~壱~
日も沈みきった夜――。とある教室に人集りができている。
そこは名のある名門校『陽院蘭学園』の一室だった。全校生徒数はよりすぐりの700名弱。
華族と呼ばれた者たちの末裔や大手企業の令嬢令息たちが集うここで、この夏の終わりにとある催しが行われていた。
――超自然科学現象研究会。
名ばかりのオカルト心霊研究会である。
「昴、おい昴」
中学生活も終わり、受験の山場を無事に乗り切った俺こと石妙昴は訳あってこの研究会のイベントに参加している。
俺の横から声を掛けるのは目つきの鋭い女、三雲五十鈴。
幼少の頃からくされ縁があって高校まで一緒になってしまった。
というより、ならざるを得なかったというべきか。
「私はこんなのに参加するつもりはない」
整った顔立ちに白い美肌。誰がどう見ても一目で美人と言えるが、俺は今まで五十鈴に特別な感情を抱いたことはない。
その理由は俗世を超越したような雰囲気や言動(男言葉の口調とか)が女性に感じさせない、とでも言うべきだろうかとにかく五十鈴は誰よりも変わったものを持っている。
故に俺は初め彼女を先生と呼んでいたこともあった……。
「参加しなくても見るだけだって。本当にこの研究会がやばいことしてたら五十鈴も困るだろ?」
五十鈴は簡単にいうと見える人だ。
もっというとそういう道に本来いるべき存在だ。
霊媒体質で過酷な日常生活の中を生きてきた彼女は少し変わっている。
身を守るために色々な術も会得してるし、それなりに精神力も高い。
しかし時々脆いところがあるために入学する学校にはいつも五十鈴が独自の『道違え』いわゆる陰陽道でいうところの気の流れを変える作業を行ったりしなければならない。
――がらがら。
薄暗い教室に入ってきた一陣の風。
むわっと暑く肌に纏わり付くような空気が気持ち悪かった。
扉の向こうには男が一人視線をはせている。
「ざっと三十人くらいか……」
精悍な物腰で深緑のTシャツにジーパンを履いただけの男子生徒。
そいつのことを師匠と呼ぶ生徒が近づいていった。
「どうします? この人数」
「とりあえずウタカタ巡りでもさせればいいんじゃないの?」
ウタカタ巡りとはこの辺でよく使う肝試しの俗称だった。
小学生か中学生被れ。
面白半分にオカルトをやっているんだろう。
俺はそう思った。
「皆さん、とりあえず二人か三人くらいになってください」
余った人はこっちへと簡単な説明がなされる。
「何が始まるんだろうな」
隣にいる五十鈴に話しかけるが、五十鈴は夜が嫌いなのかうんざりした様子で眺めていた。
そうこうするうちに三十二人いた生徒は二人から三人の組になってこれから肝試しをするという流れになった。
「じゃ、順番は俺が適当に決めるからルートはこっから松田工業跡地を通って裏山の入り口行って帰ってきて。その後、俺が質問することに答えて貰ったら今日は一先ず帰っていいから」
ラフな格好の男がそういって教室の電気を切った。
途端にお祭りムードが静まり始めて、いよいよ肝試しのムードとなってくる。
「おい、なんで電気切るんだよ!」
生徒の一人が怒鳴るが、男は意に介した様子もない。
「もう始まってるから。外に出て順番に並んで」
オカルト研究会に入りたい人間が電気が消えたくらいで騒ぐのもおかしな話しだが、男の言い分はもっともだった。
すぐに第一班がスタートし始める。
時刻は七時二十七分。お盆も過ぎた今時珍しい蒸し蒸しとした空気が外に漂っていた。
「あ、懐中電灯は持たないように」
「えっ?」
戸惑いながらも一班はスタートした。
「五十鈴、なんかごめん。ただの肝試しみたい」
「今度パフェを奢る約束をしてもらったけど、アイスクリームの追加」
夏休みの海日和に汗水流したアルバイト代が飛んでいく。
それもこれも、怪しげなこの男が突然夏休み前に自然科学現象研究会なんかつくるから悪いのだ。
俺は一人その影を睨み付けて順番を待った。
しかし、時刻は五分過ぎたあたりで第二班にスタートの指示を出す。
いくらなんでも早すぎる。
そう言おうとした時、男が声を上げた。
「こんな感じでいくから。とりあえず」
とりあえずってなんだとりあえずって。
五十鈴は口元を歪めて不敵に笑った。
「どうしたの?」
「いや」
とはいっても一班あたり五分では最後の十班目では一時間近く経過したことになってしまう。
俺は流石にそこまで待つ気はなかったので、五十鈴に問いかけた。
「待つのがあれだったらもう帰ってもいいけど」
「パフェとアイスクリームは貰うと約束したんだからいるよ」
意外とこの割り切った性格が嫌いではなかった。
それでも運悪く自分たちは十班目にいた。
二班、三班と戻ってくる頃になってようやく自分たちの番になったのだった。
「そういえば、質問するって言ってたよな」
「ああ、あれか、別にいいよ。もう帰って」
戻ってきた班とのやりとりはほとんどがこんな感じで終わる。
そうしてようやく自分たちの番が来たかと思った頃、五十鈴が俺の腕を引いた。
「後ろの。先に行っていいよ」
「えっ」
俺はせっかくここまできてと思ったが五十鈴は神妙な顔つきで何かを促すように催促する。
「いいんですか?」
「あ、どうぞ」
たったそれだけのやりとりだったが、後ろにいたのは清楚で綺麗な感じのする女の子一人だけだった。
「あれ? 君たち班じゃなかったの?」
男の隣にいたメガネの男子生徒は女の子が出発する時の間合いで感づいたようだ。
「仕方がないな、もうほぼ全員終わっちゃったし」
「私は構いませんよ。元々一人で行きたかったので」
「え、そう? でもなあ」
男は渋った顔をする。
「なんとか三人で行けない?」
いいですよと言おうとした瞬間、五十鈴から声が上がる。
「イヤです。こんなの」
周りの温度が下がった気がした。
こんなのとは明らかに目の前の少女に対して言った暴言に近い。
俺は身の竦む思いで今言った五十鈴の言葉を謝ろうとした。
「私も御免ですね」
ますます重い空気が広がる。
男はクシシとおかしな笑い声を上げると行っていいよと一言告げた。
「どうして先に行かせたのさ」
俺は最後の十一班目のスタートを切って早々、五十鈴に思ったことを伝える。
「まああ、勘」
「そう……」
五十鈴の勘は凄い。鋭いなんてレベルじゃなくてもう神域にあるような勘を持っている。
今日はどこそこで事故が起こるとか、誰々が怪我をするだとか、お金を拾うとか。
勘というよりはもはや予言だ。
一度それでロトとかやったらどうなんだろうと話したことがあったが、そんなことをしたら一生追われる身になるからと真面目に話していた。深くは聞いていない。
暗がりの街灯の薄い道を連れ添って歩いていても五十鈴を異性として意識することはない。
常々思うが、俺は至って正常だ。
ではどうしてこんな肝試しに参加したのか?
五十鈴には話しておかねばなるまい。
「五十鈴」
「んぁ?」
「ごめん、精神集中してた?」
「いや、別に」
五十鈴は霊媒体質故に夜は強く自我を意識しなければ意識が何かに引きずられてしまうという。
誰かに乗っ取られて明るい五十鈴なんて想像もできないが、きっと彼女がいつも物静かなのはそういったことが理由ではないかと長年付き合ってみて思ったことである。
「どうしてこんなことに呼び出したのか詳しく知りたくない?」
「ああぁ、それは気になるなあ」
小中と何かに共通の話題があるわけでも、深い付き合いがあったわけでもない二人がここまで長く付き合っているのには理由があった。
五十鈴は見える、そして霊媒体質。
そして俺は五十鈴に憑いたものを感じて浄化する言霊を扱う人間だからだ。
つまり俺は五十鈴に憑依してしまった霊を浄化に導く力を持っている。
通常、霊媒体質者は一度霊魂に取り憑かれると誰かに浄化を施されるまで記憶に障害が起きたり突拍子もない行動に出たりする。
それを凌ぐための保険、それが俺の立ち位置だった。
「あの変な研究会を立ち上げた山田拓也って奴、転校生らしいんだ」
「うん」
「それで、少し気になって調べて見たら、まあそこでも同好会みたいなのを立ち上げて色々やってたらしいんだ。夜中の校舎で怪しげな写真広げたりして」
「うん」
「そんな時期から徐々に学校が不祥事を出し始めてさ」
地元の新聞では有名な記事になるほど大きな不祥事もあった。
「生徒が死んだって……」
「ああぁ、それでか」
「え、それでって?」
「やけに人が多い理由」
「ああ……」
金があって暇を持て余した人間ほど俗世を放れた珍事にめざとい。
それを象徴するかのように夏休み前に発足しただけの研究会よろしくオカルト同好会はこんなことになっている。
「でも不思議だよ」
「え?」
「昴はどうやってその情報を得たの?」
「友達同士の間じゃ普通にこれくらいの情報は流れるよ。そうでなくても学年も中途半端な二年の転校生じゃみんな興味わくしさ」
「ふぅん」
五十鈴は今時珍しく携帯もろくに扱えない少女だった。
というより、人との交流をかなり面倒臭く思っている節の方が強い。
そうこうしているうちに松○工業跡地についた。
「はあ」
「人が集まる場所こそ霊の集まる場所なりって?」
五十鈴はきょんとして工場を眺めていた。
「そうだな、そういうことだと俺も思う」
工場や廃墟に霊がいるわけではない。
いつの時代も人間がこれを呼び、人間が勝手な願望と綯い交ぜになって自滅するのだ。
一瞬ちらっと白い光が影の端で光る。
「行こう」
戻ってくるのが遅い班の一つや二つはあの中で肝試しをしているのだろう。
裏山はすぐ近くだし、真っ直ぐ行ってしまえばそれほど時間はかからない道のりだ。
「うん」
しばらく歩いて五十鈴は不意に話しを戻した。
「それで、私を呼んだ理由は?」
「ああ、あの人の研究会に入ろうと思って」
「まあぁ、当然そうなるよね」
一応確認しただけだよと言うが、俺は五十鈴が断れば学校がどうなってしまおうとも諦めるつもりでいた。
どうしてだか、断られなかったことが俺には嬉しく感じる。
仏像。
突如裏山の入り口、不自然な位置にそいつがいた。
「最悪だな」
「うん」
どう考えてもそこには本来あるべきはずの年代がなかった。
仏像自体はかなりの年数が経っているのに下の土はそれを感じさせない。
つまり――、「どこから持ってきたんだ……」
こういうことをする人間は霊や死をなんとも思っていない人間か、あるいはただの痴れ者だ。
あまりの考えなさに呆れを通り越して怒りさえ感じる。
地脈を磁場の通った石仏で安定させることだってあるのにこれでは作った本人も浮かばれまい。
「帰ろうか」
そう踵を返した時、不意に五十鈴が頭を抑え始める。
「うぅ……」
強力な霊障を受けていた。
「ごめん、すぐ離れよう」
こんなことは言ってしまえば日常茶飯事だった。
霊媒体質は何も霊だけに取り憑かれるわけではなく、人々の想念の塊や想いの強い生身の人間にすら不快感と共に責め苦を与えられる。
五十鈴を背中に担いで来た道を急いで折り返す。
暗がりの中、何度も脚を縺れさせそうになりながらも走った。
無事に松○工場跡地まで戻ると五十鈴は降りると言って歩き出した。
「あんなものがあるなんて、やっぱりあの研究会に入るのはやめようか?」
「うぅん」
まだ頭を振って体内の気を安定させている。
こんな難儀がこの先あの男、山田拓也の研究会に入ったばかりにそう何度も続くようでは身が持たない。
俺は半ば落ち着かない学園生活になろうとも、五十鈴さえ無事ならば手を出すべきではないと考え始めていた。
しかし結局、五十鈴から答えを聞き出す前に学園へ戻って来てしまっていた。
「おー、良く戻って来た。お前たちで最後だよ」
「お疲れ」
メガネの男がなにやら缶ジュースを差し出した。
「え、なにこれ。今まで誰にもあげてなかったはずじゃないか」
「ああ、何て言うかお前たちは合格だからさ。祝いに一杯やろうかと思って」
「え? 俺たちだけ? でも俺たちは……」
五十鈴に目配せすると彼女は伏した顔を上げて言った。
「……入るよ」
「んじゃ、決まりってことで」
「あ、俺岡部大輝です」
「俺も一応名乗っとく?」
「山田拓也先輩ですよね」
「ああ、でも山田も拓也も使用禁止だから」
「はあ」
この男は少し異常な気配が漂っていた。
それを師匠と呼ぶ同学年の岡部。
五十鈴が石畳の地面を半歩詰めると問いかけた。
「あの石仏を動かしたのはお前か?」
それは地鳴りのようにも聞こえたし、女のような声にも聞こえた。
「俺だよ」
男は即答していた。
「え? 師匠?」
五十鈴は黙ったまま動かない。
「戻しておけよ」
「やだよ」
俺は咄嗟に五十鈴に九字を切って介文を心読した。
五十鈴はその場に崩れ落ちそうになるのを後ろから抱え込んで支える。
「は、ははは。じゃ、俺ら帰りますんで」
全身から冷水が滲み出ているようだった。
俺は呆然としている一人とにやりと笑みを浮かべる一人を尻目に学園を後にした。
「あの女、本当に生きてるのか?」
そんな男の声が背後から聞こえた――気がした。
実在する人物、団体とは一切関係がありません。