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僕らの特別  作者: 壬生一葉
強がりの三箇条
19/31

【1】

   ――― 三箇条、其れが必要だったのよ




ひとつ。名前。私の名前は『藤井亜紀子』。そうこの名前。

ふたつ。指輪。左手の薬指を飾る銀色の指輪。

みっつ。矜持。アレ(・・)は何てことない事だった。私はもう子供じゃぁないの。






高校を卒業して七年が経過して、亜紀子は二十五歳になった。節目と言えば節目なのか、目には見えないラインを辿って彼女の元に「同窓会」のお誘いがやって来た。出欠の返事の期限は本日と迫っている。亜紀子は迷いに迷った末、出席と返信をした。


卒業と同時に生まれ育った街を離れた亜紀子の近況を知る人は、同窓会の参加者にはほぼ居ない。








   ◇




「亜紀子って相変わらず、綺麗だね」

「有難う、紗弓もね」


七年ぶりの再会でも顔と名前が一致する。其れほど皆化けていはいないらしい。男性陣の中には、少し恰幅が良すぎてる人も居るようだけれど。

ワイングラスを片手に亜紀子は周りに溶け込みながらも、十分に観察眼を発揮した。


「そのワンピもめっちゃ可愛いんだけど」


皆が亜紀子に羨望の眼差しを向ける。亜紀子は其れを心から喜び受け取ることはしない。自分の顔、スタイルを褒める”友達” と呼ばれる女性達。でも其れに妬みが隠れている事を、亜紀子は承知している。


「結婚、いつしたの?」

「ん? 最近」


用意していた言葉を淀みなく発し、彼女は”幸せそうな” 笑顔を見せた。


「旦那ってどんな感じ?」

「年上でべっぴんさん」


亜紀子がそんな風に彼女達が喜びそうな言葉を差し出すと、案の定会場内がわっと賑わった。大して広くはないホテルのパーティ会場で、彼女を中心とするグループは注目を浴びる事になった。


亜紀子が属していたグループは、高校の時から目立つグループだった。メイクやファッションが好きで、男の話にも事欠かなかった。


少し離れた場所に居た男性陣も、旧友との再会を暫し楽しんだ後、亜紀子とその周りに立つ女性を物色しにやって来た。


「何、なんの話よ」

「えー? 亜紀子の旦那の話ー」

「は? 何お前、もう結婚した訳?」

「うん、まぁね」

「お前がかー!」


一様に皆驚いた表情を見せるのは無理もない。



小学生の頃から、大人びた顔をしていた亜紀子には幾つもの噂が付いて回った。

亜紀子の父は、亜紀子が生まれて数年で病気により他界した。四十を過ぎても美しい母とその娘は、どこぞの金持ちの愛人だとか、母子家庭でも貧しくないのは男に貢がせているからだとか、根も葉もない話がそこら中で囁かれていたものだ。


男を魅了してしまう女が二十五と言う若さで、一ヶ所に留まってしまったのかと疑っている。



「良いわよ、結婚」



知りもしない『結婚』を語る赤の紅を引いた口唇。この日の為に買った『藤井亜紀子』の色だ。



「そう? あたしはまだまだ遊ぶ、一人の男に縛られたくないし」

「お前は相手が居ないだけだろ」

「うるさいよ佐藤」




――――― 一人ノ男ニ縛ラレタクナイ




「その通り」


亜紀子の小さな呟きは、誰にも拾われる事は無かった。






くだらない会話、お愛想の笑い、社交辞令。

七年を埋める様に亜紀子は、同級生達の話を聞き、答え、彼等の思うところの『亜紀子』を振る舞う。


ホテルの宴会場を貸し切った同窓会。立食形式であった為、様々なグループに顔を出す社交性に富んだ人も居れば壁の花と化す大人しそうな人も居る。大抵は高校時代、自分が最も気を許していた人達と二時間と言う時間を過ごした。


自分にとってはもう過去の事等、関係無いのだと思いながらも、亜紀子は視界に映る人達の中に()の存在を意識した。


「二次会に行く人、挙手ー」


フロアの端で誰かが大きな声を上げ、その声に多くの人が反応した。僅かにグループの垣根を超え、幹事の誰かの元へと人が流れる。


「亜紀子は?」

「ん? もう帰んないと」


彼女はしれっと答えた。紗弓は残念そうな顔をしてから彼女に背を向け、二次会へと集う群れに紛れた。


亜紀子は自分の前から好奇心と嫉妬心が引き、少し緊張を解くと顔面の筋肉を緩めて息を吐き出した。久し振りに『亜紀子』を演じる事は、かなり労力を要するものだったらしい。


そんな時だった。




そう、そんな時こそが()が彼女の前に現れる時だった。





「久し振り、高辻」



彼の声が彼女を控えめに呼ぶ。


亜紀子は瞬時に神経を張り詰め、そして愕然とした。

あぁ…私は今でも彼の声をしっかりと覚えている(・・・・・)


首を少しだけ回して、彼へと視線を投げる。あの頃と同じように彼の黒い髪は短く、清潔感に溢れている。未だ少し幼さを残していた顔つきは何処へやら。すっかり大人の男性へと変貌し、濃紺の細身のスーツがよく似合っていた。


亜紀子はこの再会を何度も想定し、幾つかの台詞を考えていたのだが、面影を残した彼に「誰だったっけ?」は酷過ぎだろう。亜紀子は少し目を細め、口角を上げた後に


「久し振り、森川」


と無難な台詞を吐いた。


「二次会は?」


言葉少ななのも相変わらずだ。これで本当に社会人を全う出来ているのだろうかと亜紀子は憂慮する。「小学校の先生」になる事は叶ったのだろうか。

森川は亜紀子との距離を少しだけ縮めて、人だかりを見つめながらそう尋ねた。倣う様に其方に視線を遣った亜紀子は「もう帰らないといけなくて」としおらしく答えてみせる。


「…結婚、」


彼はこのフロアの何処かで、”高辻が結婚した” と言う話題を耳にした様だ。狙い通りだった。


「ん? そう、最近ね」


亜紀子はこれ見よがしに左手を持ち上げ、薬指に光る指輪を見つめる。恐らく彼の視線も其処に引き寄せられただろう。



  ――― そうよ、私はもう貴方の事なんて、ナントモ思ってないの



些か高慢そうにも見える言い草だったが、彼には『藤井亜紀子』を見せれば良いのだ。そんな彼女に森川は、言った。


「…高辻、幸せ?」


あまり人前でペラペラと喋るような男ではなかった森川が、彼女に質した。



さっきまで女友達に話していた様に答えれば良いだけなのに、亜紀子は声を詰まらせる。


森川の声が余りにも、真摯だったから?

森川の表情が、亜紀子を案じる様な物だったから?


森川が亜紀子に向けるものは、何時だって優しさに溢れていた。




過去が蘇って亜紀子は表情を歪めそうになるが、本来の目的をはっきりと思い出し自らを叱咤する。ゆっくりと重い睫を伏せて其れをもう一度起こすと同時に、弧を描く様に唇を形作る。




「勿論、幸せ」




亜紀子は極上の笑みを森川に見せたが、彼女の答えに満足しなかったのか、彼の顔は思惑顔だ。其れどころか、眉が少し寄り目が一度細められた。


「本当に?」


今日の森川は饒舌だ、と亜紀子は泣きそうになった。







   ◇




母子家庭で育った亜紀子は、家族(あきこ)を守る為に懸命に働く母を見て、自分も母の為に何かしたいと子供ながらに思い、日々過ごした。小学生の頃、友達に遊ぼうと言われても亜紀子は『色々やる事が有る』と誘いを断った。亜紀子のやる事は決まっている。帰宅後直ぐに洗濯物を取り込み、夕飯の支度、風呂掃除、宿題、明日の準備。慣れない家事は時間を要し、とても友達と遊んでる余裕は無かった。其れを亜紀子の母は不憫に思うが、決まって亜紀子は言う。


『花嫁修業だよ、お母さん』


とあどけない笑顔で言うのだ。

母は他の子と同じように遊んだり、買い物に行ったりしない亜紀子に申し訳ないと思いつつ、小さい我が子の優しさに甘えてしまった。


友人の誘いに乗らない亜紀子に、中学生と歩いているのを見ただとか、外国の高級車に乗り込むのを見ただとか小学生の好奇心を擽る噂が付きまとった。


そんな事をコソコソと陰で噂しながら、亜紀子を前にすると掌を返したような態度で接する”友達” が、亜紀子は苦手だった。けれど、反論をして自分の立ち位置を危ういものにするのも嫌だった。

生活する事で精一杯だったし、なるべく面倒事に関わらない方が賢明だと思えた。少し自分を偽って、相手に合わせていた方が上手く世の中を生きていける、小学生にして既にそう悟っていた。


そんな亜紀子の土日は専ら図書館通いだった。彼女が読むのは、ハッピーエンドの物語だ。本を読んでいると、亜紀子は其処に引き込まれ、自らを登場人物に重ね合わせる。物語を盛り上げる為に主人公には多少の苦難が待っている。けれど、最後は大団円。亜紀子は、その世界が大好きだった。




本物の亜紀子は、母思いの読書が好きなただの女の子だった。












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