エスコートは任せてね
窓から降りしきる朝日。小鳥たちの爽やかな歌声。今日もいつもと同じような朝が訪れる…はずだった。俺が支度をしていると、召使いが部屋に現れた。
「おはようございます、ジン王子。昨夜はよく眠れましたか?」
“王子”という言葉に少しゾッとしたが、俺はとりあえず生返事をした。年老いた召使いはしわくちゃの頬を引き上げた。
「それは良かった。今日の舞踏会が楽しみです」
「今、なんて?」
何か聞いてはならない物が聞こえた気がする。舞踏会だと? この俺に踊れと言うのか? しかし召使いの返事は俺を絶望させる事しかできなかった。
「兄上! 俺は舞踏会に出席するなんて聞いてないぞ!?」
俺は3人の兄に向かって怒鳴る。3人とも既にダンス用の礼服に着替えていた。
「舞踏会がある、なんて言ったらジンはすぐ断るだろ? だから今回は何も言わずに進めたのさ。なんたって今日の主役は君だからね♪」
兄弟の中では一番年下の、エクサがご機嫌に答える。聞くところによれば、この会を開くと決めたのは父上、つまりバイザー王自身らしい。父上も兄上も、少し平和ボケしているのではないだろうか。いくらあの悪夢のような大戦が終わったからといって…。
「悪いけど、俺は降りる。体調不良とでも言っておいてくれ」
話を終えようとして、部屋を出かけたが、すぐに兄上達に捕まえられてしまった。
「だめだめ。君は世界を救った英雄なんだから、いやでも出席してもらうよ」
上から2番目の兄、イヴォルーがいたずらっぽく言う。…俺の意志は最初から無視かよ。抵抗虚しく、俺はダンス用礼服に着替えさせられてしまうのだった。
シャンデリアが照らすきらびやかなホールに、俺は入っていった。ダンスの音楽が流れ、華やかな雰囲気が息苦しい。俺はホールの端っこに佇んだ。誰にも話しかけられなければいいと願いながら。
「あれ? ……ジン将軍!? あ、あの、よろしければ一緒に踊りませんか?」
もちろんその願いははかなく消えた。背後から少女と思しき人物に話しかけられ、俺は振り返った。ユウカ、と言いかけて慌てて言葉を呑み込んだ。あれから行方知らずとなっているユウカがこの場にいる訳ない、と俺は自分で否定した。ユウカの双子の妹、マリン。容姿はユウカと瓜二つで、茶色の髪にエメラルドグリーンの瞳をしている。ドレスに身を包んだ彼女は、少しはかなく見えた。
「悪いんだが、俺はダンスはちょっと…」
俺は戸惑いつつも断った。俺は王子ではあったが、ずっと修行に励んでいた所為でダンスなど一度も踊った事が無かったのだ。だがマリンはあきらめるどころか、その瞳は嬉しそうに鋭い光を帯びた。
「大丈夫です。私がリードしますから」
そう言って俺の腕をつかみ、ダンス用のスペースへと引っ張っていく。俺はいつの間にか言われるがままにダンスしていた。慣れているからなのか、マリンはダンスがとても上手い。とてもじゃないが、若干16歳の少女には思えないくらい、てんで初心者の俺をリードしていたのだ。
一曲終わり、俺とマリンは横へ外れた。慣れない事はするもんじゃない。緊張していた事もあって、俺は既に疲れていた。
「ジン将軍、なかなかダンスのセンスありますよ?」
初っぱなからバテてしまった俺を見かねてか、マリンがいたずらっぽく笑う。
「…そりゃどーも」
心底どうでもよかったが、無視しては悪いのであいまいに返答する。体中に力を入れすぎたようで、がちがちになっていた。ふと、こちらに向かう靴音が響いた。
「こんばんは、ジン将軍。よろしければ一緒にダンスはどうですか?」
現れたのは、マリンの義理の姉である20代の女性、キララ。彼女もまたドレスを身にまとっており、美しい、という言葉がそのまましっくりくるような感じだ。
「いや、だから俺は…」
そうは言いかけたものの、すぐにキララに腕を掴まれ、また踊る人達の中に入っていく事となった。逃げようとした際、マリンが不意を突かれたような表情をしているのが目に入った。
大人の女性という事もあり、キララのリードは格段に上手かった。最初こそ力んでしまったものの、後はまるで一種の魔法にかけられたみたいに体が軽く動いた。ダンスの間中、俺は彼女に包まれているような錯覚さえしたのだ。これなら永久に踊っていられそうだ、と思ったが、すぐにそれはない、と否定した。
その後、俺は何人かの女性達にダンスに付き合わされ、へとへとになってホールの端にあるテーブルに着いた。テーブルの周りには整然と椅子が並べられ、豪華な料理がテーブルの上に美しく置かれていた。
「ワインはどうですか、ジン将軍?」
席につくなり、グラスに注がれたワインを差し出される。
「気が利くな。ありがとう、もらうよ」
赤い液体の入ったグラスを受け取り、俺は話しかけた少女を見る。マリンはグラスを手渡してから俺の隣に座り、自分のグラスに同じようにワインを注いだ。俺はワインに口をつけた。やがて酔いが回り、少しだけ疲れた体が軽く感じる。気分は未だ晴れなかったが、それでも少しはマシだ。ふと、俺はある事に気がついた。
「マリン、お前はお酒を飲めるのか?」
グラスに注がれたワインは半分ほど減っている。マリンの頬は酔いのために紅潮してはいたが、俺の問いにすぐに反応した。
「あまり強くないですけどぉー、飲めますよー?」
間延びし、少しろれつの回っていない話し方で、マリンは答えた。酔っぱらってはいるが、少なくとも前後不覚には陥っていない。俺はユウカがワインを飲んだ時を思い出し、思わず笑ってしまった。急に笑った俺が意外だったのか、マリンはきょとんとしている。似ていると思ったら、奇妙なところで違うんだな、この双子は。
しばらく、無言の時が流れた。急に体重がかかり、俺は思わず隣を見る。マリンが俺にもたれかかっていたのだ。お互いの呼吸が肌で感じられてしまうほどの至近距離。これじゃあ動けないな。もっとも、その方が俺にとっては都合がいいのだが。
「…怒らないんですね。」
にわかにマリンが口を開いた。エメラルドグリーンの瞳が、上目遣いに俺を見上げてくる。まつげが眠たそうに揺れる。
「…怒ってほしいのか?」
俺が逆に聞き返すと、マリンは、
「そうじゃないですけどぉー。ちょっと気になったんですぅー」
と、やはりろれつの回らない話し方で答えた。俺は末っ子だから分からないが、妹ができたらこんな感じなのかな、などとらしくない事を考えてしまった。やがて体を預けられ、規則的な寝息が聞こえてきた。疲れていたのかもしれない。そんな姿を見て、俺は静かに笑った。
「寝ちゃったね」
眠ってしまったマリンのそばでしゃがみ、キララは彼女のおでこを軽く小突いた。マリンは身じろぎをしたが、目を覚まそうとはしなかった。
ふいに、背中に温もりを感じた。首に腕が回され、吐息が俺の耳にかかる。いつの間にか俺の背後にキララがいたのだ。キララの美しい笑顔が、それこそ目と鼻の先にある。俺はしばらく、動けなかった。少女にもたれかけられ、女性に抱きかかえられた状態で、どうやって動けるというのか。そして俺の頬に、柔らかい感触が伝う。それが口づけだと気付くのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。
「スキだらけですよ、ジン将軍。そんな事でいいんですか?」
甘い声もキララのいたずらっぽい笑顔も、ものすごく近くにありすぎて、俺は返答に困ってしまった。
それから一体どれだけ時が流れたのか、俺には知る由もなかった。
カップリング企画にて、ブロ友様より「マリン→ジン←キララ」というリクエストを頂いたので書いた作品でした。
ものすごく甘い作品となっております。恋愛ってなかなか長編ストーリーに組み込みにくいところがありますから…
『魔法使いの世界』の時間軸的には、ラスボスを倒して戻ってきて数日といったところです。まだジンには王になるという話は来ていません