第3話 極東へゆくのユダヤ人
大正11年11月17日(1922年)
午後4時
神戸
「ここが日本か」
「アインシュタイン博士、ようこそ日本へ」
「石原純、久しぶりだね」
「いえ、私は、こっちです。そちらは帝都大学の長岡教授です」
「ああ、失礼」
「お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ、ラフカディオ・ハーンが記した美しい、そしてユダヤ人が移民している日本をみてみたいと思いましてね」
12月
23,24日には
九州で公演や視察をした際、多くのユダヤ人と出会い
楽しいひとときを過ごした
その後26日にでる予定が、船の都合と、同胞の人たちとの飲み会で、29日に出航した
29日午後4時
「貧乳しかいなかったな」
「アインシュタイン博士、奥様に聞かれたら、離婚を突きつけられますよ」
「大丈夫だ。聞かれてはいないよ、ミレーバの時は慰謝料が痛かったがな」
「確かに、ノーベル賞の賞金でしたからね。まぁ、浮気に家庭内暴力もすればそうなりますが」
「そうだな、しかし年越しをする前に日本を出ることになるとはな」
「確かに、ですが、これからの仕事もありますし」
「そうだな・・・・・・また、来てみたいものだな、日本に」
「ええ、そうですね」
その後、アインシュタイン博士は、11年後の1933年に、米独仏ソのいずれも身の安全が保障しきれないと判断
ユダヤ人の最大の亡命先、日本へ向かうのだった