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僕らの特別  作者: 壬生一葉
強がりの三箇条
22/31

【4】

高校で初めての期末考査が終わり、夏休みがやって来た。母子家庭の亜紀子にとって長期の休みは稼ぎ時でもある。

亜紀子の母、有里(ゆり)は、そんなにバイトをする必要は無いと言ったが「何事も経験だから」と亜紀子は取り合わず、通常のホームセンターのバイトに加え物流倉庫での出荷手配の短期バイトを入れた。

亜紀子のバイトは地元よりも少し離れて、同年代が居ない様な職場を第一に選んだ。なるたけ年配者が多い方が亜紀子にとって平穏なのである。


ネットショッピングによってオーダーされた品物を指定の箱に詰め、其れを所定の時間迄に物流ラインに乗せる。難しい仕事では無い、けれど倉庫でのバイトは体力勝負だった。倉庫内に空調は効いているが、暑い事に変わりはない。亜紀子の顔や背に、汗が止め処もなく流れ落ちた。


「あっこちゃん、休憩」

「あ、はーい」


亜紀子をあっこちゃんと愛称で呼んだのは、遠藤と言う古株のパートの女性だった。

蒸し暑い倉庫を出て、事務所が有る建物へと歩いて行くのに、ものの数分なのに汗が噴き出た。パートやバイトの為の休憩室は身体に優しい温度の冷風が吹いている。余り涼し過ぎては倉庫との温度差に身体が参ってしまうからだ。既に他のラインのバイトの人間が幾人か休憩に入っていた。

遠藤は自動販売機でスポーツドリンクのペットボトルを買うと一気に半分程、空けてしまった。亜紀子は鍵付きのロッカーから麦茶の入った水筒を取り出して口を付ける。ステンレスの中で氷がカランと鳴った。


「はぁーあっつい。今日三十五度だってよ」


遠藤はテレビのリモコンを掴んで操作し、主婦向けの番組を何とはなしに見つめながら亜紀子に言った。


「そう言えば、午後に男の子が新しく入ってくるんだって。今の時間は、研修してるみたい。確かあっこちゃんと同じで高一って主任が言ってた」


亜紀子は遠藤からその話を聞き、関わりたくないなと心中思っていたが其れを億尾にも出さず

「重量のある物、率先してやって欲しいですね」

等と軽口を叩く。遠藤は「ホント」と相槌を打った。



そして午後に亜紀子と同じラインに配属されたのは、森川直紀だった。

二人とも顔を合わせるや否や口をぽっかりと開け、この偶然に目を見開くばかり。近くに居た遠藤が助け舟を出すまで亜紀子と森川は呆けていた。


「宜しく」

そう切り出したのは森川で、亜紀子も何とか「宜しく」と返した。


何せ締切時間の有る物流だ。亜紀子と森川は殆ど毎日顔を合わせ仕事をしていたが、話が出来るのは偶に重なる休憩時間だけだった。

亜紀子はバイトの入り時間が遠藤と同じの為、休憩も何時も一緒で、亜紀子と森川は遠藤を介し会話を成り立たせていた。

クラスメイトにも関わらず、亜紀子は異性である森川に一線を引いていたし、森川に至っては元が無口で気が回るタイプでも無いので二人には話題が無い。其れを見兼ねたのが、遠藤だった。


「森川君は何でバイト?」

「…あー…旅行に行くんで」

「成程、彼女とね、でもさ連日こうバイト入ってちゃ碌にデートも出来ないじゃない。彼女何も言わない訳?」


森川は萌花の顔や、彼女との昨夜の電話を思い返したが特に責められる様な事は無かった。

夏休みは既に二週間目、確かに彼女と二人で会ったのはたった一回であった。だがお盆過ぎに二人で千葉の海に一泊旅行を計画していて、その為の費用捻出でバイトに明け暮れている。其れを萌花が責める訳もない。


「特に…」

「ふーん、勤勉ねー。あっこちゃんは家計を助ける為に、森川君は彼女の為に。うちの子なんてバイトしても自分の為にしか使ってなかったんじゃないかな」


遠藤が発した言葉に気になるワードが在った様で、森川は亜紀子の方に顔を向ける。亜紀子は遠藤が要らぬ一言を言ったなぁと思いながらも、森川の視線には気付かない振りをして、熱中症予防だと言う塩キャンディーが盛られた籠に手を伸ばした。



その日珍しく遠藤が休みで、亜紀子は一人で家から持参したお弁当を食べていた。お昼休憩はたっぷり六十分与えられている。昼を食べ終えたら読み掛けの文庫本を開こうと算段していた所、森川が「此処、良い?」とやって来た。拒む正当な理由が見当たらず、亜紀子は頷いた。

森川は会社の送迎バスに乗る前に買って来たのか、この工業団地には無いコンビニの袋をテーブルの上に置いた。ペットボトルのお茶と、男子高校生らしく揚げ物が詰まった弁当だった。遠藤が居ないせいか会話が無く少々気詰まりで、亜紀子は黙々と自分の弁当を片付けながら、森川の胃の中に納まって減っていく彼の弁当の容器に目を遣った。


「…」


箸で掬われた白飯の量に目を瞠り、大きな口だなぁと亜紀子は感心していた。


森川は自分の目の前に座る亜紀子から何の音も発しない事に気付き、不思議に思って顔を上げた。彼女は左手に二段弁当の白米が詰められた箱を、右手に箸を持ち森川をじっと見ている。


「高辻?」

「あ、ごめんなさい…口、大きいなって思って…」


じっと見ていた上に弁明にもなっていない言葉に亜紀子は恥ずかしくなりもう一度謝ると顔を伏せた。

森川は、そんな亜紀子に好感を持ちながら「謝る事じゃないよ」と彼女の気持ちを和らげる。


「…高辻はさ」


森川が先程とは違う声色で、亜紀子に問う。彼女は今から投げ掛けられるであろう話題に身構えた。だが、其れは杞憂に終わった。


「何の本、読んでるの」

「え…」

「本」

「あ…本」


過日遠藤が、亜紀子が働く理由を悪気では無かった筈だが、ポロリと零してしまった。亜紀子はその詳細を訊かれるのだろうと当たりを付けていたのだが、違っていた。思いも寄らなかった質問に直ぐに返答出来ず、亜紀子は森川を見つめたまま黙ってしまう。

そんな亜紀子に、森川も戸惑った。


学校に居る時の亜紀子は、趣味が読書と言って信じて貰えるようなタイプの女ではなかった。彼女には何時も派手な連中が取り巻いている。勉強や部活よりも、遊びや恋やお洒落に忙しい、今を謳歌する人間ばかりだ。けれど、森川からしてみれば、亜紀子はどうもその部類の人間には見えなくなっていた。

本好きで、働き者の亜紀子を目にしたからだ。


あの雨の日、図書館で偶然に会った時、森川が図書館を利用する事に困惑していた様にさえ見えた。恐らく図書館での亜紀子の姿は、誰にも知られたくない姿なのだろう。森川はそう思い至り、彼女の眼前に左手を伸ばし制する動作を見せた。


「あ、良い。答えたくないなら」


森川は話を切り上げる様に、箸を握り直し残り少ない弁当をかき込んだ。そんな森川の態度をどう捉えたのか亜紀子は慌てて

「如何わしい本なんか読んでないよっ?!」

と釈明をした。亜紀子の声が少し大きかった様で近くに座っていた人達が二人を見た。放った言葉が言葉だけに亜紀子は顔を真っ赤にし、俯くと身体を小さくする。

暫くして周りが何時もの喧騒を取り戻した所で、森川が笑った。


「思ってないよっ」


箸を持ったまま右手の甲で口元を隠し肩を揺らす森川の笑い方に、亜紀子は急激な呼吸困難を訴えた。



亜紀子の周りに居る男達は、ガハハと大口を開けて手を叩き身体を揺らす。其れさえ注目を集め自己陶酔しているかの様に。

だが、森川は違う。

教室で友達と話していても周りに釣られる様に笑い、亜紀子の愚答にも此方が気を悪くするような下種な笑い方をしない。万事控えめで、人懐こい笑みだ。



それから、亜紀子と森川は休憩所で会えば必ず時間を共有した。遠藤は其れを見て肩の荷を下ろしていた。亜紀子は美貌のせいなのか、些か男性不信な節が見受けられて、人生の先輩としては少なからず心配していた。森川も森川で話せば気の良い少年だが、何せ口数が少なく何を考えているかが良く解らなかった。けれどこんな暑い倉庫でのバイトに、二人共根を上げず従事している。短期バイトの大学生が、既に二人も辞めていたにも関わらずだ。二人が其れだけ真面目な性格だと言うのが解る。

だから、二人が良い友好関係を築けた事は遠藤にとって純粋に嬉しい事だった。

お節介な事と知りながら、遠藤は森川に亜紀子が母子家庭で有り平日は倉庫(ここ)で、土日はホームセンターでのバイトを掛け持ちしている事を話して聞かせた。


遠藤から話を聞いた森川は、遠藤の想像通り、厭らしい好奇心も、下手な同情の色も見せなかった。遠藤の顔をただじっと見つめ、粛々と亜紀子の現実を受け止めた。


森川はこれまで取り留めて亜紀子の事を意識した事が無かった。

確かに、中学の時から亜紀子の存在は頭にあったし、高校で彼女が注目されている事も理解していた。だが、其れは客観的にしか捉える事の出来ない、言わば実感の無い認識だった。

其れが、倉庫のバイトで出会い、亜紀子と言葉を交わす内に、森川に主観的な思いが芽生えた。



亜紀子は、本の虫で、真面目で、明るくて ―― 可愛い。



高校での彼女の評判は、『奔放』『高慢』『綺麗』に尽きる。

森川の思惟とは相反した。








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