プロローグ『幻想領域』
真っ白な部屋。そこを一言で表現するならば、まさしくそんな表現が当てはまるだろう。
そんな部屋に集められているのは、多種多様な容姿、性別、格好をした百人ほどの人間達で、そんな彼ら彼女らの共通項はたった一つだけだ。
VRMMO『アルタベガル』のトッププレイヤーである事。それだけだ。
設定自体はそれほどとっぴな物でもないが、誰もが憧れる異世界というものをとても良く再現していて、まるで本物の異世界にいるかのような美ししグラフィックを誇るアルタベガルは、RPGとしても素晴らしい完成度を誇っている。
レベル制で身体能力を含めた各種ステータスこそレベルで大きく差が付くものの、戦闘スキルは無く、魔術は基本となる詠唱こそあるものの、自由度が高く使い方も応用次第で無限の可能性を秘めている。端的に言うなら、低レベルでも技量で高レベルプレイヤーと渡り合えるのがこの世界なのだ。
だからこそ、レベルと技量の揃った化け物は少ない。
現実で武術を行っていればこの世界でも同様に振舞えるかといえばそうではなく、高い身体能力に振り回される事なく、なおかつ現実では不可能な体捌きや魔術や魔力の使用にファンタジーならではの気象や地形といった非現実的な物に適応できなければ、レベルだけ上げても上には行けないのだ。
例えば、部屋の隅で座禅を組み、瞑想をしている坊主頭の男。外見から中身まで仏教のお坊さんそのもので、戦闘方法は至ってシンプルな魔力戦闘の達人だ。
魔力を使用した戦闘と言えば、簡単なものでは魔力塊の射出や武器への純粋魔力の付与などが上げられるが、彼は鍛え上げた魔力を圧縮し物理的な攻撃手段として練り上げた。
その結果が、背より恐ろしい数の腕として魔力を伸ばし敵を叩きのめす『千手』であり、一般のプレイヤーの間では戦う観音様として有名である。
他にも千を超える人形を操る『人形騎士団』に、無詠唱でマシンガンのように強大かつ多種多様な魔術を連射する『天災賢者』や剣一本で魔力すらろくに使う事無くトッププレイヤーにまで上り詰めた『剣聖』、果ては『勇者』や『聖女』などのベータ時代のイベントをクリアしなければ選べない特殊な種族の面々も集められている。
まさしくアルタベガルの英雄豪傑、VRMMOに適応した廃人達が集められた部屋の扉がノックされた。
そうして返事を待たずに入ってきたのは、この世界でアバターを創る際に人族の男性用基本モデルとして出てくる青年だ。
『英雄』イズナ。かつて一度だけ起きたアルタベガル内の世界大戦で、終戦を望んだプレイヤーを纏め上げて、傍観していたトッププレイヤーを陣営に引き込み、見事その戦争を止めて見せた仮想世界における本物の英雄。その働きを賞して、運営が彼だけに与えたただ一つの特権が『英雄』という種族だった。
それ以外の褒章は、彼が固辞したというのだから、その謙虚さ、人当たりの良さから男女問わず人気が高い。
だが、トッププレイヤー達は知っていた。あの世界大戦が実は戦争イベントを導入するに当たってのテストケースであり、全ての陣営のトップはプレイヤーではなく運営の側の人間であり、それはこの人畜無害そうな、特徴のない英雄も同じだという事を。
戦争イベントが欲しいという要望を受けた運営が、単独で戦力比を傾けてしまうトッププレイヤー達へ密かに話を通し、全ての陣営の戦力を調整した上で戦争イベントを導入した際のデータを集めたのが、あの世界大戦なのだ。
世間ではあの大戦があったから、慌てて戦争イベントの導入を決めたとされているが、実際は逆で、戦争イベントがあっての大戦だ。
つまり、英雄はゲーム内に溶け込んでこそいるものの、立派にGM側の人間なのである。
「イズナっちが来たって事は、ようやくお話が始まるのかにゃ~?」
全員が揃ってイズナへと視線を向け、それにイズナがたじろいだところで声を上げたのは、常に獣化して猫の姿をしている獣人『猫又』のココロだ。彼女は可愛らしい見かけやえげつない戦闘方法からは想像も付かないほど温和かつ理知的であり、彼女が声を上げた事で口を開いていた数人が言葉を飲み込む。
会話はココロに全て任せるという空気になったところで、彼女の声にたじろいでいたイズナはつばを飲み、なんとか頷いてみせる。
「はい。今回、皆さんに集まっていただいたのは、僕の提案ですから。提案した人間として、皆さんへの説明を引き受けました」
「にゃるほど。という事は、さすがの戦闘系GM軍団も、〝あの〟場所の調査には手間取ってる、いや、上手くいってない、って事かにゃ?」
「はい。上手くいっていないどころか、ぼく達は何もできず、何も調べられずに逃げ帰ってくる結果になりました」
イズナの発言にざわめきが広がる。この世界のGMは、他のゲームと違ってシステム側の権限によるカンスト状態のステータスに加え、トッププレイヤーにこそ及ばないものの、それでも迫るレベルの実力は持っている。そんな彼らの敗北宣言だ。動揺しない方がおかしいと言える。
「幻想領域はそんなに手ごわいのかにゃ?」
ココロが話題となっている場所の名前を出す。
幻想領域。アルタベガルに突如として現れた新たなフィールドで、しかしアップデートで運営が追加した場所ではない、オカルトそのものである場所だ。
現れたのは人族の初期出現位置である大国アヴァロンの王都西、初心者が活動する惑いの森と呼ばれるフィールドダンジョンの奥で、マップから割り出される位置に惑いの森以外から進入しようとしてもあるはずの位置にフィールドが存在せず、そこに運営から侵入禁止のお知らせと共に惑いの森が閉鎖。話はこれで終わるかと思われた。
だが、間違って導入した新しいダンジョンではないかと疑ったプレイヤーがなんとか侵入しようとした事で話は大きく変わる。
侵入しようとしたプレイヤーは、システムで閉鎖されている惑いの森の入り口から、惑いの森を無視して、幻想領域へと入ることができたと言うのだ。しかも、スクリーンショットまで掲示板に上げたものだから、プレイヤー達は色めき立ち、運営は慌てた。
そこから紆余曲折あったものの、運営は運営側が製作して設置したフィールドではない事を知らせた上で惑いの森のシステムによる閉鎖を解き、幻想領域の入り口が惑いの森奥へと戻ったことを確認してGMが人力で閉鎖する事で侵入を防いでいる。
運営側もそんなまどろっこしい事をせずにプログラムを直接弄って消滅させれば良いと思うかもしれないが、二度目のお知らせの際にプログラムには幻想領域のデータは存在せず、また、外部にサーバーを設置している可能性を考慮して、ネット回線を切った状態でGMが確認したが、変わらずに存在した事も一緒に知らせている。
中で死ぬと現実に戻れない等、様々なオカルトがネット上で囁かれる中、トッププレイヤー達の多くは、GMが調査のための隊を組んだという話を聞いていた。
アルタベガルはゲーム内の幻想を極力殺さないために、神の名と本来運営だけが保有しているはずの権限を与えたAIとその手足となるAIを相応の金銭と労力を費やして用意している。それにより、GMが出てくるのは本当に大規模な事例か、それに同等するだけの事例が発生した場合のみだ。
だからこそ、それだけの事態でGMが失敗した事は無く、イズナの発言はトッププレイヤーでさえも動揺させる。
しかも、彼らの失敗は、ただ逃げ帰ったというだけの失敗ではなかった。
「手強いかどうか、というだけで考えるなら、モンスターはそれほど手強い訳ではないでしょう。強さとしては、ぼくや他のGMが感じた限りではレベル四千から八千。そんなところです」
「上級のプレイヤーにゃら倒せにゃいほどじゃあにゃいにゃ。という事は、フィールドが極悪だったのかにゃ?」
プレイヤーの現在の上限は初期二千に二回の上位種族への転生で、ステータスの若干の上昇と共にレベル一へと戻るから、合計して六千ほどが最大となる。GMのステータスはそのレベルで特化して至れる最大値であるから、実質七千ほどと同等だろう。そこに技量を加えると、トッププレイヤーは一万越えのモンスターを相手にして勝利できるし、GMもそれに追随する戦果を上げるだろう。
だからこそフィールドに問題があったのかというココロの問いだったが、イズナはそれにも首を横に振る。
「いえ。むしろ、生気に満ち溢れた大自然、という感じでしたよ。昔の地球はこんな感じの緑が溢れていたのではないか、と思うほど、雄大で美しいフィールドでした。そこに罠なんて無粋な物もなければ、特殊な地形も皆無と言える程度しか存在しません」
「モンスターでもフィールドでもにゃい、と。にゃぁ、お姉さんも降参にゃ。GMを逃げ帰らせるなんて、一体にゃにがあったのにゃ。キリキリ話すにゃ」
「キリキリ、ですか。まず初めに断っておきますが、ここで話す事は全て他言無用です。外に漏れれば、余計な面倒事しか起きないというのが我々の見解なので、この決定に従えない方は、こちらから呼び出しておいて申し訳ありませんが、ご退出願います」
イズナの言葉に出て行く者は当然のようにいない。元々アルタベガルは残酷描写から成人指定されているゲームだ。潜り込んでいる未成年者は当然いるだろうが、基本的に社会人しかいないし、事の重大さを理解していれば、今回の事を外に漏らすなんてありえない話だ。
そんな彼らの真剣な顔を見回して、ホッと息を吐き出したイズナは、廃人達ですら信じがたい話をゆっくりと語りだした。