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僕らの特別  作者: 壬生一葉
手の届かない四百二十マイル
27/31

【2】

「ちょっと待て」

小名木は自分の少し前を歩いていた男の肩に手を置き、自分の方へと引く。小名木の声が些か低めだった事に男は内心焦りながら、振り返り白々しく笑った。

「何かな、真クン」

「お前、今日野郎で飲むって言って俺誘ったんだよね?」

「……うん」


小名木は大学時代の友人、彦坂の肩から手を除けて彼を解放した。彦坂の妙な間を開けた返答に今日の飲み会の趣旨を理解し小名木は踵を返す。慌てたのは彦坂で、店の出入り口に向かう小名木の前へと回り込んで彼の帰路を塞いだ。


「ごめん。野郎だけじゃない。はっきり言って女子込みです。でもそう言ったらお前絶対来ないって言うと思って」

「だろうね。其れに俺、嘘とか本当に嫌いなんだけど。何なら今この時からお前の番号、着拒にしても良いと思う位には」


小名木は通常、怒りを孕んでいても声を荒げる様な事はしない。努めて冷静沈着に相手に対応するのが小名木だ。だから彦坂は、今の小名木が本当に腹を立てていると言う事が解り、数回頭を下げて謝罪した。


「ごめんっまじごめん。ホントごめんっ真が嘘とか嫌いなのも、彼女が居るのに合コン参加とかも嫌いなの俺等は知ってる! だけど…お前が最近全然俺等の誘いに乗らないで元気無いのも知ってる! 堀越がお前元気づけようって言い出して、で木内誘ったらもれなく女の子付いてきちゃって…別に合コンとかそういうつもりは無かったんだよ。ホント此れはまじで…ホントまじ…」


声はどんどん小さくなり、萎んでいく彦坂を少し哀れに思いながら小名木はハァと息を吐いた。彦坂の言う事は多分事実なんだろう。彦坂や堀越は男同士でわいわいと騒いで、泥酔するのが楽しいと思う人間で、最初は本当に男だけで飲むつもりだった筈だ。だけど女好きの木内を誘ったら、こういう事になってしまったんだろう。


「だったら、店に入る前にそう言えば良いものを」

「…うん、ごめん。本当にそうだ。真の言う通りだ。俺が不誠実だった」


彦坂はお調子者のところも有るが、自分の非をきちんと認められる心根の優しい男だった。木内も木内なりに自分を気遣ったのだろうと小名木は想像し、苦笑いした。

恵麻と離れてしまった事で寂しい思いをしていると、心配させたんだろう。なかなかに良い友人を持ったものだ。


「割と元気だから、そんなに心配しなくて良いよ。せっかく設けてくれた席だから今日は少し飲んで行くけど、今度は女子無しで頼むよ。恵麻に心配かけるから」


小名木はそう言って薄ら微笑んだ後、もう一度店内へ向き合った。遠くに見える堀越が解り易くホッとしているのを見て、更に笑みが零れた。木内は悪い顔で笑っている。


「…真さ、こう言っちゃナンだけど…お前が言わなきゃ恵麻ちゃんにこんな飲み会バレる訳ないじゃん。もっと上手く息抜けないの?」


確かに彦坂の言う通り、小名木が自己申告しなければ恵麻にはバレないだろう。けれど小名木は嘘を吐く事が嫌いだった。一つ嘘を吐けば、相手の信頼を一つ失う事の様な気がするからだ。他人との関係なんて、其れ在ってこそのものだろうと小名木は思っている。


「嘘は嫌いだよ」


小名木は後ろを付いてくる彦坂に顔を少し向け答えた後、手にしていたスマートフォンのカメラで堀越達が座るテーブルを撮影した。撮影された旧友と、四人の女達が驚いている。着席する迄の間に小名木は、ありのままの事実を文章に起こし画像を添付して恵麻に送信した。

女の子の一人が「どうしたのー突然っ」と笑っている。


「うん、記念にね」


小名木は場の空気を壊す事なく、そのテーブルに溶け込む。隣に座る堀越が「ごめん」と言ったが、小名木は「気にしてない」と小さく首を横に振った。

十分程して恵麻からのメールが、小名木の携帯に届く。


”飲み過ぎ注意。楽しんで”


そんな返事だったけれど、小名木は此れが恵麻の本心だとは思ってない。小名木は小一時間程で席を立った。余りに短い滞在に女の子達は難色を示したけれど、彦坂や堀越のフォローのお蔭ですんなりと店を出る事が出来た。


”今から家に帰る。帰ったら電話する”


恵麻にメールをし、駅に向かう。数分歩いて在来線が何本も止まる巨大ターミナルに小名木は迎えられ、人が溢れかえる改札を通る前に恵麻からのメールを受信した。人の波を抜け、壁際に寄ると小名木は画面に目を走らせる。


”ちゃんと野菜も食べた?”


小名木は顔を綻ばせた後、返事は電車に乗り込んでからと、一度バッグの中に携帯を仕舞った。栄養士の彼女は、小名木の専任栄養管理士とも言える。余りに早い退席に彼女の心配は杞憂に終わり、今は彼の体調を気遣っていた。





   ◇




金曜の夜、名古屋駅に到着し、改札の向こうに恋人の姿を見つけて小名木は破顔一笑した。恵麻も又、小名木の姿を確認し目を細めた。


「恵麻、傘持ってる?」

「え? 雨降ってた?」

「うん、新幹線の窓ガラスが濡れてた。恵麻が出て来る時、降ってなかった?」

「…ずっと駅ビルの中に居て気付かなかった」

小名木は、乱れてもいない前髪を整えながら頬を染めて俯きがちになった恵麻を見下ろして胸が温かくなった。恵麻が自分に会う為に何時間も前から名古屋駅に居た事を知り、嬉しく思ったのだ。付き合いは長いものの、控えめな恵麻は未だに初々しい表情を見せる事が有る。


「早退して、仕事大丈夫だった?」


二人は自然に寄り添い手を繋ぎ、歩き出した。


「うん今、急ぎ無いし、杵淵にも随分仕事任せられるようになったから」

「そうなんだね。真も後輩君を指導している訳ですね」

「そうですよ。あ、杵淵がね、恵麻のハヤシライス食いたいって」


恵麻は隣に立つ小名木から、彼の匂いを嗅ぎ取って幸福感に包まれた。

名古屋に来て一年が過ぎようとしている。東京に居る頃、当たり前だった小名木の存在が、遠く離れて当たり前でない事を知った。

恵麻の友人達は十年も付き合って飽きないの? やら、男に結婚する気ないんじゃないの? 等と無責任な感想をよく述べるけれど、恵麻は其れを笑って往なした。


飽きた事はない。確かにデートは、何処か外を歩き回って夜には一人暮らしの恵麻の部屋に行き、彼女の手料理で小名木をもてなすのが定番だ。

恵麻にとっては、人の多いショッピングモールも、夜景が綺麗と評判のスポットもそんなに魅力的だとは感じない。水族館は好きなので一年に一度位は行ったけれど、小名木と恵麻の付き合いは熟年の夫婦に近いのかもしれない。


恵麻は小名木と穏やかな時間を過ごすのが、自分にとって最も合っていると思っている。


小名木も恵麻に特別な事を望んでいない。彼も又、ゆったりとした時間を二人で心静かに過ごすのが至福なのだった。



「古関先生?」


何処からか男の声が恵麻を呼び止め、二人は立ち止まり恵麻が辺りを見回した。


「羽村さん…」


相手の男の名を呼んだ恵麻の声が、少し低くなったのを小名木は感じ取りながら、自分達に近付いてくる一人の男に視線を向ける。


「こんばんわ」


ハムラと呼ばれた男は、長身の小名木よりも十センチ程背が低い。だが二重の目が鋭く小名木を射抜き、小名木は妙な威圧感を否めなかった。


「古関先生の遠距離恋愛の恋人、かな?」

「あ。え、あ、ハイ…あ、真、此方学校の事務局の羽村さん」

「ハムラさん。初めまして、小名木です」


小名木は目を細めて笑顔を作り、羽村に名を名乗った。


「初めまして羽村一臣です。古関先生が東京からいらしてくれて本当に助かってるんですよ。若いし綺麗だから、生徒だけじゃなくて男の講師や僕ら事務局の男も浮き足立ったりして。そんな彼女の恋人は遠く離れた東京だって言うじゃないですか。貴方も心配なんじゃないですか?」


小名木は、好戦的な相手の挑発に乗るつもりはなかった。


「そうですね」


羽村は、短く答える小名木に納得がいかなかったのか、顔を少し歪ませた。恵麻はそんな羽村の表情を目にして、彼が要らぬ事を言うのではないかと内心ヒヤヒヤしていた。


何時だったか…確か恵麻が名古屋に来て半年程経った頃だろうか。小名木は恵麻から気になる話を聞いていた。事務局の人に食事に誘われたと。あんまり疲れていたから恵麻はその時断ったと言っていた。そして彼女は、同僚との付き合いも本当はしなくちゃいけないのにね、なんて言っていたっけ。


十中八九、恵麻を食事に誘ったのは羽村だと小名木は当たりを付けた。どうやら 羽村は恵麻が好きなようだ。


暫く沈黙の時が流れたが、恵麻が羽村に「じゃぁ」と申し訳無さそうに頭を少し下げたので彼の方も引く他無かった。


「じゃぁ月曜日に」


羽村は清々しい程の笑顔で、恵麻にそう言った。




   ――――― 小名木は、その月曜日には恵麻の隣には居ない










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