情には限りがあります。
閉鎖した個人サイトからの転載作品です。
起き抜けのBGMが女の喘ぎ声だった瞬間、「あ。終わりか」とその時唐突に思った。
細く開いたドアの隙間から聞こえてくるリビングで行われているらしい情事に、篁世津はひっそりと溜め息を 漏らす。
深夜ベッドに入って寝付くまでは確かに想いを寄せていた男に対する情が、この瞬間綺麗さっぱり失せて いる自分に、それでも特に何を思うでもなく。
ただ「これでは出るに出られないな」と単純にそう思うだけ。
男には女を連れ込んでいる間は部屋から出るなと言われている為、荷造りは声が聞こえなくなってからだな、 とベッドの中で息を潜める。
ベッドサイドに置かれた時計を見やれば時刻は午前三時を回ったところだ。
どうやらリビングで事に及んでいる男は、自分が寝付いた午前一時以降に女を連れて帰宅したらしい。
そして聞くともなしに聞いた今の状況から判断するに、連れ込んですぐソファで致し始めたらしいので、帰ったのは午前三時前といったところか。
少なくともあと三十分ないし一時間はこのままでいなければならないらしい。
そうしてよくよく思い返してみれば、この部屋の持ち主である男と出会ってから昨日で一年が経っていたこ とに気付く。
以前の相手の時と変わらず、今回もきっかり見事に一年周期だということに色々と微妙に複雑だ。
それでも頭の中で部屋から持ち出す物をリストアップし、置いてある場所の確認をしている内にいつの間にかリビングは静かになっていたようで。
直前に甲高い怒鳴り声が聞こえていたのは、いつもの如く男が事の済み次第女を追い出しにかかったからだ ろう。
耳をそばだてれば男はその後シャワーを浴びに行ったのか、リビングから人の気配は消えていた。
それを確認すると、世津はベッドを抜け出して備え付けのクローゼットからこの部屋に来る際に持って来た 鞄を取り出す。
持ち出さねばならない自分の荷物は元々そう多くない。多少の着替えと本の類が数冊にノートパソコンが一台。あとは細々した生活に必須の理容用品が少し。
これまでは例外なく相手の不在時に“冷める”瞬間を迎えていたので、自分のものはすべて纏めた上でゴミも 処分して出るよう心掛けていたのだが。さすがに相手が使用中に入り込んで持ち出すのは気が引ける。というより顔を合わせるのは避けたい。
しかし悩んだのは一瞬だった。
洗面所にある歯ブラシなどの生活用品は自分がいなくなった後に男が処分してくれるだろう。
そう勝手に決め付け、適当な紙に短く書き置きを残す。
『今までありがとう。元気でね』
男が出てくる前にリビングを突っ切って玄関へと向かおうとした所で、タイミング悪くシャワーを終えて出 てきた相手と鉢合わせになる。
男は一瞬驚いたように眼を見張った後、世津の恰好を見て眉を寄せた。
「なに、そのカッコ」
大きな鞄を手に、世津が着ているのは寝巻き替わりにしていたTシャツとスウェットのままだ。
「あ、俺出てくから」
しかし世津は男に向かって平然とそう言った。
「……は?」
世津としては顔を合わせずに去りたかったが、仕方がない。
「今までありがと。昨日の夕飯は一応冷蔵庫に入れてあるから後であっためて食べて」
「は、ちょ」
「冷凍しといたのもあるし、俺がいなくなっても三日分くらいの食事のストックはあると思うから」
「え、おい」
「じゃあ、元気でね」
にっこり笑って脇をすり抜けようとした瞬間、強い力で肩を掴まれて引き戻される。
「ちょ、待てよ! 何なんだよ急に!」
「え」
まさか理由を聞かれるとは思わず、世津は目を瞬かせる。
だが戸惑う間もなく振り向かされて正面から見上げた男の秀麗な美貌が、珍しく焦りを帯びていて驚く。
「…いや、急に、って言っても……、一年経ったから?」
「はあ!?」
意味不明、と顔を歪ませる男に、しかし意味不明なのは世津も同じだ。
この目の前の男と世津の関係は決して「出てく」と言った時に「待てよ」と引き留められるような間柄じゃない。あくまでも男に恋慕した世津による一方的な関係だ。
身の回りの世話をしていたのも男に強いられたわけでなく、それを求められた世津自身がしたくてしてい たことだ。
そんな関係だったのだから世津の中に相手への恋情が無くなった時点で関わりを断つべきだろう。男 の方には世津に対して好意があるわけではないのだから。
こちらの縋るような形で始まった関係なのだ。最後は綺麗に離れてやるべき、というのが世津の持論であっ た。例外なく過去の相手にもそうしてきている。
『男相手はムリ』
そもそも恋慕を告げた当初から男にはそう言われている。
部屋に住まわせて貰っていようが、精々が“使い勝手の良い住み込みのハウスキーパー”といったところか。
だからこそそれが世津でなければならない理由もない。いくらでも代替が利くものだ。
しかしさすがに散々好き好き言ってきた相手に、『冷めました』とは面と向かって言いづらい。例えそれを 相手が気にしなかろうとも。
それに万が一でも理由を聞かれては困るというのもあった。冷めた理由を聞かれても明確には答えられない からだ。
そういう事情もあって、顔を合わせず部屋を後にするのがこれまでのパターンだったのだが。
今回はその万が一なようで。
まさか詰め寄られて不機嫌になられるとはさすがに予想外だ。
「…結局なに、女連れ込んだのが嫌なワケ? でもそんなの今に始まった事じゃないし、おまえが口出す問題 でもないだろ」
苛々と髪をかきあげながら言う男に、世津も反論することなく頷く。
「うん。だから、これからは違う人を探してね、ってことなんだけど」
「は。マジで出て行く気?」
「そう。気持ちが冷めちゃったんだ」
「…は」
思いがけない言葉だったのか男の動きが止まる。
しかしここまで来たら仕方ないので、世津は包み隠さず心境を吐露することにした。
「なんかどーでもよくなったと言うか? 昨日まではちゃんと好きだったんだけど、起きてリビングでヤッて る音聞いたら急に冷めちゃったんだ。だから出てく」
肩を掴む男の手から力が抜けたのを良いことに世津はさっさと身を翻し。
未練など微塵も感じさせない足取りで歩き靴を履くと。
「じゃあね、遼平。いい加減、女遊びは程々にした方がいいよ」
呆然と眼を見開いてこちらを見る男に頓着することなく、世津は部屋を出て扉を─────閉めた。
篁世津→基本、想いを返されることを期待しないので、一緒に過ごすうちに自分に対する相手の感情が変化し てきていることにも気づきません。
遼平→都合の良い存在として使っていたはずの相手に、あっさり突き放されて出て行かれ、かなりのショッ クを受ける。そんな自分に気づいて更にダメージ倍増し。