戻れない路
それは、遠い神代の時代の話。
なだらかな丘の上は、急な雨でぬかるんでいた。雨雲は光を遮り、強い雨は無慈悲に命の芽を摘み取る。そんな中で二人の騎士が向かい合っていた。一人は剣を、もう一人は槍を構えていた。
黒髪の青年の剣は銀色の無個性な剣であった。実用性のみに主眼が置かれたデザイン。
蒼い髪の青年の槍は、禍々しい真紅の色をしていた。槍の穂は黒光りしていた。
「盟友よ、この日をどんなに恐れたことか」
蒼髪の青年、グラウコスは魅惑的な顔に悲壮感を漂わせていった。
「私もだ、戦友よ」
黒髪の騎士、ロゥランがそれに答えていった。彼の顔も苦渋に満ちていた。二人の親しき友人は、己の運命を呪った。
「ついにわれらの時代が終わるのか、エルフやドワーフ、神の時代が」
グラウコスは言った。彼の長い耳はエルフのそれだ。
「戦友よ、神は父なる神、エデンのみとなるのだ。そして、人間の時代が始まる。これが神による計画なのだ」
ロゥランは剣を構えたまま言った。
「私は父に逆らえない。私は時代の終焉を告げるために、君と古き種族を滅ぼす」
ロゥランの瞳は揺れていた。迷いがないわけではない。しかし、彼は戦友を殺す。それが、彼の存在する意義であるから。父たる神の命令は絶対。例え心が拒もうと、身体は動く。敵を殺せ、父には向かう敵を、すべて。疼いて堪らない体をロゥランは抑えていた。それも、もう限界であった。
「盟友よ、もはや言葉を交わす必要もあるまい。君に殺されるなら私も本望だ。だが」
グラウコスは槍を華麗に操る。高速で回る槍。槍の名手、グラウコスにのみ許された槍の舞。
「ただで負けてやる気はないぞ?」
槍を再び構え、自信に溢れる貌で蒼髪の青年は言った。不敵な笑み。もう何年、同じ戦場でその笑みを見たことか。輝かしい過去を懐かしく思い、ロゥランはその思い出を振り払った。
「行くぞ、グラウコス」
『十二騎士』。神代の時代の優れた英雄たちをそう呼んだ。神の子ロゥラン、麗しのグラウコス、串刺しロクシュヴァ、神弓ルナといった名だたる英雄たち。エルフ、ドワーフといった古の種族が中心であった。栄光の象徴。
しかし、その時代は終わりを告げることとなる。
親友同士の決闘という形で。
槍と剣がぶつかる。拮抗する両者。互いの癖も何もかもを知り尽くしている、自分以上に。身体能力の差もないに等しい。
ロゥランは懐に入り込もうとし、グラウコスはそれを察し、距離をとる。グラウコスが槍の間合いに持ち込むと、ロゥランは踏み込む。一進一退の攻防が続く。
必殺の一撃が撃ち込まれるが、二人の英雄にとってそれは必殺ではない。
幾度も幾度も撃ち込まれる技の数々。常人では追いつくことのできない、戦い。およそ地上ではこれ以上の戦いはないと思われる仕合。しかし、それを見るのは戦場の二人と、その頭上の天にいる神、エデンのみだった。
どれほどの時がたったか。雨雲は去り、夜のとばりが訪れる。戦いは終わらない。漆黒の闇の中を二人の戦士は戦い続ける。
しかし、両者の息は乱れてきた。腕は振るえている。頭も朦朧としていた。恐らく、あと一撃。それが最後であろう。一撃で決着をつける。二人の目はそう語っていた。
槍を構え、腰を深く落とす。剣を両手で持ち、背を伸ばす。そして、互いに走り出す。神速ともいえる一撃が互いの腕から放たれた。
通り過ぎる二人の体。そして、刹那の瞬間の後、グラウコスの体が崩れ落ちる。大量の鮮血で夜空を染めて。
一方のロゥランも無事ではなかった。全身を槍が穿った。奇跡的に立っている、という状況だ。
痛む体を押して、ロゥランは倒れるグラウコスに歩み寄る。グラウコスは端正な顔を苦痛に歪めていた。だがそこに、ロゥランへの怨みも何もがない。死を前にしながらも、安らぎがあった。
「戦友よ」
「盟友よ」
二人は同時に言った。
「赦してくれ、戦友よ」
頭を垂れて、懺悔するかのようなロゥランに、笑ってグラウコスは言った。
「盟友よ、顔を上げよ、剣をとれ。そこに己が信じる正義があるのならば。立ち上がれ、さすれば希望は訪れよう」
そう言って、グラウコスは目を閉じた。脳裏に浮かぶ光景。十二人の栄光の騎士。轡を並べた、遠き日々。すべてが遠い過去。もう、戻れない過去の残滓。
風が強く泣いた。グラウコスの死を嘆き。木々が泣いた。エルフの戦士の死を嘆き。ロゥランは叫んだ。自身が殺した戦友の死を嘆き。
風はグラウコスの槍をどこかへ運び、木々はその懐に戦士の遺骸を包み込んだ。孤独な騎士は歩み始めた。道なき道を。もう、戻ることのできない路を振り返ることなく。
(さらばだ、戦友よ・・・・・・)
神代の時代の終わりが始まる。死神ロゥランと人間たちによる反乱は、大地を焼き尽くし、旧い種族を滅ぼした。神々も、父なるエデンと、ロゥランを残して滅びた。
ロゥランは永遠の牢獄に囚われた。死することもできず、人間にも逆らえずに、彼は歩き続けた。
自信の殺した戦友のことも、忘却しながら。
果てしなく長い旅路を。
赦されるその日が来るまで。