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虚栄の人  作者: 北川瑞山
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 香港空港に降り立ち、私達は各々の荷物を受け取るべく、日本からの便のベルトコンベアを探した。香港空港にはベルトコンベアがいやに沢山あって、自分達が荷物を待つべきところがどこなのか、探すのに苦労した。私はそれでも比較的すぐに見つけられたが、注意力散漫なカニケンは見つけられずに、私が立ち止まったことにも気が付かずに一人ですたすたと歩いて行った。呼び止めるのも億劫なので、黙って放っておいたら、広い空港内を一周して、戻ってきた。

「何だ、ここだったのか」と呼び止めなかった私を責めるでもなく、カニケンは笑って手荷物を待った。ある意味根性のある奴かも知れない。

 香港の入国審査を経て、私達は香港に入国した。熱気の中に、中華圏独特の香辛料の様な匂いがむっと漂うその国に、私達は降り立った。飯を食いに行く前に、フェリー乗り場を確認しておこうということになった。ところが案内ボードを見ても、構内マップを見てもさっぱり分からないので、仕方なくその辺のカウンターで聞いてみようと、カニケンは話せない英語で係員に話しかけた。本当は、カニケンよりは話せる私が聞いてやれば良かったのだが、やはり彼は一人で聞きに行ってしまった。

「ディス、ディス、ディススポット」

熱心にフェリーのチケットを指差すカニケンに、係員は無情にも、

「香港に一度入国してしまったら、もう香港島の上環に行って、そこからフェリーに乗るしかない」という内容のことを言った。しまった。飛行機を降りたら、入国せずにそのままフェリーに乗らなければならなかったのか。因みに香港空港から上環まではかなり遠い。しかしもう入国してしまったので、そうするしかない。唖然とする私にカニケンは、

「え、なんて言ったの?」と無邪気に聞き返してくる。

「香港島に行くしかないってさ」と私が言うと、カニケンは麦わら帽子を取り、慌ててガイドブックを開き始め、即座に「あった」と指差した。そこには「香港には入国せずにフェリーに乗りましょう」と書いてあったが、後の祭りである。私達は仕方なく、上環までタクシーで行くことにした。モノレールでも行けたかも知れないのだが、乗り方がよく分からないし、カニケンが

「金の力にものを言わせますか」という提案をしてきたので、タクシーに乗った。しかしまあこういうトラブルも旅の醍醐味だと、私達は明るく道のりを楽しんだ。まあそれでもケチなカニケンは余計な出費が増えたことに少し不満そうだったが、金の力にものを言わせたのだからしょうがない。

 天気がよく、私達は車窓からの景色を楽しむことができた。大橋から見る暗く濁った海の色。その海沿いには中腹で折れてしまうのではと思う程細長い高層マンションがいくつも林立していて、それは遠くから見ると真っ白だが近くで見ると驚く程煤で汚れていた。小さな部屋が蜂の巣のように隙間なくそこに詰め込まれていて、エアコンの室外機が一室一室にむき出しで取り付けられており、生活感が溢れ出んばかりだった。景色としてみれば優雅な景色に高級マンションなのに、それがよく見れば実は生活に疲れきった数えきれない程の人々の集まりであると思うと、少し心が沈んだ。どこに行っても生活は楽じゃないと思うと同時に、私は少し会社を辞めるのを躊躇した。このあまりにもリアルな生活感の堆積に圧倒され、怯んでしまったのだ。

 海底のトンネルを抜けると、打って変わって繁華街だった。前年カニケンと行った台湾の台北中心部に似ていた。

「台北の街並に似てるね」とカニケンに言ったが、ガイドブックに夢中のカニケンに無視された。俺、何か変な事言ったかな?こういうのが地味に傷つくものだ。

 ほどなくフェリー乗り場に着いた。タクシー代は360香港ドル。日本円にしておよそ4800円だ。ちょっと余計な出費だったが、まあその程度と言えばその程度である。また幸運なことに、フェリーのチケット売り場に行って、香港空港から乗る筈だったフェリーのチケットを使えるかどうか聞いてみたら、何と使えるとの事だった。これで新たにフェリーのチケットを買い求めなくて済んだわけだ。私達は、予期せぬ出費がタクシー代だけで済んだことに安堵した。とりわけケチのカニケンは、金の力にものを言わせずに済んで大喜びだった。

 しかしフェリーの出港まで二時間程も時間があった。そこで、私達は食いそびれた昼飯を食いに行くことにした。上環近辺も、かなり繁華街であり、栄えている。そこそこ美味い店もありそうである。カニケンは一人、ガイドブックで近くの店を調べると、全てが決まった後に「ここでいい?」と私に確認だけとり、スマートフォンをいじりながらすたすたと一人でタクシー乗り場に向かっていった。私はそろそろ、腹が立ってきていた。いくら何でも、一人で勝手に行動し過ぎている。一人で調べ、一人で決め、一人で納得し、一人で勝手に歩き出す。傍らに人無きが若し、とはまさにこのことではないか。殆ど周りが見えておらず、一人でちょろちょろと行動してしまうのである。私はそれを追いかけるだけなのだ。一体こいつは何様なんだ?私のことを自分の腰巾着だとでも思っているのではないか?私は胸中そういう疑問が膨らんでいくのを抑えきることができなかった。実際、かなり苛々していた。

 畢竟、近くの中華料理屋に着くまで、カニケンの一人歩きは止まらなかった。もう私は付いていくので精一杯だった。何のコミュニケーションもとらずに一人でガイドブックを見て、一人ですたすたすたすたと歩いていくカニケンに嫌気がさしていた。私は、彼の後ろ姿を何度睨みつけたか知れない。勿論、腹が減っていたから、苛々していたというのもあろう。しかしどれだけ多めに見ても、そういう傾向はやはり否定できなかった。もうこいつとは旅行に来たくない。そんなことまで考えてしまう始末だった。ああ、自分のような愚かな人間は、同じように愚かな友人しか持つことができないのだと、私は自分の無能力を改めて噛み締めた。悪しき関係は絶つがいい。友人も組織も。私は再び会社を辞めようと強く思った。よく考えると全く関係のない話だが。

 ところが中華飯店で腹ごしらえをすると、ちょっとはそういう気分も治まった。小龍包や中華風の海鮮かた焼きそば、叉焼などを食い、青島ビールを胃に流し込んだ。これはさすがに美味かった。私の機嫌も少し治って、来て良かったと思えるようになった。飯一つで、人の気持ちはこうも変わるものかと思うと、いい加減自分が馬鹿らしく思えた。

 飯を食ってからフェリー乗り場に戻って、人混みをかき分けかき分け、何とかマカオ行きのフェリーに乗った。暑さと、話し声のでかい中国人の多さにいい加減嫌気がさし、疲れきっていた。その上フェリーに乗ったら乗ったで、船酔いが待っていた。一時間近くそれを我慢していると、波しぶきのあがる窓の外、薄暮の向こう、眩い光の群れが水平線上に小さく見えた。あれがマカオだ。多分、この時点で五時くらいだったので、ホテルに到着を予定していた二時間後くらいだ。えらく遠回りをしてきた分、私はマカオに多大な期待をしていた。

 フェリーを降りて、入国審査に向かうと、既に多くの観光客がそこに並んでいた。その最後尾に並び、散々順番待ちをして、やっと自分の番が回ってきたと思ったら、感じの悪い審査官に「これを書け」と、細長い紙を渡された。これを書いて、もう一度並べということらしかった。

「え?書くの?なんだよおい!最初に言えよ!」と私はつい口走ってしまったが、勿論通じない。私とカニケンは渋々その用紙を記入しに、後ろの方の台に戻った。中華圏の入国審査官はなぜあんなにも感じが悪いのだろう。たまにいい人もいるけど。などとカニケンと愚痴を並べあっていた。このときばかりは、私とカニケンは連携していた。そしてまた列の最後尾に並び、やっとマカオに入国した。

 ところが入国を済ませるとどうだろう。カニケンはやっと目的の地を踏めた事に興奮したのか、一目散に外に出て、ホテルまでのシャトルバスが出ていると言いつつ走り出し、かと思えば引き返し、無言でガイドブックを開き、無言で納得し、周りに話しかけ、また一人で納得し、一人で地下道に向かって歩き出し、また勝手に引き返し…。私は、実はカニケンよりも前にシャトルバスの停車しているところを発見していたのだが、カニケンに何を話しかけても無視された。あまりにもちょろちょろしているので、私も疲れきって、もうタクシーに乗っていこうかと言ったがそれも無視された。寂れた地下道を、麦わら帽子を被った蟹がちょろちょろ横歩き。かなり忙しない。私はそれに足を引きずるようにして付いていきながら、

「これじゃないのか?」と案内を指差してみるが、それにも彼は反応するどころか一瞥もくれず、また無言ですたすたと歩き出す。エスカレーターに乗って、私より遥か上の方でガイドブックを読んでいる。もうこいつとは旅行中、話をしないでおこうかと思った。そして、私はこういう独善的、自己中心的人種が世間に置いて成功者と見なされ、優秀な人材と見なされていることに理不尽さを感じた。自分のことしか眼中にない。他人は黙って自分についてくればいい。そんなオナニー野郎がそんなに優秀ですか?そんなに世の中に必要ですか?誰かにそう問いつめたくなった。じゃあ私は一生無能でいいです。誰かにそう開く直りたくなった。しかし私がそんな葛藤を抱える中、遥か前の方で一心不乱に歩き続けるカニケンは、そんなことに気付く由もなかった。


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