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翻って私はというと、自分の仕事が嫌いだった。「それがどうした?仕事なんてそもそも嫌なことをして金銭を得るものじゃないか!給料とは我慢料なんだ!好きな事をして食える程世の中甘くない!」という、世俗的説教を嫌悪するくらいに働くという行為そのものに疑問を持っていた。とにかく毫も仕事内容に興味を持つことができないのである。向いていないのだろう。しかし、それでは何がやりたいのか?と聞かれると、さっぱり分からない。だから今の仕事に納得できないながらも、嫌々仕事を続けてきた。それが最近では、やりたいことなんか実は何にもないのではないかという考えに変わってきた。その場合のやりたいこととは職業的なことに限定されているからだ。金が稼げて、そこそこ聞こえも良くて、その上自己実現欲求を満たしてくれる俗称「やりたいこと」。そんなものないに決まっている。だがだからと言って今のこの成功の見込みもない、楽しくもなければ興味もない、そして万が一成功したからといって大して面白いことがあるわけでもなさそうな仕事を嫌々やって五十歳、六十歳になるのはどうしても嫌だ。そんな自分の姿を想像しただけで胸が悪くなる。何とかしたい。本当に自分が心の底からやりたいこととは何なのか、それを見極めたい。そういうわけで、私は実のところ会社を辞めようか、ということをかなり真剣に考えていた。
そしてそういう気持ちで仕事を続けていると、やはり集中力もなくなるし、ミスも多くなる。そうすると上司にも目をつけられて、人間関係も悪くなる。気持ちは更に追いつめられ、焦りが出てくる。辞めたくなる。すると仕事に身が入らない。悪循環である。その悪循環をどうする事もできないまま、遂に入社七年目を迎えてしまった。社内で昇進昇格もないまま、後輩達には次々に追い抜かされ、同期には相手にされず、それをネタに上司や先輩から厭味を言われる毎日。それをあたかも気にしない振りをしつつ、実は心の中で血みどろに傷ついている。いい加減辞めようか、その言葉が今やっている仕事から全ての意味を奪ってしまう。こんな状態で、努力なんてできるわけがない。私はそんな風にして、いつしか南の島に移住する計画を立て始めた。何のあてもないが、ストレスフリーなスローライフに憧れたのだ。現実逃避、と言われようと、それでもとにかく逃避したい現実に目の前が塞がりそうだった。頭の中は既に、会社を辞めた後の生活のことで一杯だった。なんくるないさ〜。
カニケンから旅行の誘いを受けたのは、正にそうした葛藤の真っ最中のことであった。マカオに行かないか、とメールが来た。これは別に驚くべきことではない。夏になると、カニケンと二人で旅行に行くのは、最近私達の間で暗黙の慣わしになっていた。その前の年も、夏に二人で台湾に行った。だから私は、内心それどころではない不安定な心情ながらも、その誘いを受けた。実際、マカオに行ってみたい気持ちもあった。私の現実逃避的志向が更にそれを後押しした。カニケンはマカオには一度行った事があるらしく、ある程度土地勘もあるらしいので、航空機チケットや宿の予約は全てカニケンに一任した。カニケンはそうした事務作業にかけては人後に落ちない奴で、最もよい条件を最も安い価格で持ってくる。多分仕事もできるのだろう。私はそうしたカニケンの能力をうらやみつつ利用することに内心忸怩たる気持ちがありながらも、結局は全部彼にやってもらったのである。そういうわけで、私は旅行の主導権を完全に向こうに渡していた。
マカオに行くまで、私は当面の生き甲斐を得た気分で、少しだけ仕事に張り合いをだすことができた。会社を辞めた後のことも勿論考えたが、今はそれよりも目の前のマカオ旅行がある。そう思うと、退職やその後の人生について悩むのは、マカオから帰って来てからでいいじゃないかという気がして、先送りされた。また、どうせ会社を辞めて無職者になるのだったら、もう当分海外旅行など行けなくなるだろうから、どうせならこれを最後に思いっきり遊んでこようという気持ちもあり、悩んでいる人間にしては信じられないくらいさしたる煩悶もなく旅行を楽しみにすることができた。むしろマカオ旅行が退職に至るまでのマイルストーンになっている感じすらあった。とにかく、その旅行を私は楽しみにしていたのである。
ところが日本を発つ前日、会社で思わぬ仕事を頼まれた。このことは旅行のスケジュール自体に影響はなかったが、しかし私の気分を一気に下げてしまった。それは会社の株主総会の事務局スタッフである。参加する役員社員のバスを手配したり、株主総会やその後の懇親会の会場に参加者を誘導したりするのだ。尤もこの仕事自体は別にどうということもなかった。問題は一緒に行動する社員だった。スタッフの仕事をする際、必ず二人で一組になってバスの案内や誘導などを行うことになっていたのだが、その組み合わせが事務局で予め決められていた。私の相方は、坂上という後輩だった。こいつがいけ好かない後輩で、なぜよりによってこんな奴と組むことになったのかと、私は自分の不運を恨んだ。坂上は他部門の社員ではありながら、過去に偶然一緒にいる機会が多かったもので、少し仲良しになったのであるが、こちらが気を許した途端に失礼な発言を繰り返すようになった。「先輩、何で一人だけ昇進しないんすかあ?」等の失礼な発言を連発するようになり、またそれが日を追うごとにエスカレートしてきて、傘立てに置いてある私の傘を勝手に使ったり、挙げ句には「死ねばいいのに」という言語道断の発言も臆することなく口にするようになっていたので、私は意を決して「お前の無礼さが気に入らないから、金輪際私に話しかけないでくれ」と坂上に言い放った。そうしたら、当然のことではあるがその日から私達の間柄は気まずいものになり、廊下をすれ違う度にお互い渋い表情を浮かべていたのである。その坂上とタッグを組んで業務に当たらねばならないことは、私にとって(向こうもそうであろうが)かなりのストレスであった。尤も私が坂上を突き放した日から、もう一年以上経っている。大した確執も残っていまい。それに先輩である私の方から突き放した手前、私の方から話しかけなければなるまい。そうして意を決しておよそ一年ぶりに彼に話しかけ、業務の分担を決めようと言ったのであるが、彼は思った以上に精神年齢の幼い人間だった。私が話しかけても返事もせず、こちらを振り向きもせず、ふてくされた様子で
「お任せします」と低い声で呟いたきりだった。その様子が如何にも慇懃無礼で苛々したが、仕方がないので、私の方で分担を決めさせてもらった。別にその後のスタッフの業務に支障はなかったが、それでも坂上の横柄な態度に不愉快なものを感じたのは事実だった。私はいっそのこと、マカオから帰って来た次の日に会社を辞めようかと思ったくらいだ。
その他、旅行の楽しみに冷や水をかけたものと言えば、それだけではなかった。私は前々から、上司の小峰に頼まれてある資料を作っていたのだが、私が作り終わったものを、小峰がそのままお客さんに送ってしまった。私としては資料の用途を聞いていなかったので、てっきり社内用の資料と思い込み、大してチェックもしていなかったし、そんなに重要な資料ならば誰かが一応チェックするだろうという気持ちもあったが、それが何のチェックもされずにお客さんに送られたのだ。その後、資料の中に誤字脱字が見つかった。これを送って恥をかいたのは小峰である。まあこれは確かに私も悪かったのだが、その後小峰は怒りのあまり、私に罵詈雑言をメールで送ってよこした。内容については、ここに直接載せるのも憚られるくらいの人格否定ぶりだったが、私の神経に触れたのはその内容自体よりも、それがあたかも業務連絡の様な体裁を装って書かれていた点だった。一見丁寧な事務的な言葉で箇条書きを書き連ねながら、さりげなく私の人格を否定する文句を混ぜ込んで行くスタイルだ。そしてそれが私に向けたメッセージであることが明らかであるにも関わらず、そのメールを部署全体への注意事項として部署の社員全員に送っていた。侮辱してやろう、見せしめにしてやろう、だけど責任は負いたくない。これが奴の本音だろう。そして結びには、私がもはや小峰の部下ではなく、私の先輩社員に当たる大沢の部下であり、小峰は私の管理について直接関与しないこと、当メールを含めて何か話がある場合には私から直接ではなく、大沢から話をよこすことなどが命令口調で書いてあった。こうなるともはやパワハラとかいうよりも職務放棄である。
実はこうした責任転嫁的、攻撃的なメールは何か責任が降り掛かってきそうな時の小峰の常套手段で、今回始めて送られたわけではないのであるが、責任回避と自己保身で凝り固まった上司の態度にいい加減にうんざりさせられた。直接対話のできないメールによる一方的なコミュニケーションも卑劣だと思った。これでは向こうの認識が間違っていても何も弁解ができないではないか。これが所謂モラル・ハラスメントというやつか。
一方で、私は相手の身になって考えてもみた。守るものができ、責任が重くなり、一方では年を取って人生は潰しがきかなくなり、体力的な自信は無くなり…。そういう過程で、人間は誰でも多かれ少なかれこういう責任逃れ人間になってしまうのではあるまいか。自分もこのままいけば、ただ自分の立場に拘り続け、そこに安住し続けることだけが目的の人生を歩んでしまうのではないか。そう思うと、自然私の会社を辞めてしまおうかという考えには更に拍車がかかった。
そういう次第だから、マカオへの出発日にも、旅行を楽しんでこようという気持ちの中に、どこか落ち着かない、こんなことをしている場合じゃないという気持ちが、焼き魚の骨のように至る所で出てきては喉を刺し、それを飲み込もうとする私を嫌な気分にさせた。そして出発当日までには、私はすでに傷だらけになっており、命からがら現実世界から抜け出し、マカオに飛び立ったという形になった。