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僕らの特別  作者: 壬生一葉
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【2】

文字訂正。。。 2014/09/18

「…お前ホント、スッピンと会社と変わんないのな」


上市は紅緒が作った朝ご飯の汁椀を手に取って、目の前に座る紅緒をまじまじと見てこう言った。


「ナチュラルメイクなもんで。どうも有難う」

「いや褒めてねーし」


紅緒はカリカリに焼けた鮭の皮をシャクシャクと齧り、炊き立てのご飯を頬張る。普段、朝食を摂る習慣の無い上市にとって、白飯、味噌汁、焼き鮭、出汁巻き卵なんてメニューは見た目に腹いっぱいの食卓だ。けれど、週末に二人が家飲みをすると翌朝必ず紅緒が朝食を用意してくれるものだから、「要らない」とも言えず、些か重い胃を叱咤して箸を伸ばす。


毎度毎度零時を超えて多量に飲酒してしまう為、朝九時に朝食を食べるのは少し気が重いのだが、口に入れてしまえば美味いのだ。上市の家にある安売りの米も、紅緒が焚くと甘くて美味いのだ。

上市は、其れを不思議と思えど明快な答えを求めようとはせず、此処数年の慣例にすっかり馴染んでいる。


モリモリと食事を続ける紅緒に閉口しつつ、何だかんだと上市も其れをぺろりと平らげた。

「ごちそうさん」

「お粗末さま」

続けて食事を終えた紅緒は、二人分の食器を直ぐ後ろの流しに置くと今度はお茶の準備を始める。上市は二人しか座れないダイニングテーブルの端に置かれていた今日付けの新聞を手に取り、食後のお茶を待つ。


まるで夫婦の其れの様だが、そうではない。


薬缶でお湯を沸かしながら、急須にお気に入りの玄米茶の葉を振り入れ、紅緒は想う。


自分が用意したご飯を、美味いも不味いもなく食べる上市を見るのは嬉しい。上市は口に合わない物は、以降一切口に入れない事を知っているからだ。

テレビやラジオから音が流れている訳ではない静かな休日の朝の時間に、好きな男と二人。


嬉しくない訳が無い。


けれど、苦しくない訳でも無い。


私は上市と何時まで、こうして一緒に居られるのだろう。もうお互い二十八で、仕事もそこそこで…上市は何時か、結婚するのだろう。私はその時、心から祝福してあげられるだろうか。

”親友” の幸せを、喜べるだろうか。



シュンシュンシュン……



『やっと身を固めたか』 なんて軽口を叩けるだろうか。



シュンシュン…シュッ



「滝川! お湯!」

沸騰を知らせる音に、まるで気付いていない紅緒を訝しく思い上市は声を張る。紅緒は掛けられた声に慌てて火を止めた。

「どうした、ボーっとして」

「…アンタいつ帰るんだろうって思って」

「…てめっ」

紅緒は表情を歪めた上市に満足して、小さく笑い二人分のマグカップにお茶を注いだ。


紅緒は今日も、上市が好きだと言ってくれた玄米茶を上手に淹れる。





   ◇




男なんか、そう思っていた紅緒が自然と上市を目で追い、彼の言葉に感情の振り子を揺り動かす様になったのは入社して半年が過ぎた頃だった。



社長や椎木の元で、紅緒と上市は仕事のいろはを教わった。入社から三ヶ月を経過し二人は椎木と離れ一人歩きを始めたのだが、上市には”負けたくない” と気を張っていた紅緒は、靴底を擦り減らす程都内を廻った。反対に上市は絞りに絞った会社へと足を運び、我武者羅に奔走する紅緒を些か冷めた目で見ていたものだ。


紅緒は馬鹿な女ではない。自分とて数打ちゃ当たるで、闇雲に仕事を取ろうとしている訳ではなかった。だが努力が結果に繋がらず歯痒さを感じ、そんな自分を上市は『女が営業なんて無理なんだよ』そんな目で見ているのだろうと、悔しさも滲み始めた。


その紅緒の頑張りが実を結び始め、紅緒宛ての電話が何本も掛かってくるようになった。

問い合わせは仕事へと本格的に繋がっていく。紅緒は営業職に就けた事を嬉しく思った。心に余裕が生まれたのか、周りを見渡せば先輩である椎木は「頑張ったね」と声を掛けてくれ、縫製の小名木は「難しいデザイン考えるよな、滝川ー」とやや涙目だった。


彼等は、女の自分が仕事を取ってくる事に何ら抵抗がないらしい。


そして紅緒が何より驚いたのは上市の一言だった。


「根性あんなーお前。俺も負けねぇ」


上市の目は笑ってなんかない。自分を敵視した鋭い視線に、紅緒は実のところ身震いした程だが、其れを億尾にも出さず

「私だって負けないしっ!」

とライバル宣言をしたのだ。



深夜の残業にも眠い目を擦りながら「絶対寝ない」と既に何を張り合っているのか解らない戦いもした。初めてコンペと言うものに参加し、二人揃って落選を経験しその夜ヤケ酒となった。疲弊した体に染み込むアルコールの回りは早い。けして酒に弱い訳ではない上市が紅緒に言う。


「お前の、俺、アレ好きだわ…悔しいけど」

「!」


紅緒は驚きの余り、目を見張った。何ら返事のない紅緒を訝しんだ上市が手酌していた徳利をゆっくりとテーブルの上に置くと顔を上げる。


「…何だお前、何て顔してんだ」

「っ…だって上市からそんな台詞が出てくるなんて思ってなかったし」

「台詞? …あぁお前のデザインが好きだっつーの? 何で? 俺良いモン認めねーほど狭量じゃねーよ?」


確かに、上市は負けず嫌いな男で正論と言える批判は言うが、決して相手を貶めるような、見下すような事を口にした事が無い。実際思ってもいないのだろう。だが、まさかと紅緒は思った。



上市は、自分を認めている……?



「くっそ…早く何か良いデザイン浮かんでこねーかな」

お猪口を煽った後、引力に引っ張られるように上市の右手がテーブルに落ちてくる。小気味良い音が一つ。


紅緒は、既に次の仕事へと頭を切り替える目の前の男を呆然と見つめた。

ほんの少し…羨ましいと思っていたこの男は、男尊女卑なく『私』という人間を認めてくれた。


過去の傷から男性を敵対視してきた自分を恥ずかしくさえ思った。



「…上市」

「あ?」


   ――― 口は悪い、時々いやかなりの頻度で頭に来る男だが…


「あんた、良い奴だ」

「はーっ?! 何処から目線で言ってたんだ、ばぁかっ!」


上市は紅緒のその唐突の発言に ―― 酔いもあったが ―― 少しだけ照れて頬の赤みが増す。


この出来事が、互いが互いを良き仲間として自覚した時であった。




ライバルであって仲間である二人は必然と一緒に居る時間が増えた。ミーティング、営業、展示会、昼食、残業、打ち上げ、研修。そうこうしている内に、互いの家を行き来する程にまで二人の仲は深くなった。甘さなど無い、『親友』としての仲だ。


「飲み直しするぞ」


上市がそう言えば、会社から近い紅緒のアパートになるし、出先から直帰する時はどちらか近い家に寄る。仲間と言えど紅緒は女性だが、上市が其れを気にした事など一度もない。

まるで男友達の其れと同じだ。




だが、紅緒は何処かで違えた。


過日、相当酔っぱらった上市を自分の家へと運び込んで、何時もなら客用の蒲団を敷いて其処に上市を寝かせるのだが、その日に限って紅緒も睡魔に襲われていた。暑くも寒くもない季節だった事もあり、紅緒は限界とばかりに上市と共に自身のベッドへと倒れ込んだ。本当に眠くて眠くて仕方なかったのだ。


何時間かが経ち、意識が浮上してきた紅緒が感じたのは、妙に生々しい熱だった。

横向きに寝ていた自分の胸元に何かが在る。


「…?」


重い瞼を押し開けながら、その何かを確かめるように顎を引いた。


「…!」


人間が懐に居るではないか。紅緒は一気に覚醒し、昨夜の事を脳裏に蘇らせる。

そうだ、昨夜は上市と二人で飲んで上市は酔っぱらって自分は物凄く眠たくて…ベッドで爆睡してしまったのか。上市の額が、上市の腕が自分に触れている。


紅緒は羞恥に頬を染め上げた。


上市の額は紅緒の胸元に押し当てられていて、上市の腕は紅緒の腰に回されているのだ。すっかり皺になってしまった上市のスーツからは彼の香りが香る。黒い少し硬めの髪からは彼が愛用している整髪料の匂いがする。

紅緒は慣れないこの姿勢から逃れようと身じろいだ。すると上市の腕に僅かに力が込められ、紅緒の動きを無意識下で封じた。


自分とは違う大きさに、硬い体に『男』を感じずには居られなかった。やけに鼓動が速くなる。

紅緒は俄かに信じ難い想いに駆られたが、其れは刹那に終わる。


「ミカ…」


自分ではない女性の名前が上市の唇から零れて、紅緒は我に返った。



その名前は、上市が現在進行形で付き合ってる女性の筈だ。


一瞬でも、上市が”自分” を包んでいる等と勘違いした事が恥ずかしかった。

一瞬でも、上市に抱き込まれる自分を”女”だと錯覚した事に吐き気がした。


上市は、自分を女として、見ていない。

上市と自分は、唯一無二の親友で戦友だ。男と女では無い。



紅緒は自らが抱いていた上市に対する恋心を知って愕然とし、同時に失恋を認識した。





紅緒は遠慮なく、自分の体に巻きつく腕を取り払ってベッドから体を起こす。

「…ん…たき…わ?」

抱き枕を失くした上市が身動ぎ、何とか瞼を開けようと試みている。

「上市、この酒臭いシーツ洗うからとっとと起きてっ」

「…声でけぇ」

「早くしてっ!」

少し強引過ぎる紅緒を訝しく思いながら、上市は体を起こして自分の着ていたジャケットの酷い皺に気付いた。

「…つーか、お前も一緒に寝てた?」

「私のベッドだもの寝てたでしょうね。スーツを皺にするなんて、一生の不覚だわ」

紅緒は、二人が同じベッドで寝ていた事等何て事のないと言う顔をして、マットレスからシーツを剥ぎ取る。

「ついでにシャワーも浴びちゃうから、上市適当にしてて」


シーツを抱えた紅緒は何時になく饒舌であったかの様に思えたが、上市は熱の籠ったジャケットを脱ぐと自分専用に置いてあるハンガーに今更ながら其れを掛けた。


勝手知ったる冷蔵庫からミネラルウォーターを取り上げて、コップに注ぐこともせず躊躇いなくペットボトルに口を付ける上市。随分とぐっすりと寝た様だと、ガチガチに硬くなっている体をほぐす様に首を回しながら、紅緒が消えて行ったバスルームに続くドアを見つめた。










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