あなたの恋情が欲しいのです。
「冷めた」
顔を合わせた瞬間そう端的に告げられ、椎葉史秋は小さく苦笑した。
人の家を訪問するにはまだ早い午前六時。
Tシャツとスウェットというラフ過ぎる姿に鞄一つ、という出で立ちで現れた篁世津を、史秋は当然のよう に部屋の中へと招き入れた。
“今日、今から行ってもいい?”
短く用件だけが記されたメールに、史秋が了承の返信をしたのはつい一時間前のこと。
「…今回も随分と唐突だな」
「うん…、ごめんね、こんな朝早くから」
その手から鞄を引き取ってリビングのソファへと促せば、世津は申し訳無さそうに眉を下げた。
「構わないさ。時間を気にするような仕事じゃない」
その言葉通り、ジュエリーデザイナーという仕事をしている史秋にとって、時間というものはさほど気 にするものではない。
ましてや二日前、ここしばらく携わっていた仕事の方が一段落ついたばかりの所だった。
それもそろそろ世津から連絡が来るだろうと見越してのことだ。
鞄をテーブル脇の一人掛けソファに置いてからキッチンへと向かい、世津用のマグカップを取り出して丁寧 にカフェオレを淹れてやる。猫舌な世津でもすぐ飲めるように温めの温度で、ミルク多めの砂糖無し。
「……それで、今回はいつまでいられる?」
ソファに座った世津へ、彼の好みに気を遣って淹れたそれを手渡してやりながら聞けば。
「わ、ありがとう。んーと…、さっき清吾と邦宏にメールしたから……、今回も一週間お世話になっていい? 」
「…別にずっといてくれても構わないんだがな」
「ははっ、またまたー」
掛け値なしの本心を言っても世津に冗談として流されるのは、今に始まったことじゃない。 この五年、幾度となく似たような会話を繰り返して来たからだ。
だからといって落胆を覚えないわけではなく。
「ん、美味しい」
「…なら良かった」
それでも世津から笑顔を向けられてしまえば、途端に嬉しさの方が勝ってしまうのだから、我ながら単純だ とは思う。
小さく息を吐きつつも、自分用に淹れたコーヒー片手に彼の隣へと腰を下ろせば、早々に飲み干したらしい マグカップをテーブルに置き、世津が肩にもたれ掛かってくる。
肩口に寄せられた手触りの良いその艶やかな黒髪を撫でれば、世津は気持ち良さげに眼を細め。
「ちょっと寝てもいい? 昨夜はあんまり寝られなかったんだよね」
「ならベッドに…」
世津のその眠そうな様子に、持っていたカップを置いて史秋がすぐさま寝室のベッドメイクに行こうとすれ ば。
「んーん。三十分くらい寝られればいいから。起きたら俺がごはん作る、し…」
そう言ったかと思うと、世津はずるずると頭を史秋の腿へと移動させて眼を閉じた。 所謂膝枕という状態だ。
「…寝心地は良くないと思うんだが」
「そうでもない、から……しばらく付き合って…ね」
それからすぐに聞こえてきた寝息に、史秋は目許を緩ませる。
史秋の腹に額を押し付けるような形で体を丸めて眠る世津の、以前には見られなかったこうした甘えが何よ り嬉しい。
三歳下の世津と初めて出会ったのは、史秋が二十一の時だ。
便利屋のような仕事を請け負う会社に史秋が不用品の処分を依頼した際、そこで働いていた世津と知り合っ たのが始まりだった。
それから八年。
間に連絡がつかなくなった期間があったとしても付き合いとしては結構な長さだと思う。
連絡がつかなかった期間の要因が、今さっき世津の口から出た『清吾』と『邦宏』、そして今日彼が去って きたばかりの部屋の持ち主である男の三人だ。
皆、例外なく世津がこれまでに惚れて世話してきた男たちである。
接していてわかったことであるが、世津は基本、好きになった相手には全力で尽くす質であった。
その為、要求される日頃の小さな用事から料理洗濯掃除の家事に至るまで相手の全てを優先させ、その 間はどうやら他への意識が散漫になるらしい。
その度にメールや電話を無視されることはザラだったからだ。
連絡がつかなくなる度に「またか」とは思いはしても、今回は一年の辛抱だとわかっていた為、比較的余裕 を保ちつつ待つことが出来た。
一年待てば、必ず世津は「冷める」と。
それが何故かはわからない。だが史秋がその“一年”という法則に気づいたのは、世津を『邦宏』の元から迎 え入れた時のことだ。
相手の男と出会ってから一年。
きっちり一年周期で世津が「冷めた」と相手の元を去ってくることに。
そうして振り返ってみれば、自分が世津に書き置き一つで去られたのも─────やはり出会って一年を過 ぎた頃だったと思い出す。
失くしてからその存在がどれだけ大切だったかに気づく。
そんな経験を、あの時はまさか自分がするとは思いもしていなかった。
今から八年前、男のくせに自分を好きだと言ってきた世津と、ここではない別のマンションで史秋は十ヶ月ほど同居していた。
料理洗濯掃除のすべてを完璧にこなし、どんな無茶な要求をしても拒否しない世津を家に招き入れたのは、 出会って二ヶ月を過ぎた頃のこと。
今思えば随分とやりたい放題したものだ。
生活全般において世津の体調も感情も気遣うことなく振り回し、すべてこちらの都合を優先させてはその時の気分によって放置した。
好意を笠に着た、『搾取する側・される側』というだけの関係。
逆らわない下僕、と言っては聞こえは悪いが、当時の世津に対する認識はそんなものだった。
しかし出会ってちょうど一年が過ぎたその日。
『今までお世話になりました』
紙切れ一枚で自分のいた痕跡一つ残さず、少ない荷物と共に世津は姿を消した。
それからは急転直下もいい所だ。
たかが都合良く使える相手がいなくなっただけだと、替えはいくらでも利くと、世津がいなくなったことに 動揺している自分を認めたくなくて、今まで通りの生活をしようにも、以前のようには過ごせないことに愕然とした。
世津によって完璧に整えられていた部屋は途端に雑然とし始め。
料理が得意だと媚びてくる女を代わりに連れ込んでは、世津の食事に馴らされた舌が他の女が作ったものでは満足出来ないことに気づき。
アピールする割には世津ほど料理も洗濯も掃除も出来ないことを責め立てては、その度に泣き喚いて罵ってくる女たちに辟易した。
そうして苛立ちが募って更に生活が荒れ。
─────かつて関係した女に口論の末逆上されて腹を刺されたのは、世津が出て行ってから二ヶ月目のこ とだった。
*****
「よ。生きてるかー?」
運ばれて処置された病院のベッドの上で、白い天井をぼんやりと見上げていた史秋の元へそんな軽い言葉 と共にやって来たのは、高校時代からの悪友の一人である男だった。
一見してわかるその飛び抜けて整った容姿から、自分と同じく学生時代から女が切れたことのない男だ。
黒髪黒瞳の史秋がワイルド系男前と称されるのに対し、男は髪も眼も色素が薄く取っつきやすい軽さがある分、どこか優男といった雰囲気が漂っている。
「…三澤か」
「おーよ。いや~、おまえが刺されたって聞いた時はマジびっくりしたぜー」
ベッド脇の椅子にどっかりと腰を下ろし、特に怪我人であるこちらを気遣うでもなく、三澤は無遠慮にじろじろと史秋を眺め。
「あー…てことは、やっぱ、せっちゃん出てっちゃったのか~…」
こちらの方が重要、とばかりにがっくりと肩を落とした。
「……おい…、なんでそこで世津が出てくる」
今の史秋にとって世津の名は地雷だ。
睨みつける史秋に、だが三澤は飄々と肩を竦めて見せる。
「ここ二ヶ月ばかり、せっちゃんと連絡つかなくてイヤーな予感してたんだけどさー、そんな中でコレだろ ?」
わからないわけないだろうが、と言われ、史秋はその内容を聞くや更に眦を吊り上げた。
「なんでおまえが世津と連絡取り合ってんだ!」
腹の傷が痛むのにも構わず身を起こして怒鳴りつけた史秋に、しかし三澤は思わぬことを言われた、とばかりに眼を丸くし。
「え。は? 何、知らなかったの、おまえ。いや、つか大体おまえが紹介してくれたんだろが、男とヤッてみたいっつった俺に」
そう当然のように告げられ、史秋は返す言葉に詰まった。
確かに目の前の男と世津を引き合わせたことは史秋自身も覚えている。
自分は男を相手にするなんて考えもしないが、興味本位だろうが何だろうがヤッてみたいというのなら身近 にちょうどいいのがいるじゃないか、そう気づいて。
自分を好きだと言うくらいだ。世津は恐らくそっちの性癖なのだろう。
ならば自分が相手をしてやれない分、誰か他の人間をあてがってやってもいいのかもしれない、そんな随分 と悪趣味な考えから三澤に引き合わせた。相手をしてやれと。
だがそれがまさか去り際まで続いていたとは思ってもみなかった史秋だ。
「……一度だけじゃなかったのか」
「あー、いやー。それがさ、思ってた以上になんか凄い具合良くて。せっちゃんてば、マジエロカワイイん だもんよー」
三澤は史秋の知らない世津のベッドの中での様子を、まるで惚気のように嬉々として語り始めた。
そうして明け透けに語られる度に増えていく史秋の眉間の皺に、だが三澤はまったく気づかない。
「…おまえに言われてるから、って、まあ精々月イチでこれまで合わせてトータル五回くらいか? せっちゃ んの中ではおまえ最優先だっだから、何度かドタキャンもされたし。あー…、せっちゃんがおまえに愛想尽 かしたら本腰入れて口説こうと思ってたのに、俺まで切られちゃうなんて最悪」
最後にはぶちぶちと口を尖らせて愚痴り始めた三澤に、史秋はこれまで感じたことのない不愉快さを覚えて 無意識に拳を握り締める。
こみ上げてくる焦りと苛立ちに、何よりそんな自分の感情の理由がなんであるのかを認めたくなくて。
だが。
「せっちゃん男しかダメってわけでもないから、これ逃がしちゃったら確実にオンナに持ってかれるよー」
そう続けられた言葉に、史秋は別の意味で衝撃を受けた。
「……………は…」
「…え。は、って………おいおいおい……」
まさかの情報に思わず声を挙げてしまった史秋に対し、胡乱げに眼をやった三澤だったが、そこで捉えた表 情から何かを察したらしく。
途端に呆れたような顔を向けてくる。
そうして大きな溜め息の後、がしがしと自らの茶色い頭を掻き。
「…あのなー、あんだけ適当に女と寝ては捨て寝ては捨て、ってやってたおまえが恨まれてないわけないだ ろ?」
これまでおまえんとこのマンションに怒鳴り込んできたの、片手じゃ足りないはずだぜ、と告げられ、史秋は考えもしていなかった事実に眼を見開いた。
「おまえが、こんな風に刺されることなく、そんなことがあったことも知ることなく過ごせてたのは、そー ゆー女の対処、全部せっちゃんがしてくれてたからだろが」
「…ん、な……」
言葉も無く茫然と眼を見張って固まった史秋に、三澤は更に大きな溜め息を一つ漏らし。
「今回、俺がおまえのこと知ったのだって、おまえが昔ポイ捨てした子の一人から聞いたんだからな」
あくまで世津の最優先は史秋な為、会うのは月に一度。
数少ない逢瀬ということもあり、二ヶ月続けて世津と連絡が取れなくなった時、三澤は何度か史秋のマンシ ョンへと赴いたのだ。
目的が目的ということもあり、史秋がいない時を狙って行っていた為に、世津がもう部屋にいないことも知 らず、結局悉く会えず仕舞いで終わったのだが。
そしてようやく史秋へと連絡を入れようとするも、これまた通じない。
一体どうなってるのかと思っていた三澤に今回のことを教えたのは、史秋が碌でもない付き合いをしていた かつての女の内の一人だった。
数多くいた女たちの中から、ついに一線を越えてしまった者が現れた。
それが誰からともなくもたらされ、これまで史秋と関わった女たちの中でそんな話題は一気に広まった。
刺されたことに納得する者や自業自得だと吐き捨てる者が大半な中、かつて同じような経緯を踏んだ一部の 女たちからは、「篁さんは?」との声が挙がったのだ。
聞けば今回引き起こした女のように、これまで史秋のマンションに乗り込んだことのある者も少なくなかっ たらしい。
何故なら史秋はそういったことをさほど考えもせずに、自宅マンションへと女たちを連れ込んでいたのだか ら。
そうしていいように弄ばれて気が収まらない女たちのすることなど大概予想がつくだろう。
だがしかし、そこで皆例外なく世津に諭されたと言う。
『人を刺す感触なんて、知らない方がいいよ』
激情のままに持ち込んだ刃物を振り上げたのを制し、世津はそう言ったらしい。
遊ばれ捨てられ傷つけられた彼女たちのプライドを、優しく掬い上げては労り慰め。
『…まだ他にいくらだっていい男いるよ? それなのにそんな人に会う前にこんなことで前科持ちとかになっちゃうの、イヤじゃない?』
そう諭して頭を撫でたと言う。
「それから泣きじゃくって縋る子たちを宥めてる間に、まあ…そういう雰囲気になったこともあったらしく て」
『─────私…あんなに優しく大切に抱いて貰ったの…初めてだった』
そう愛おしむように語ったのは、見た目以上に凛とした表情がとても印象的な女だった。
彼女は、その後におまじないだと言って別れ際にされた世津からの額へのキスを、くすぐったそうに話し。
『だから私、おかげで今幸せなのよ』
自分の左手薬指に嵌まった結婚指輪を優しく撫でた。
あの時自分を止めてくれた世津がいたから。
女としての自信を取り戻させてくれた世津がいたから、今こうしていられるのだと。
「『刺されたってことは、とうとう篁さんにまで愛想尽かされたのね』、そう言ってたぜ」
そこまで聞いて、史秋に返せる言葉があるはずも無い。
これまでそうした事態があったことすら気づかなかったのだから。
シーツの上に投げ出された自らの掌に視線を落として黙り込んだ史秋に、三澤はどこか憐れんだような眼を 向け。
「まー…、これに懲りたら考え無しに女連れ込むのも止めろよな。どーにかしてくれてたせっちゃんも居な いんだし」
最後にそう言いおいて帰って行った。
一人になった病室で、先ほど衝動のままに起き上がって痛んだ腹部に手をやり、史秋は深々と嘆息した。
三澤に言われるまでもなく、自分が随分と馬鹿なことをしていた自覚はある。
生まれてこの方、努力しなくとも大抵のことが人並み以上に出来た史秋にとって、他人の気持ちを慮るとい うこと自体が極端に少なかった。
いつだって思うように行動し、そしてそれが通用する環境だったのだ。
我が儘というのとは少し違う。言ったことは必ず実現させる有言実行タイプだったからこそ、歯に衣着せぬ強引な物言いでも許されたとも言う。
確かに敵も多かったが、逆にそんな史秋の性質に魅了された者も数多かったのだ。自分には出来ないことをやってのける相手を特別視してしまうのはそう珍しいことじゃない。
「椎葉さん、傷の具合を少し診させてくださいねー」
「あー…はい」
三澤が帰ってそう間を置かずにやってきた看護師に、怪我の具合の確認ついでに消毒やガーゼの交換をされ ながら、今はいない世津を思う。
思えばあれほど自分に何も求めない相手は初めてだった。好きだと言って世話をする割に、世津が何も見 返りを要求してこなかったからこそ、自分も境界線の見極めが上手くいかなかったのだ。
史秋がどれだけ好き勝手やっていようとも、さすがに相手が許容できないことまでさせるつもりはない。と いうよりその前に相手がキレる。
それこそ今こうして自分の怪我を診ている看護師のように世津がわかりやすい態度をしてくれていれば、 とも思うのだ。
所々で史秋の容姿に心惹かれるような素振りを見せつつも、担当の女性看護師はさすがに仕事の分は弁えて いた。
向けられる視線や態度から退院時に連絡先を渡される可能性が無いことも無いが、さすがにここに運ばれた 原因が原因だ。遊びで引っ掛けた女に刺されて入院するような男など普通に考えて碌なもんじゃない。
それから何事もなく処置を終えて出て行く看護師を見送り、史秋の思考はまた世津に戻って行く。
定時に提供される味気ない病院食の後、傷口の消毒、検診が済めば何もすることのない病室では、考える時 間だけが大量に有った。
そしてどれだけ好き勝手していたのか、世津がいなくなってから一人だけの空間で改めて冷静に自分を鑑み て。
掃いては捨てるほどに寄って来る女がいるのに、わざわざ「男なんか」という自らの中にあった偏見、余 計なプライドを取り払った後に残ったのは。
─────世津への、ただひたすらの愛しさ。
時折見せる笑顔に見惚れたのも、些細な仕草を可愛いと思ったのも、気のせいだと流し続けて来た結果がこ れだ。
変わらないものなどないと知ってはいても、きっと本当の所では理解していなかった。
自分に対する世津の気持ちの大きさも量も形も。
使われ続け、すり減っていったからこその結末だと、史秋はこの時になってようやく痛いほど思い知る。
これまでにいくらでも気づく機会はあった。その度にそれを見ない振りして過ごし、すべてにおいて世津に依存しながら、そのことを深く突き詰めようともしなかった自分の愚かさへの後悔。
そうして腹の傷が塞がり、後は通院、となるまでの間、史秋が考え続けて出た結論は。
─────世津を、諦めたくはないということ。
そう決めてからの史秋の行動は早かった。
退院したその足で不動産屋に行き、新しくセキュリティのしっかりしたマンションを契約する。これまでの部屋を早々に引き払い、今までの生活が嘘のように女遊びを止め、ストイックに仕事だけをする日々。
その合間にどうにかして世津の行方を辿ろうにも、手掛かりとなりそうなことを何一つ知らない自分に憮然となり。名前だけで写真の一枚も無い状況の中、出来ることなど高が知れていた。 結局はその手の専門会社に依頼し、報告を待って半年。
そうしてもたらされた情報通り、かつて住んでいた場所の最寄り駅から五つ離れた駅周辺で。 探し求めていた姿が視界を掠めた瞬間、史秋は反射的に走り出していた。
見つけて追い掛けて、後ろから腕を掴んで引き止めた史秋に、世津は酷く驚いた顔で眼を見張り。
『……なんだ、史秋さんか。久し振り、こんな所で会うなんてすごい偶然だね』
以前と変わらず屈託のない笑顔を見せた。
その時こみ上げてきた感情を、なんと言えばいいのか。
少なくともこれまでに感じたことの無いものだったのは確かだ。
一年と半年振りにようやく会えた彼に、謝罪と自分の気持ちを正直に告げてやり直したいことを伝えれば、 だが世津から返って来たのは。
『……そんなに気にしてくれなくてもいいんだけど』
困ったような戸惑いに満ちた言葉。
『だって傍に置いて貰えただけで嬉しかったし。それ以外も俺が好きでしてたことだから、別に史秋さんが 気に病むことじゃないよ?』
探していた理由も、本心から告げた恋心も、どちらもまともに受け取って貰えず。
すべては罪悪感と償いから来るものだと勘違いされた。
『それに今、好きな人いるし。史秋さんがそこまで負い目に思う必要無いから』
探して、探して、ようやく再会できた時には、世津は自分と似たような男を相手に、自分の時と同じような 扱いをされながら生活していた。
それでも幸せだと言って笑う世津に、もう史秋が掛けられる言葉は何も無くて。
せめてもと、携帯番号とメールアドレスを押しつけ、何かあれば頼って欲しい、と言うことしか出来な かった。
そんな世津からようやく連絡があったのは、再会して半年を過ぎてからのこと。
その時も今回と同じように着の身着のままといった格好で世津は現れた。
話を聞けば、相手の男に「冷めた」のだと。
ひどく淡々と話し、一週間ほど史秋の部屋で過ごした後、自分のマンションへと帰って行った。
それからは史秋にとって幸せな日々だったと思う。
気持ちが通じ合えない状態でありながらも、以前よりはよほど気安く親密な関係といえた。
使って使われる、という歪なものではなく、自分がしてやりたいと思ったことをすれば、世津は驚きながら も「ありがとう」の言葉と可愛らしい笑顔を向けてくれた。
その時、人に好意を持つというのはこういうことかと知った。
好きな相手だからこそ優しくしてやりたくて、喜んでもらいたくて、考えて時間や手間を相手の為に使う。
一緒にいられること、何気なく交わされる遣り取りの一つ一つに幸せを感じるということ。
普通に電話やメールで連絡を取り合い、時間が合えば一緒に食事をし、時には揃って出掛け。
穏やかな─────想いに応えてもらえない辛さはあったが─────それでも幸せな時間。
それが。
『好きな人が出来た』
そんな宣言一つで世津からの連絡が再び絶たれたのが、つかず離れずな微妙な距離感の中で一年が経った 頃。
それ以降は電話もメールもこちらからの一方通行となり。
焦燥と嫉妬でどうにかなりそうな時間を一人過ごしていた史秋が。
次に連絡をつけられたのは、同じく一年後のことだった。
同じようにメールで伺いを立てられては同じように迎え入れ。
これまで三度、史秋は世津を他の男へと見送り、三度冷めて帰って来た世津を迎えた。
世津がこれまで惹かれた男に共通するのは、顔が良く、私“性”活が乱れているということ。
そして相手に一年尽くした末に、情が冷めて終わる。
世津が三人目の男の元から再び戻ってきた─────それにほっとした気持ちがあるのは確かだ。
しかし。
「─────なあ、世津。おまえは、いつになったら信じてくれるんだろうな…」
それに対して応じる言葉はない。
膝の上からは小さな寝息が返ってくるだけ。
どれだけ言葉を尽くそうと、世津に自分の気持ちは届かない。
大事にしたいから。
以前のような、強引で傲慢な真似はしたくないから。
世津の意志を無視したくないと決めたが故に、行き詰まる関係。
そのやるせなさに、史秋は目蓋をきつく閉じて手で覆う。
自業自得だと。
それが身から出た錆だと、わかっていても。
それでも。
─────もう一度、君の心が欲しい。
ふ、と息を吐き、眠る世津を起こさないようその頬に掛かった黒髪をそっと掻き揚げれば、小さな吐息と共に顔が僅 かに傾いて仰向いた。
それによって露わになる容貌。
派手さはないものの、すっきりとしたパーツがバランス良く並んだ小作りなその顔が、今では史秋を魅了し て止まない。
白い滑らかな頬をするりと撫でた後、誘われるように軽く閉じられた唇を親指でなぞり。
未だに己の唇で感じることの許されない、その指先に触れた柔らかさに、史秋は自嘲する。
浅ましくも沸き上がる衝動。
食らいつくしたいと叫ぶ熱情。
彼以外には反応しなくなった体と心。
「……なあ。もう、おまえじゃなきゃ駄目なんだよ─────」
史秋の弱々しく頼り無げな声が、リビングに小さく響いて、消えた。
椎葉史秋→世津の一人目(?)の男。かつての自分の若さ故の過ち、無軌道な行動が原 因で世津に気持ちを信じてもらえない状況に滅入り気味。気づけばすっかり一途な男に。実は二人目と三人 目の男も世津を見つけ出してアプローチを始めている為、気が気じゃない。
篁世津→ 結局これまで関わった三人の男にしっかり見つかり、なんだかんだと構われてい る。以前には決して見られなかった彼らのあまりに必死な様子に、こんなに気に病んでるなら多少は世話し てもらう? という妙な義務感でちょこちょこ彼らの所に顔を見せる気遣い屋。
三澤→史秋の学生時代からの悪友。女遊びもそこそこしていたが史秋ほど手当たり次第の手酷い 切り方はしていない為、恨まれたりすることは無い模様。世津とは史秋からの紹介以降、度々肉体関係があ ったものの、気に入って口説こうとしてた所で連絡取れなくなって意気消沈。この一連の話に出てくる男の 中で多分一番まともで優しいはず。でも生憎と今後出番無し。