第十八話:終息
チョコも私を見つけたようだったが、数日前のように駆け寄ってはくれなった。
もうチョコはそこから動けなくなっているようだった。
私を見つけると、「伏せ」の状態のまま尻尾を小さく振っていた。
私は定位置となってしまったチョコの隣でいつものように頭を撫でた。
━━私はどうすればいいの。
このまま弱っていくチョコを見ている事しか出来ないの?
チョコに点滴をしてあげることもできない。 こんなふうにただ隣にいるだけ。
自分に嫌気がさして私はいつもより幾分早く家に帰る事にした。
立ち上がって歩き出す。チョコの方を振り返ると、不安げな目で私を見つめていた。
家に帰ってテレビを見ていた私は、屋根に当たるポツポツという音になかなか気付かなかった。
父が帰宅してリビングに来た時、服が濡れていたのを見て初めて理解した。
今雨が降っているのだと。
リビングの閉め切っていたカーテンを開けると外には水溜まりができていた。
ハッとして、私は父に「学校に大事なものを忘れてきた」と告げて、走った。
もちろん傘を右手に。
履きかけの靴は何度も脱げそうになり、傘は持っているだけで自分にさすのを忘れていた。
さほど強くない雨だったはずなのに、走っていると強く肌に当たった。
チョコを見つけた時には走り寄り、急いで傘をさした。
さっきの場所まま雨に濡れたチョコは悲しそうだった。
疲れきった表情をしたチョコは、苦しみに耐えているようだった。
時折聞こえてくる小さなうめき声が体の痛みを物語っていた。
『チョコ…』
雨の音ですぐに消え去ってしまった小さな声。
チョコはもう長くない。
そう直感した私は、月本を呼びに彼の家まで走った。
傘はチョコの上に立て掛けてある。
急がないと…。 私はまた走った。
長い距離を走り過ぎて、横腹がズキズキと痛んだ。
その痛みを殺すために、自分の腹を殴った。
すると少し前に傘をさしている月本が見えた。 月本が私に気付いて駆けてくる。
『月本、チョコが…ハァ…大変ッ』
横腹の痛みでちゃんと言葉が出てこなかった。
その一言で全てを理解したように、月本は傘を閉じて走り出した。
私もすぐ後を追う。
苦しい。 息ができない…。
ようやくチョコのいる河川敷まで来ると月本の横に並ぶことが出来た。
ゆっくりと月本の後ろからチョコに近付く。
月本のひどく傷付いた横顔が見えた。
チョコは私達を見て、とても安心したような顔をした。
そしてあろうことか立ち上がって私達のもとまで歩こうとした。
でも立ち上がった瞬間、フラッとよろめいて倒れてしまった。
私達は目と鼻の先程の所にいるチョコまで走った。
チョコは私達が頭を撫でるともう残っている筈もない力の全て使って尻尾を動かした。
ほんの少しだけ。
でも私には伝わった。 チョコの[ありがとう]っていう気持ちが。
きっと、月本にも伝わったはずだ。
そして何度か苦しそうな呼吸を繰り返した後、静かに目を閉じた。
冷たい雨で冷え切っていた体は、みるみるうちに熱くなって私の目の端から液体をスッと流した。
ずっと体中に降り注いでいる雨と私の涙は混じって地面へと零れ落ちた。
とまらなかった。 涙も悲しみも。 月本もうつむいている。
私は目の前ですやすやと眠るように横たわっている犬を見つめた。
なんでそんな幸せそうな顔してるの。 私はもう、君と目を合わせる事もできないのに。
一人でそんな…どっかに行かないでよ。
放課後の時間はどうしたらいい? 一人で真っ直ぐ家に帰るなんて、もうできないよ。
心の中でチョコを責め立てた。
ふと月本が私に近寄ってきて 『俺…悪いけど家帰るな』
彼の顔も悲しみに染まっていた。私は何も言わず頷いた。
しばらく、未だ降り続いている雨に濡れながらもチョコを見つめていた。
チョコがまた何事もなかったかのように起き上がって私に寄り添ってくれる事を信じて。
自分の浅はかな願いに呆れて、自宅に戻った。 傘はチョコにさしたまま。
家に帰ると玄関の時計は9時過ぎを指していた。
冷えた体を温めに風呂に入って湯冷めしないようベットに潜り込んだ。
長い間雨に打たれていた為頭痛があった。
その頭痛と共に私も眠りについた。
ありがとうございました。次が最終話になります。