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僕らの特別  作者: 壬生一葉
強がりの三箇条
20/31

【2】

高辻亜紀子と、森川直紀の出会いは高校に入学し、同じクラスになった事だった。


亜紀子は艶めく髪、大きな二重の瞳、其れを際立たせるような睫、形の良い鼻梁に少し厚い唇を持ち、主に男からの視線を集めた。森川と言うと、長身と言う以外此れと言った特徴のない寡黙な高校生であった。そんな二人であったから当然の如く、入学したての頃接点は無かった。


ゴールデンウィークに入る直前の金曜日、校内球技大会が開催され、その打ち上げがチェーン店の居酒屋で行われた。教師付の打ち上げで、監視を嫌がる生徒も中には居たが、亜紀子は内心ホッとしていた。

もし監視下でなければ、アルコールを勧められていたかもしれない。飲めないと言えば、場が白けあのグループには居られないかもしれないと懸念していたからだ。



顔が派手なせいか、亜紀子は何においても”慣れている” と思われていた。不純異性交遊も、飲酒も喫煙も既に知っているだろうと言うのが、周りの見解だった。

其れは全く以て、誤解であったのだが。




亜紀子が属していたグループの周りを、浮付いた感じのする、所謂場馴れしている男達が囲んでいた。亜紀子の隣には、女の影が絶えない勝地と言う男が、彼女の腕に時折触れながら座り込んでいる。

最初亜紀子は席の間隔が狭いから仕方のない事なのだと思っていた。勝地の腕が自分を掠めれば、少し右に身体を引いた。あからさまなのは、良くない。それと無く上手くやるのだ。


だが、引いても又ぶつかってくる。此れは確信犯なのだと理解して、亜紀子は勝地との攻防を諦めた。クラスメイトも教師も居る。此れ以上の事はされないと、亜紀子は力を抜いた。

すると勝地は何を思ったか、亜紀子の肩を抱いたり彼女の耳元に口を寄せたりした。


其れを見た周りは愉悦を含んだ笑みを二人に向ける。教師も「其れ以上は止めろよ」と見当違いな叱責だ。


勝地の指先が性的な物を匂わせる。流石に亜紀子は「トイレ」と笑顔で中座した。逃げてきたレストルームで、勝地が触れた腕や太腿を自分の手で擦る。感触が気持ち悪かった。

このまま逃げてしまおうかとさえ本気で考え、バッグを持ってこなかった事を直ぐに後悔した。


トイレを出て貸切になっている座敷へ戻ると、教師の姿が見当たらない。誰かが、お目付け役が居なくなったと狂喜していた。上座に目を向けると、勝地が品無く笑っており彼の隣はぽっかりと空いている。あそこに戻りたくないが、バッグは取り返さなければならない。

亜紀子は一瞬眉根を寄せた後、意を決した。

店内専用のサンダルを脱ぎ、小上がりに足を掛ける。


「高辻」


下座から奥へと向かおうとした亜紀子に掛けられた声。亜紀子は、声の主を探す様にテーブルへと視線をくべた。立派な体躯の男達が一斉に亜紀子を見ている。一つの双眸と目が合って、発信元は森川なのだろうかと亜紀子は思案した。


森川は背が高いだけで目立たない男だったが、空気の様な存在とは言わない。授業中発言はするし、日直の仕事もきちんとしている。長身を生かして高い所にある物を取ってあげたりだとか、そんな親切心も持ち合わせている。


「パイナップル、食べれる?」


亜紀子は正に、目が点になった。脈略のない問いに暫し沈黙する。森川の方はと言うと、自分から掛けた簡単な質問に、亜紀子の答えがなかなか返ってこないので彼女をずっと見上げていた。

誰かが「森川ー」と苦笑い混じりに彼の名を呼んだ。森川が亜紀子から視線を外して其方を窺う。


「高辻、困ってるじゃんっ」

「…え、やっぱ食えないか」


森川が自分が抱えていた大皿料理をもう一度見て、困った表情をする。森川の周囲がドッと沸いた。


「酢豚の中のパイナップルが食えるか食えないかじゃなくて、高辻は質問の意図が解ってないって言ってんのっ。ごめんねー高辻ー森川、コミュ不足でー」


森川と一番親しい日比野が、言葉の足りない森川を補う様に亜紀子に向かって先程の質問の説明をした。日比野によって、森川の言わんとする事を理解した亜紀子はホッとした様に息を吐く。突然の事で訳が解らず困惑していたのだ。何せ、亜紀子が森川と喋ったのは、此れが初めての事だった。


良く見てみると森川は、パイナップル入りの酢豚の皿を抱えていた。お肉や人参、筍は残り僅かだがパイナップルが数多く残っている。このテーブルに其れを片付けられる人が居ないらしい。身体の大きい男子高校生ばかりが集まっているテーブルだと言うのに、何だか可笑しいと亜紀子は小さく笑った。


「食べれるよ」


亜紀子はそう言うとその場に正座をして、可哀想な黄色いフルーツを食すべく真新しい箸を探す。森川は自分の箸を持っていたし、テーブルのそこら中に使用中の端が転がっている。けれど亜紀子は躊躇った。嫌悪のものからではなく、間接的に人が口に入れた物を自分も同様にと言う行為が恥ずかしいのだ。

亜紀子は女同士のペットボトルの回し飲みも羞恥心が極まって、遠慮してしまう。


するとズイっと目の前に箸袋に入っている新品の割り箸が現れる。亜紀子は其れを手に取りながら、差し出された方を見ると、森川だった。


「…ありがと」


亜紀子は其れを受け取り、パイナップルを口に運んだ。フルーツとしての甘みは料理の中で半減している気もするが、不味い訳では無い。

勝地の隣に居た時は彼を妙に意識していた為、あまり食事をしていなかった亜紀子は空腹も手伝って、其れをパクパクと腹に収めていく。呆気に取られているのはそのテーブルに居た男達だ。


「喋った」「意外」「高辻が」


そんな単語が漏れ聞こえる。彼等が持つ亜紀子のイメージでは、酢豚のパイナップルは食べないらしい。


「はい、食べたよ」

食べ易い大きさに切られていたパイナップルは十個にも満たなかったに違いない。亜紀子はあっという間に平らげてしまって、箸を箸袋に戻しテーブルに置いた。


「助かった」


森川はすっかりフルーツの無くなった皿を見て、亜紀子に礼を言う。


「子供みたいだね」

亜紀子はちょっとだけ笑ってそう言った。周りは亜紀子の発言に「確かにな」と呟く。森川が皿から顔を上げ

「無理な物は無理だ」

ときっぱり言い切った。

「其処は無理しとこーよー」

適当な事を別の誰かが言って、酒を飲んでいる訳でもないのにその遣り取りを聞いた男達が又大笑いをする。まるで、森川だけが食べれなかった様な態になっているが、このテーブルの誰もが手を出さなかった酢豚のパイナップルなのだ。亜紀子は何だか弄られている森川を気の毒に思い、彼を窺い見る。


「無理すると、禿げる」


森川は、至って真剣な表情でそんな事をのたまい、筍を箸で摘まみ口に運んだ。亜紀子は手を口元に当てて吹き出し、男達は大爆笑の渦となった。


座敷の一角が余りにも盛り上がったもので、其処彼処から視線が集中する。上座から勝地の大声が聞こえてきた。

「なにー高辻、どうしたーっ」

亜紀子の座る席から、彼等の座る席までは五メートル程離れていたが、勝地がとても不機嫌そうに見えた。恐らく何時までも隣に帰ってこない亜紀子に焦れていたのだろう。

亜紀子は長く下ろした髪で隠す様に溜め息を零し、テーブルに手を付いて立ち上がった。


僅かな時間ではあったが、森川達のテーブルでの出来事を、亜紀子は楽しんでいた。詰まる事のない息、自然と出た笑い声。肩の力を抜く事が出来た。


「高辻」


立ち上がった亜紀子に森川は、話し掛けた。森川は亜紀子と視線が合ったのを確認して、箸を持たない左手の人差し指で自分の頭部指差した。


「まじ助かった」


森川はやはり真剣な顔付きだ。亜紀子は『未だ言うの』と堪え切れず、笑ってしまった。


”無理したら禿げる” なんて幼稚な言い訳だ。其れをあの寡黙な森川が真面目な顔で言うものだから、やはり周りが沸いた。

亜紀子は未だ少し笑みを残しながら、自分が最初に座っていた座布団へと腰を下ろした。


「何、爆笑?」

「んー? 酢豚のパイナップルは有りかって話」

「はー?」

「其れを真剣に討論してた。まじウケル」


亜紀子の話す出鱈目を勝地達は「くだらない」と鼻で嗤ったが、亜紀子は其れで良いと思った。真実を、勝地達に与える義務は無い。

やはり座り心地が悪い上座は、亜紀子を又大人しくさせた。



どれもこれも中途半端に手が付けられた大皿料理。誰が飲んだかも解らないグラス、相方を失くした片割れの割り箸。亜紀子は悪しき状況に心が痛む。




口腔に甘酸っぱい感覚が知らぬ内に、蘇った。









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