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あなたの愛情が欲しいのです。

 


 “今日の夕飯はハンバーグ!”


 確認したそのメール内容に、樫原清吾カシハラセイゴの表情が思わず緩んだ。


 “定番のデミです。チーズはオンですか、インですか。それとも目玉焼きですか”


 仕事が終わった頃だと判断して送ってきたのだろうそのメールに、思わず清吾は画面を見て笑ってしまう。


「……あら、なーに? すごい嬉しそうな顔しちゃって」

「あ、すみません」


 その様子をうっかり店長である松崎マツザキに見られ、清吾はケータイを素早く胸ポケットに仕舞うと、軽く頭を下 げてから止まっていた手を再び動かし始める。


 清吾の現在の仕事場は緑豊かな公園脇にあるカフェだ。

 “clover”という店名通り植物に囲まれたこの場所には、癒やしを求めてやってくる客が大半を占めている。

 客層としては八割方女性であったが、軽食メニューも揃っている為、男性客などは一度来ると常連になるこ とが多い。


 その常連である最後の男性客を先ほど送り出し、今は閉店作業の最中だった。


 閉店後の清掃時間とはいえ仕事中には変わりない。

 目くじら立てて怒るような人ではないがけじめはつけなければ、と清吾は気を引き締めたのだが。


「ふふ、見てたわよー。メールの相手は大事な人なのかしら?」


 逆に松崎の方から興味津々、といった感じに水を向けられる。

 仕事も終わって一息ついたせいだろうが、それには清吾も苦笑いするしかない。


「……そんなにわかりやすい顔してましたか…?」

「あらあら。自覚なかったの?」

「まあ、その…」


 照れたように視線をさまよわせる清吾の珍しい態度に、松崎は眼を丸くした後に小さく笑った。


「…そうねぇ。清吾くん目当てのお客さんたちが見たら、それこそ大騒ぎになりそうなくらいあっまーい顔 してたわよ?」


 さすがにその言葉には清吾も曖昧な笑いしか返せない。


 人目を引く清吾の華やかな美貌は、店で働き始めた時から常に女性客の注目の的だ。 その容姿と接客対応で女性の集客力ナンバーワンを誇る清吾は、存在の有無で客足を左右するこの店の看板 ウエイターでもある。


 インテリアや入りやすい雰囲気にこだわるよりも、清吾一人が店内にいる方が売り上げアップには効果的な のだと、松崎には半分愚痴混じりに言われたこともあった。


 今では招き猫ならぬ招きウエイター呼ばわりされている清吾だ。


 そんなこともあり、清吾が見せた優しい表情に松崎が興味を持たないわけがない。


「メール一つであんな顔になっちゃう相手がいるんなら、余所見する暇もないはずよねぇ」


 腕を組み、うんうんと頷きながら納得、とばかりにそう言われ、清吾は返す言葉に困る。


 だが本人の意識はどうあれ、どれだけ綺麗な女性客に言い寄られても色よい返事をしない清吾は、名実とも に“高い男”であった。


 昨日もここしばらく店に通い詰めていた女性客からの誘いをあっさり断った清吾である。


 その女性客は稀に見る美人だとウエイターたちの間で話題だったのだが、清吾は躊躇うことなく振った。客 対応そのままの申し訳なさそうな表情で。


 おそらく彼女はもう店に来ないだろう。容姿に見合ってプライドの方も相応に高そうであったからだ。


 そんな不可抗力で時々客を減らしてしまう清吾だったが、それに対して店長である松崎は。


「色男も大変ねー」


 立場以前にあまりの清吾のモテっぷりに同情的なようだ。

 モテる男にはモテる男なりの苦労があることを清吾を見て知ったらしい。

 それも客相手では尚更。当たり障り無く振るのも意外にテクニックが必要だということに。


 そういう店長の松崎は、一流企業の高給取りだった前職をすっぱり辞めてこのカフェを始めたという思い切 りのいい人だ。

 せかせか時間に追われる仕事はもううんざりだと、ゆったり出来る空間が欲しいと思い立って作ったのがこ の店らしい。

 店で働くスタッフもその時の人脈を駆使して揃えたというのだから、彼女の顔の広さが伺える。


 店内はその高給取りだった時代に、彼女が趣味で集めたアンティーク家具で占められている。照明や店内に 流れる曲もシックに纏め、落ち着いた雰囲気の店だ。


 この空間自体を気に入って常連になる客も少なくない。

 更に店の奧には個室を二つほど備えており、人目を気にせず長居出来る点も受けていた。客の回転率を気に することなく、ただ本当にゆったり出来る場所を求めた松崎自身の考えが反映されている。


 そんな形態の店ということもあり、収支のことはあまり考えずに始めたらしいのだが、清吾のおかげで予想 外に黒字幅が大きい、と松崎は笑う。


「でもそっかー、大事な人が待ってるんなら早く帰してあげないとねぇ。もういいわよ、先に上がって」

「え、でも」

「とっても珍しい顔見せてもらったから、たまにはね」


 おまけ、そう言って清吾が持っていたモップを取り上げた。


 手をひらひらと振ってくる松崎に、清吾は少し躊躇うものの。

 結局はその気遣いを有り難く受けることにし。


「じゃあすみませんが、お先に失礼します……お疲れさまでした」

「はい、お疲れさま」


 会釈すればにっこり笑顔が返される。

 このさっぱりした気質から、松崎は清吾にとって非常に付き合いやすい相手だった。上司という観点以上に 人として気持ちの良い人だ。


 そうしてすれ違うウエイター仲間に軽く声を掛けつつ、更衣室で着替えを済ませて店外に出た清吾は、すぐ さま家で待っている相手へと電話を掛ける。


『─────はい。清吾?』


 数回の呼び出し音の後、通話口から聞こえてきた柔らかな声に、清吾の顔が再び綻ぶ。


「ああ。今から帰る」

『仕事お疲れさま。で、どっち?』

「目玉焼き」

『おっけ。美味しいご飯用意してお帰り待ってるわ、ダーリン』

「…もういい加減さっさと嫁に来いよ、ハニー」

『あはは。ノリ良くて嬉しいけど、そういう台詞は可愛い女の子に言うべきですよ清吾さん。じゃ、気をつ けて帰ってきてね』


 そう言ってあっさり電話を切った相手は、些細な軽口が清吾の気持ちを翻弄していることに気づきもしない のだろう。


 これまでも似たような会話を幾度となくしているのだが、その度にかわされ続けている清吾の口からは思わ ず溜め息が漏れた。


 一昨日から清吾のマンションにやってきた篁世津タカムラセツは、実に甲斐甲斐しく清吾の世話を焼いている。

 置いてもらうからにはこれぐらいしないと、そう言って。


 まさしく新婚生活と言ってもいいくらいに至れり尽くせりな状況なのだが、しかしこれは一週間の期間限定 でしかない。


 おそらく他の男の元にいた一年の間、なおざりにしてきた罪滅ぼしのつもりなのだろう。 だがその妙な気遣いが、余計にこちらの気持ちを惑わせるのだといい加減気づいて欲しい。


 ストレートに気持ちを伝えようが遠回しに伝えようが、世津にはその都度すべて冗談と流される。

 軽口を振ってくる割りには、最後の肝心な部分でやんわりと拒否する。そういった意味で決してこちらに言 質を与えようとしない。


 度重なるそれに、最初は意趣返しなのかと思っていた。今更『好きだ』なんてふざけんな、という。

 自らの過去の所業を振り返ってしまえば、強ちそれも穿ち過ぎとは思えない清吾だ。結局はその度 に曖昧な態度で引き下がってきた。


 それでも諦めることなど今更出来なくて、どれだけ流されようが冗談だと思われようが、再会してから は緩急交えて世津を口説いてきたのだ。


 その過程で、世津には不思議な思い込みがあることを知った。

 何故だか世津は自分に対する好意というものを基本的に信じていない。


 その根底にあるのは自分が好かれるわけがないという、不可解で前向きなネガティブさ。

 だからこそ罵られようが適当にあしらわれようが気にしない。そうされることが当たり前だと思っているか らだ。


 優しくされて、好きだと言われて嬉しいと笑うくせに、そこにあるのは同情やリップサービスだと信じて疑 わない。


 その世津の特殊な思考回路こそが、気持ちを伝える上での最大のネックとなっていた。


 その上、世津には清吾以外にも二人の“男”がいる。

 正確に言えば“世津が過去に惚れた男”が二人、と言うべきか。


 双方共に体の関係があったわけでは無いことは確認済みだが、この二人が非常に清吾にとって厄介な相手だ った。

 清吾を含めた三者共に、同族嫌悪とも言うべき感情をそれぞれに対して抱いていることは、簡単に察しがつ く。何せ揃いも揃って世津に対しては同じような関わり方をしてきているからだ。


 そしてこれまでの経験上、この先にもう一人増えるだろうことは明白だ。

 確実にやってくるその未来の前に、清吾はどうにか世津との距離を縮めたいと思うのだが。

 今回も清吾の所に来る前に、世津が前の男の元にいたのを知っている。清吾の後は次の男の所へ行くだろう ことも。


 それも世津からすれば清吾たちが言ったことを律儀に守っているに過ぎないのだ。

 何かあったら頼れと言われているからこうして顔を見せ、久し振りなのだから構えと言われたから構う。


 そういった所は六年前から変わっていない。


 変わったのは、互いが向ける感情だ。












 世津と初めて出会ったのは、今から六年前の秋。


 清吾が高校時代から想いを寄せている親友との関係に苛立っていた時、飲みに行ったバーで隣合わせた世津 に絡んだのが切欠だ。


 酔いに任せて愚痴混じりに色々と好き勝手に話した記憶はあるものの、肝心の内容は頭からすっぽり抜け落 ちていた。

 それでも世津に言われた言葉だけは耳に残っていて。


『……言わずにいつまでそうやってるつもりなの?』


 素朴な疑問といった感じのそれに反感を覚えた清吾が、世津を自宅マンションに引っ張り込んで絡み続けた のが始まりだ。


 片想いの相手である親友の言葉に振り回されては荒れる清吾に、だが世津は嫌な顔一つせず傍にい てくれた。

 呼び出しておきながら鬱憤晴らしに女を連れ込んでいても、潔癖な親友のように嫌味を言うでも無く。


 そうしていちいち呼ぶのが面倒だから、と共に暮らし始めて二カ月が過ぎた頃。


 清吾を『好き』だと言い出した世津を追い出さなかった時点で、もう気持ちは決まっていたのだと今ならわ かる。


 そのことに気づきもしなかったかつての自分の馬鹿さ加減が疎ましい。

 もっと早く自覚していれば、今でも世津は清吾を好きだと言ってくれていたのだろうか。


 そんな詮無い想像をしてしまうくらい、世津に去られたあの日は、清吾にとって忘れられない最悪の日だっ た。












 その日は休日ということもあり、しばらく家に招くこともしていなかった親友の陽太ヨウタを伴って外出から戻っ たのだ。


 そしていつものように鍵を開けて入ってみれば、出迎えたのは静まり返った暗い部屋。


 普段は清吾が帰る時間には食事の支度も完璧にしてある部屋が、何故かその日は違った。


 人の気配が感じられない様子に、清吾は不思議に思うよりも先に眉を顰め。


「─────世津…? いないのか?」


 電気を点けて声を掛けるが、応じる言葉はなく。

 帰る前に掛けた電話も通じなかった為、おかげでその時の苛立ちが再びぶり返して来て。自然と口角が下が った。


「あー、つっかれたー」


 だが鞄を床に放り投げてソファにダイブした陽太の声に、意識を逸らされる。


「清吾ー、オレ喉乾いたー」


 その遠慮のない陽太の言葉に清吾はつい嘆息する。

 高校時代からまるで変わらないその態度には呆れるが、それを何だかんだで許してきたのも清吾だ。


 今に始まったことじゃない、と要望に応えるべくキッチンの冷蔵庫へと向かいかけ─────ダイニングテ ーブルに置かれていたものに眼が止まった。


 そこにあったのは食事の代わりというにはあまりに味気ない、一枚のメモ用紙。


 何の気なしにそれを取り上げた瞬間─────清吾の表情が凍りつく。




『出て行きます。ごめんね、ありがとう』




 出て行きます。


 でていきます。


 デテイキマス。


 視界に入ってくる字を拒絶するかのように、脳裏を上滑りしていく。


 …出て行きます?


 ……誰が?


 ………世津が?




 ─────バカな。




 そこに書かれている内容から清吾が眼を離せずにいた時。


「おーい、のーどーかーわーいーたってば」


 しばらく待っても飲み物を持って来ない清吾に痺れを切らしたのか、陽太がソファから起き上がってやって くる。


 そしてテーブルの前で立ち尽くしている清吾を見つけて口を尖らせた。


「清吾ー、もう何してんだよ」


 茫然と立ち竦んでいる清吾を脇からひょいと覗き込み。


 清吾が手にしていた紙を見て首を傾げるも、その文面を眼にした途端、やけに明るい声を上げた。


「あ、やっと出てったんだ」


軽い調子で告げられたその言葉に、清吾は耳を疑った。


「─────……やっと…?」


 信じられないものを見るように向けた視線の先で、だが陽太は嬉しそうに笑っていた。


「ああ。だっておまえホモじゃねーのにさー、あんなのにいつまでも居座られてたら困るだろ? だから言っ てやったんだよ、この前」


 当然の顔で清吾の為にしてやったと言わんばかりの陽太に、愕然とした。


「最近マンション入れてくんなかったのもアイツのせいだったんだろ? なんだよー、オレに言えばすぐ追い 出してやったのに」


 更には悪びれもせずに嘯いた陽太に、怒りで眼の前が真っ赤に染まる。




 ─────ソンナコト誰ガ頼ンダ?




「大体、人んち上がり込んで図々しいにも程があるよなー。いい加減迷惑だってことわかれよ、って、なあ ?」

「─────何を、言った?」

「…清吾……?」

「あいつに何を言った!?」


突然怒りを露わにした清吾に、陽太は虚をつかれたような顔をする。


「は…、なに…」


 清吾の剣幕に怯んだのか、陽太は一歩後ずさった。


 苛立ちのまま清吾は陽太の襟元を掴み掛け─────だが途中でそれどころじゃないと思い直す。


 清吾がマンションを空けていたのは約二時間。

 その間に世津が荷物を纏めて出て行ったのなら、まだそれほど遠くには行っていないはずだ。


 一瞬で陽太に対しての興味が失せた。


 清吾はケータイ片手に世津の番号をコールしながら、部屋の机やクローゼットの中を片っ端から確認して行 く。


 リビングに寝室、風呂場やキッチン、果ては玄関の靴箱まで。


 だが嫌がらせのようにきっちり整頓された場所から、世津の物は小物に至るまですべてが無くなっていた。


「…な、なあ…清吾」


 躊躇いがちに呼び掛けられる声にも清吾は反応しない。

 それどころじゃないというのもあったが、陽太の存在を視界から消したいほどに苛立っている現れだった。


 そもそも世津と陽太が初めて顔を合わせたのはまだほんの五日前のこと。 終電を逃したという理由で陽太が深夜に清吾のマンションに転がり込んできたのが原因だ。


 その時初めて世津の存在を知った陽太が、驚いた後で一瞬顔を歪めたのを清吾は見逃さなかった。


 “可愛い”の褒め言葉を頻繁に言われるほどの女顔である陽太は、過去に男相手で不快な思いを何度となくし ている。その為、事あるごとに『男同士なんて気持ち悪ィ』と吐き捨てるのを清吾は聞いていた。


 だからこそ、清吾は世津を家に入れた経緯も理由も陽太には話していない。

 五日前のイレギュラーな顔合わせの際にも、ただ部屋をシェアしている、とだけしか清吾は言わなかった。


 それなのにやたらとそういう部分で鼻が利く陽太は、あの短い時間で清吾と世津の間に流れる空気から察し たらしい。


 そうして悪意に満ちた先入観で勝手に気を回した挙げ句、おそらく聞くに耐えない罵り言葉を陽太が世津に 告げただろうことは、これまでの言動から想像に難くない。


 この時、怒りに震えるという感覚を、清吾は初めて知った。


 だが今は何より世津だ。


 どうにか連絡を、と何度もリダイヤルするが、聞こえてくるのは繋がらない旨のメッセージ。


「…ちッ!」


 苛立つ衝動のまま清吾はケータイを床に叩きつけ。


「おい、清吾…っ」


 伸ばされた手を振り払い、清吾は僅かでも世津の痕跡が残されていないか更に部屋中を探し回る。


 元々、世津が持ち込んでいた物は多くない。

 服に至っては季節ごとに自分のマンションに取りに戻り、ここにはいつだって必要最低限の物しか置くこと はしなかった。


 そこでふと甦った記憶に清吾の手が止まる。




『だってこの先どうなるかなんてわかんないし。後悔しないように、好きな相手には言葉と態度で精一杯好 きって伝えたいだけだよ、俺は。だから別に応えてもらいたいわけじゃない』




 性別など関係ない、陽太だから好きになったのだと。だからどれだけ尽くされても、自分が世津を受け入れ ることは無い。なのに何故、と聞いた時に返されたその答え。




 ─────そうだ、世津は期待していなかった。想いを返されることを。




 そう思い至った途端、清吾は虚脱してソファへ崩れるように座り込んだ。 震える両手に顔を伏せ。




 ─────あれだけ可能性は無いと言っておきながら、今更連れ戻して何を言うつもりなのか。




 何より、そんな相手の言葉を信じられるのか。

 自らの発言に首を絞められるとはこのことだ。


「あの、清吾……」


 そんな清吾の様子を少し離れた所で見ていた陽太が、そこでおずおずと近づいてきた。

 だが今はその陽太の存在自体が清吾のささくれ立った意識を逆撫でする。


「─────出てけ」

「……せい、ご…?」

「…今おまえの顔見て殴らない自信がない─────出てってくれ」


 その低く冷たい声に、陽太が息を呑んだのを清吾はやけに醒めた頭で聞いていた。


 これまで同じような言動で女たちを追い出してきた陽太に、だが清吾は一度だって怒りをぶつけたことは無 い。何をされても何をしても、いつだって許してきた。 そこには確固たる優先順位があったからだ。好きな相手と成り行きで関係した相手。どちらを優先するかな ど決まりきっている。


 しかし今、清吾の中で陽太に対する憤り、苛立ち、嫌悪が、一気に膨れ上がっていた─────あんなにも 好きだった相手だというのに。


 自分のことながら随分と薄情だと思う。

 それでも今の清吾に感情を取り繕うことは出来なかった。


 世津に出て行かれたのは陽太のせいではない。これまでの自分の態度が原因だとわかっている。

 だが、理解しているからといって納得出来るかといえばそれは別なのだ。


 常ならば適当に宥めて穏便に帰すだろう陽太を気遣っていられないくらいに、清吾の感情は荒れていた。


 もしも陽太の言葉が世津に出て行く決心をさせたのだとしたら、すべてを責任転嫁させて理不尽に罵ってし まいそうで。


 顔を見ずに帰ることを促したのは、清吾にとって好きだった相手への最後の情だった。


「なん、で…清吾……」


 陽太は初めて清吾に突き放されたショックからか、その場で立ち尽くしたまま動こうとしない。

 以前のように優しい言葉で宥められることを期待しているのが、手に取るようにわかった。

 だが。


 気持ちが決まってしまった清吾にこれまでのような甘さを期待されても困る。

 もう清吾は“陽太”ではなく、“世津”を取ると決めてしまった。

 その為の障害となるようなら、“陽太”は切り捨てる。


「違うんだ─────世津が、じゃない。俺が、世津を好きなんだ」

「ッ、でも清吾は俺のこと」

「前は!」


それでも言い募ろうとした陽太の言葉を、清吾は強い口調で遮り。


「確かに俺はおまえが好きだった! でもそれは一年前までだ」

「…なん、で…」


 傷ついたと言わんばかりの陽太の掠れ声に、清吾は顔を歪める。


 清吾の気持ちを言葉と態度で散々牽制しておきながら、いざ気持ちが離れかけると取り縋ろうとする。


 男同士を殊更に否定する陽太の微妙な心理に、清吾は気づいていた。 牽制と同時に戒めでもあるのだろうと。


 時折見せられる物言いたげな視線に気づかないわけがない。ずっと傍で見てきた相手なのだから。 そこには確かに親友以上の熱があった。


 ただ陽太にとって性別というのは越えられないハードルだったのだろう。決して認めることが出来ないくら いには。


 今の関係を壊さないように、だが自分以上の存在が清吾に出来るのは許せず邪魔をする。身勝手な矛盾した 気持ち。応えられないくせに、相手の特別であることには固執する。


 狡いとは思う。だが、清吾自身もそんな陽太の態度に複雑な安心感があったのは確かだ。

 気持ちが叶わなくても、執着されている自分というのものに。


 清吾が気持ちを告げれば壊れる関係。その繋がりの脆さ。

 関係の変化を恐れる陽太の気持ちを仕方ないと思いながらも、消化出来ない鬱屈を偶々知り合った世津にぶ つけるだけぶつけた。

 そんな自分を『好きだ』と言う世津が信じられなくて、より一層強く当たったこともある。


 しかしどれだけ理不尽な苛立ちを見せようと決して離れていかない世津に、清吾の気持ちは次第に凪いで行 った。

 世津はどんなに情けない姿を見せても幻滅も失望もしない。ただ清吾のすべてを受け止める。




 ─────世津は陽太とは違う。




 気づいた時には転がり落ちるように世津へと気持ちが傾いていた。

 そこにあったのは、安心から来る依存。反動から来る執着。不純な劣情。

 それでも今更どう態度を変えていいのかわからず、それまで以上の素っ気ない対応しか出来なかった。

 それが、五日前に世津と陽太が会ってしまったことによって変わった。


 今日、陽太を連れて来たのは、世津のことを話そうと思っていたから。

 はっきり告げることで陽太への気持ちを清算し、ちゃんと世津と向き合おうと思った矢先に。


 世津が、いなくなった。


 今、白く濁った頭に浮かぶのは『何故』の文字。

 何も与えてやらなかったくせに裏切られた気分だった。

 

 それでも冷静な部分では当然だと思う自分がいて。


 感情の捌け口の為だけに利用して傍に置いていた自分が、今更『好きだ』なんてどれだけ都合がいいのか。


 清吾に陽太を責める資格などない。


 応えられないくせに手放してやれない、そんな自分たちは、結局似た者同士だった。


 だが気づいたなら、後は腹を括るだけだ。




 ─────世津を、全力で奪りに行く。




「………悪いが、もう来ないでくれ。“男同士は気持ち悪い”んだろ」


 かつての言動を引き合いに出せば、沈黙の後に遠ざかっていく足音。


 がしゃん、とドアの閉まる音に、清吾は滲んだ未練を振り切るようにきつく目蓋を閉じた。








 その後はとにかく世津を探すのに必死だった。

 唯一の接点だったバーに通っては情報を集め。

 似た人物を見掛けては追い掛け、人違いだと知っては落胆し。


 そんなことを繰り返しながらようやく世津を捕まえられたのは、一年と二ヶ月後。


 気づけば向けるベクトルが入れ替わっていた。


 世津が清吾に向けていた愛情は形を変え、今では良くて友情止まりだ。 逆に清吾が世津に向ける感情はあの時とまるで違う。


 切迫した飢餓感。

 世津から自分以外の男の話を聞かされる度、頭の芯が冷たく凍えた。 欲しくて─────欲しくて。

 一度は手にしていたものだからこそ、余計に欲しいのだ。優しく暖かな熱の籠もった感情が。


 あの時もっと早く気づいて手を伸ばしていれば、世津は自分だけのものであったはずなのに。


 この五年、後悔なら嫌と言うほどした。


 いつまでも続く愛情など幻想だ。

 それが一方的なら尚更、終わる理由なんてどこにでも転がっている。

 愛情というものは互いを思いやり、気遣い、尊重し、その上でようやく続いて行くものなのだと。


 今では以前のような視線が世津から向けられることはない。

 そこにある変わってしまった温度を、考えずにいられない。










 世津の声の余韻を手繰り寄せるように、清吾はケータイを両手で包み込んで額に当てる。


「─────五年、か」


 そうして見上げた夜空は星一つ見えない曇り空。

 世津との先行きを暗示しているようで、清吾は小さく自嘲した。



 だがそれでも。

 そんな資格も権利もないとわかっていても。




「今度『好きな人ができた』とか言われたら─────監禁でもするかな」




 軽口のようで真剣味を帯びた呟きが、清吾の口から滑り落ち、夜の空気に溶けて消えた。











樫原清吾(カシハラセイゴ)→世津の二人目(?)の男。片恋相手とのどうにもならない鬱憤を世津にぶつ けていた理不尽な人。後に気持ちが世津へと向くも、本命相手にはヘタレという致命的な奥手さが仇となり 世津を逃がす羽目に。再会してからは頑張ってアプローチしているものの、ライバル以上に手強い世津の思 考回路に四苦八苦。最後にはヤンデレになりそうな片鱗がちらほら。


篁世津(タカムラセツ)→かつての想い人だった相手の所へ一週間ごとに出張お世話中。現在二人目。何だ かんだで色々構ってもらえて嬉しい気持ちはあります。が、史秋の時同様、口説かれても本気にしません。


陽太(ヨウタ)→清吾の高校時代からの親友で片恋相手だった男。無意識下で清吾を想っていた為、彼に近 づく相手を良く思わず排除していた。世津を追い出したせいで清吾に突き放され、現在は絶縁状態。



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