、優しく聡明な方たちだというのに、何とひどいことでしょう。お母様と死に別れたばかりか、お父様に甘えることも許されないなんて。
私をお義母様と呼んでくださるのも、家族というものが恋しいからに違いないと思うのです。この方たちが寂しく辛い思いをなさっている原因のひとつが私だというのに、いじらしい方たちです。力になって差し上げることのできない、非力な身が悲しくてなりません。
申し訳なさに俯いてしまった私の頬を、下の王女様が優しく撫でてくださいました。幼いながらに、才知で陛下を魅了したという母君様を思わせるきらきらとした瞳で微笑んでいらっしゃいます。
「それから、お義母様にお会いしようと。きっとこちらに戻られると思いましたから、お慰めしたいと思ったのです」
「そんな、王女様……」
「お義母様、最近ずっと浮かない顔をしていらっしゃるのですもの。ねえ、私たちの弟か妹に挨拶してもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。もちろん」
下の王女様は、まあ嬉しい、と呟くと少し屈んで私のお腹をさすって頬を寄せました。
「私も、よろしいでしょうか」
「お姉様方に気にかけていただいて、この子も喜ぶと思いますわ」
上の王女様も。妹姫様に並んで私のお腹に優しく話しかけてくれました。
「あ、動いた……!」
「元気な子ね。貴女のようにお転婆かも」
「嫌だわ、お姉様」
顔を見合わせて囁き笑い合う王女様たちの姿に、私は涙がこぼれそうになりました。お腹の子が男でも女でも構わないと言ってくれるのはこの方たちだけなのです。恐らくは女に生まれたために日陰の身となってしまったからこその優しさで――痛ましいことではあるのでしょうが、でも、それでも私には何よりの救いとなっているのです。
そこへ、侍女が遠慮がちに声を挟みました。
「王妃様、お疲れでは……」
「あ、申し訳ありません。お引き止めしてしまって」
慌てたように立ち上がった王女様たちに涙を見せないように、私は少し顎を持ち上げて目を瞬かせながら微笑みました。陛下に対して作るような偽りの笑顔ではなく、心からのものです。
疲れるなんてとんでもない。私の心身を削っているのは陛下とお腹の子の方です。血の繋がらない私を案じて訪ねて来てくださった王女様たちに、私は本当に感謝しているのです。
「いいえ、お気にかけていただいて嬉しいですわ。王女様方、よろしければこのまま私の部屋までお出でくださいませ。お茶とお菓子を用意いたしますわ」
自室で王女様たちと歓談するひと時は、楽しく和やかなものでした。
穏やかで思慮深い上の王女様。
朗らかでおしゃべりな下の王女様。
お茶をいただいた後は、刺繍をしたり、お勉強をお手伝いしたり。陛下と一緒では得られない貴重な安らぎの時間です。あの方は父親としては本当に冷たくて、王女様方のご成長にも全く関心がないようなのです。
王位継承権さえ与えられていないのがお気の毒で、何度もお願いして認めていただいたほどなのです。私が懐妊したことで――陛下は王子だと信じておられるので――王女様に王位を継がせる見込みがなくなったからと頷いてくださったのは、なんとも皮肉なことでしたが。
誰にも言えないことですが、私は密かに願っています。
お腹の子は女の子であって欲しい。陛下に似た男の子なんて恐ろしい。このお腹に宿っているのが、あの方のように殺し戦う性だとは思いたくない。
それよりは、女の子なら。王女様方もこれ以上肩身の狭い思いをなさらないで済むでしょうし、きっと喜んでくださるでしょう。
そして三姉妹で仲良く華やかに――。
そうすれば、私ももっとこの方たちの母親として認めてもらえそうな気がするのです。
王位は――上の王女様がお継ぎになれば良い。賢い方なのだから、しっかりとしたお婿様をお迎えすれば大丈夫、なのではないでしょうか。
私の命を奪うかもしれない願い、国のためにはならない願いではあっても、そう夢見ずにはいられないのです。