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 私は一体どのような顔色だったのでしょうか。きっとひどい顔をしていたに違いないと思うのですが、自室に戻るまでの道中、誰にも呼び止められることはありませんでした。女王様と王女様に挟まれているからだったのでしょうか。おふたりが曇りなく微笑んでいらっしゃるから、間の私も笑っているに違いないと、誰もが思い込んでいたのでしょうか。多分十年前から、私が本当はどのような顔をしているか、誰も気に留めていなかったのでしょう。




 自室にたどり着くと、女王様はお酒を運ぶように命じられました。そしてそれが叶えられると、御自ら杯に注いでくださって。妹姫様が私に持たせてくださいます。


「さあ、お義母様」


 もはやどちらの方のお声かも分からないまま、私は杯を口に運びました。注がれていた暗い色の液体は甘く苦く重く、喉を通る時に灼けるような痛みをもたらしました。強いお酒だったのでしょうか。むせてしまった私を、両側から女王様たちが飛びつくように抱きしめます。


「お義母様、私たちがどれほど嬉しいか、分かっていただけますか?」

「ご自身のお子様よりも私たちを選んでくださったのですね」


 お酒が急に回ってきたようで、頭がくらくらします。おふたりの高い笑い声も妙に頭に響きます。激しい眩暈を感じているのに、おふたりに挟まれて倒れることもままならなくて。ただ、喘ぐように呟きます。


「おふたりは……なぜ……」


 左右からくすくすという笑い声が耳をくすぐり、私の頭を揺らしました。


「そろそろではないかと思っていましたの」

「お義母様、弟に怯えていらっしゃっていたでしょう? それに、あの女も現れて――」

「可愛い子だから、どうなることかと思って見守っていたのですけれど」

「でも、お義母様を信じてお待ちしていて良かった……!」


 強いお酒と女王様たちの笑い声に酔いながら、私は何かおかしい、と思いました。おふたりは私が何を考えていたかをご存知のように聞こえてしまいます。私があんなに隠そうとしていたこと、誰にも告げずに胸の内に秘めていたこと。十年前の罪と、夫と息子への恐怖と疑い。誰にも――特にこの方たちには、絶対に知られてはいけないと思っていたはずなのに。


「あ……あの、わ、私……」


 王子の部屋で味わったものとは比にならない恐怖と混乱が私を遅い、言葉を詰まらせました。今日のあのことを見られたというだけではなかったのでしょうか。私は、この方たちの前ではごく普通の未亡人や母として振舞っていたつもりだったのに。全て、透けて見えていたというのでしょうか。

 私の醜い心の中を、恐ろしい罪をご存知の上で、どうしてこの方たちは何事もないかのように接してくださっていたのでしょう。


「大丈夫ですよ、お義母様。ご心配いりません」


 あの部屋で仰ったのと同じことを、妹姫様は繰り返されました。


「ええ、私たちはとても嬉しかったのです」


 女王様も、私の髪を優しく梳いてくださいました。十年前のあの夜の翌朝と同じように、とてもとても優しく。


「うれしい……?」


 妹姫様がまたお酒を注いでくださったので、私は夢見るような心地でそれを口に運びました。甘くて苦い。体の芯が熱くなって、頭の中もどんどんぼやけてしまいます。ただ、おふたりのお声だけが(もや)の中に響くよう。


「私たちも、ずっとお義母様をお守りしたかったのです」

「私たちの本当の母のようにはさせない、と決めておりましたの」


 おふたりのお母様。追放された一人目の王妃様と、処刑された二人目の方。その後の王妃様たちも、とても悲しく恐ろしい末路を辿った方ばかり。おふたりは、その全てを間近にご覧になっていたのでした。


「だから機会を窺っていたのですけれど。お父様もさすがに用心深くていらっしゃいました」

「本の頁の間に毒を塗ったり、扉の辺りに油を撒いておいたり。子供っぽい計画もありましたから、警戒させてしまったのですね」


 私の脳裏に、ある光景が蘇りました。

 狩りに出た陛下を見送った後、自室に戻る道中でおふたりにお会いしたことがあったはずです。手を繋いだ幼い王女様たちは、愛らしいのに頼る者のないお気の毒な身の上で――どうにか守って差し上げたいと思ったものでした。でも、それでは、あの時おふたりは陛下のお命を狙う罠を巡らせていたところだったのでしょうか。それを表面に出さないで、私を気遣うお言葉をくださっていたのでしょうか。


 陛下はお帰りになった後、留守の間に部屋に立ち入った者がいると従者たちを責め立てていらっしゃいました。ご自身が狙われているという妄想が、いもしない曲者の姿を見せていたのだろうと辟易していたのですが。陛下のあの恐れようは、十分に理由があってのことだったのでしょうか。


 何かが形を結ぶようで――でも、女王様たちの笑い声がそれを砕いてしまいます。


「あの(あぶみ)が成功した時には、間に合って良かったと思ったものですわ」

「あの頃、お義母様はとてもひどいお顔の色で……一刻も猶予はならないと思っておりましたもの」

「一番の手柄は鹿のものでしたけれども。でも、私たちも頑張ったのです」

「誰も私たちのことなど気にも留めておりませんでしたから。厩舎に出入りするのも、そう難しくはありませんでしたのよ」


 今夜は何と沢山のことが起きるのでしょう。罪を重ねて罪を暴かれ、守ろうとした方たちも罪を犯していたと知らされました。あまりのことに言葉を失い、考えることもままならないで。それでも、私はあの夜のことが語られようとしているのを悟って、身体を強ばらせました。その首筋や肩の辺りも、おふたりが両側から優しく揉みほぐしてくださるのですが。


「あの夜、私たちもお義母様の後にお父様へ今際(いまわ)のご挨拶をするはずでした」

「さすがに最期にあたっては、お父様も私たちのことを思い出してくださったようですので」

「一体何を言われるのか――こちらからは何を言ってやろうかと、とても楽しみにしていたのですけど」

「でも、そうしたらお義母様の悲鳴が中から聞こえたのです」


 やめて……殺さないで!


 ちゃんと死んでよ! 早く!


 私にも、自分自身の悲鳴が時の彼方から聞こえました。あの時、私は本当に殺されると思ったのです。だから何とか逃げなければ、身を守らなければと思って。でも、実際に殺したのはこの私、殺されたのは――既に瀕死の傷を負っておられた――陛下の方でした。


 どうして誰も不審に思わないのか。どうして誰も私を疑うことがないのか。自身の無事に安堵しつつ、私はずっと不思議でならなかったのです。その答えは、先ほどやっと明らかになりました。


「おふたりが……覆い隠してくださったのですね……」


 私の罪を。


 私の頬に、両側から口づけが落とされました。女王様と王女様から、頷く代わりに肯定の証として。


「私たちはお義母様を守ろうとした」

「お義母様は私たちを守ろうとしてくださった」

「私たち、同じことを考えていたのです」

「とても嬉しかったから――」


 だから、おふたりは私を庇ってくださった。


 妹姫様が王子の死体を整えたのを見た後では、その様が目に浮かぶようです。陛下は寝台から身体を乗り出して私に掴みかかろうとなさっていました。体格の優れた方でしたから、おふたりの力で寝台に寝かせるのはさぞ難儀されたでしょう。血と膿で手や衣装を汚されたかもしれません。それは、破水した私を介抱したからだと説明されたのでしょうか。

 お顔も、きっと恐ろしい形相をなさっていたはずです。本当に眠りながら死んだ――殺された――王子とは違って、表情を誤魔化すのは大変だったはず。それも、人が来る前にやり遂げなければならなかったはず。王が逝去したとなれば、その葬儀には多くの者が関わるのですから。

 とてもお若かったおふたりがよくぞ成し遂げられたものです。政を導かれる今の聡明さ忍耐強さは、あの頃から培われたものだったというのでしょうか。


 おふたりの手腕と胆力に感心したような……十年来の懸念が解けたことに安堵したような……奇妙にすっきりとした感慨が私を襲います。


 けれどまだ全ての謎が解けた訳ではありません。


「なぜ、陛下を――父君様を、そこまで……?」


 おふたりが私を庇ってくださったのは嬉しいことです。まだ幼く、ご自身も寄る辺ない身で、なさぬ仲の私のために手を汚してくださったなんて。でも、私が手に掛けたのは、寄りにも寄ってこの方たちの実のお父上なのです。どうしてその罪を暴かずにおいてくださったのでしょう。


 いいえ、何よりも。今までの(おっしゃ)りようでは、おふたりも陛下のお命を狙っていたかのようではなかったですか。あの狩りでの事故も、実は事故ではなくておふたりの細工があったということではないですか。


 とても優しい方たちが、どうしてそのようなことをしたのでしょうか。疑問と恐れを込めておふたりを交互に見やると――


「なぜ? 許すはずがないでしょう」

「あの方は私たちの母を殺したのですよ」


 女王様も王女様も、晴れやかな笑顔で答えてくださいました。

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