~弐~
無機質な床に覆われた質素な部屋で四人は顔を合わせていた。
暗がりに光る四つのライトはそれぞれ中央の床を照らし静止している。
『南無久遠実成本師釈迦牟尼仏――』
延々と連ねられた経文はここの冷たい空気を一層と冷え込ませる。
「アタリだな」
男はそう言って不適当な笑みを浮かべていた。
――およそ五時間前。
俺たちの学園は目下9月1日まで休みが続いている。
もちろん既に終わりつつある夏休みだが、今朝になって突然見知らぬアドレスからメールが届いた。
件名;自然科学現象研究会より。
メールアドレスは昨日の研究会参加用紙に書いていた気がする……。
内容は着替えを数着持ってA-2教室へ来いというものだった。
ああ――とへなちょこな声を上げてしまう。
昨日の一件が遠い日のことのように感じる。
あれから五十鈴はすぐに持ち直したが、普段ならそう簡単に憑依はされないはずなのにあの日は何かがおかしかった。
今となっては調べようもない。
俺はメールを五十鈴に転送して身支度を終える。
雑木林に囲まれたこの街は三傘市と呼ばれている。
三角錐の山が三つで三傘らしいが、本当か嘘なのか知人に知る者はいない。
駅前で五十鈴を待つ。
家までいっても良かったのだが、五十鈴の家庭事情は少し複雑で俺が行くと色々と気を遣わせてしまうので遠慮している。
当然だ。
あの家はエクソシストなんていうものまで本気で呼んだくらいなのだ。
「そう言えばこの間、世界最後のエクソシストが死んだってネットで見たな……」
悪魔払い。果たして日本にも悪魔はいるのだろうか。
はっと辺りを見渡すと五十鈴がこちらを歩いてきていた。
何とも言い難い複雑な心持ちになる。
至って普通の少女の格好だが、些か色気がない。
ジーパンに半袖のポロシャツ。
これじゃあ昨日の誰かみたいだ。
「待った?」
「待ったよ」
「うん」
何がうんなのかわからないが、とにかく電車には乗り遅れない時間だった。
改札口を通ってホームに並ぶ。
「そういえば、この間電車で轢かれた人、私のところに来たよ」
「え? あれって九州の方じゃなかった?」
「うん」
「遠いところからくるなあ……」
「距離って関係ないみたい」
それきり話題は途絶えた。
電車が来てから想像してしまったのだ。
「おい」
突然五十鈴がおいと言うのには未だに馴れないが、座った座席を移動しろと言い始めた。
「まあ、いいけど」
「あそこはそのうち変なのが来るからね」
そうだ、考えてみれば入学当初もそんなことがあった。
やがてそれは現実のものとなって今まで座っていた俺の席にふてぶてしくどかっと座る柄の悪い男が座る。
「今のも勘?」
「記憶の方」
「あ、そう」
思えば、絡まれたのを思い出す。
自分が座れなかったせいか始終俺をにらみ続けた後、降り際に突き飛ばされた。
五十鈴は俺が突き飛ばされるところを見ていたのかもしれない。
『次は、東三傘――』
下車する駅で男をちらりと見るが男の方は俺の顔など覚えてもいないようだった。
交差点をいくつか渡った後に一角だけ神妙な建物がある。
絢爛な学園とは言い難いが、それなりの高級施設でいつ見ても学舎のようには見えない。
そんな昇降口をくぐり、A-2教室に着いた。
「写真の信憑性ももうほとんどないな」
そう言いながら一枚の写真を男は投げる。
「うわ、なんすかこれ師匠」
「心霊写真」
五十鈴は俺から静かに離れた。
どこか見知らぬ旅館でツーショットを取っている背後に水色か緑かわからないような顔が薄く見える。
「合成だよ」
その一言で空気は一気に軽くなる。
「今のご時世、心霊はもはや創造物って感じだ」
そんなに居て貰っても困るのだが。
俺は五十鈴を見ながら思った。
「とにかく、その旅館もうないから確かめようもない。昨日行ってきたけどもぬけの空だった」
「え、行ってきたんですか」
「そりゃいくよ、ここから近いし。こっそり中の写真も撮ってきたけど見る?」
そう言って師匠と呼ばれた男(山田拓也)はバッグの中から数枚の写真を取り出した。
正直言ってなんの面白みもないただの廃材が映った写真だった。
そんな中、五十鈴一人が一枚の写真を手に取る。
「どうした?」
「いや、何も……」
何もといったところでこの男たちの好奇心には歯止めが利かない。
それはすぐに発見された。
「おい、ここに何か映ってないか?」
フラッシュ光がリノリウムの床を白くしているが、その中に黒く文字のようなものが影を落としている。
「汚れ……には見えませんね」
文字の羅列だった。
遠くて判別できないが、長々と何かが写真の端まで続いているようだった。
「くそ、どうして気がつかなかったんだ」
リュックを背負って男は行くぞと声を上げる。
「え? 行くってまさか……」
「ここの写真の場所だよ」
「えぇっ! そのための着替えだったんですか」
「本当は裏山の夜通しパワーサークル探索だったんだけど、そっちの方がいいか?」
「いえ、こっちでいいです……」