第1話「野菜と出会いと王都の少女」
俺の名前はユウト。
かつてはブラック企業の歯車として、日本の片隅で働いていた。
朝は満員電車、夜は終電。上司の怒号と、作り笑いでボロボロのメンタル。気づけば栄養ドリンクより濃い色の涙を流していた。
「もうダメだ……このままじゃ人生が腐る……」
そんなことを考えながら、帰り道にトラックに轢かれ、気がついたら異世界だった。
お決まりのパターン? そうだよな。でもそのときの俺には“生き返ったような喜び”しかなかった。
魔法? 剣? ドラゴン退治? まっぴらごめん。
俺がこの世界で目指すのはただ一つ――
「のんびり、農家になるんだ……!」
転移先の神様がくれたスキルの中から、俺は迷わず【収穫適期】を選んだ。
なんでも作物がもっとも美味しく実る“最適な瞬間”が一目でわかるらしい。
スキル説明を読んで、俺は確信した。
これは……野菜界のプロフェッショナルスキル!
俺の田舎ライフ、始まったな。
陽光が優しく差し込む、王都から遠く離れた辺境の村――エルバの里。そこでユウトは、朝から畑に出ていた。
「よーし、トマトもニンジンも、今日が収穫適期だな!」
ユウトは農業スキル《収穫適期》の使い手だった。作物の一番おいしく、栄養価が高くなる瞬間が分かる。このスキルを使いこなすことで、彼の野菜は近隣の村で評判だった。
「これだけ取れりゃ、王都の市場でも売れるかな。たまには都会の空気も吸いたいし」
軽トラ……ではなく、荷馬車に野菜を満載し、ユウトは王都へと向かった。
* * *
「なんだこのニンジン……えっ、甘い!?」
「青臭さが全然ないぞ!? これが……農家の力か!?」
王都の市場は朝から賑わっていたが、ユウトの野菜の屋台の前だけはひときわ人が集まっていた。王都の人々は、見た目より味に敏感だ。ユウトの野菜は、そのどちらも満たしていた。
「すごいわ、こんな野菜初めて……」
ふと、屋台の前に立つ一人の少女に、ユウトは目を奪われた。
高貴な雰囲気をまといながらも、顔色は悪く、細い体を侍女に支えられていた。肩までの銀髪が光に照らされ、どこか儚げに揺れている。
「あのお方は、まさか……」
周囲がざわめく。「第二王女、セリシア様だ」と。
ユウトは思わず姿勢を正すが、セリシア王女はふらりと歩み寄り、ユウトの野菜に手を伸ばした。
「この……ニンジン。いただいても?」
「も、もちろんです!!」
「姫様、おやめ下さい!調理もせずに!」
お付きの方が、止めるのも聞かず王女はおずおずとニンジンをかじった。
――その瞬間、驚きの声が上がる。
「顔色が……良くなっておられる!?」
「お身体が……しゃんとされた?」
侍女たちが驚愕する中、セリシア王女は、静かに、でも確かに微笑んだ。
「……こんなに、身体が軽いのは……久しぶり。まるで、呪いが和らいだみたい」
「えっ、呪い……?」
ユウトの心に、不吉な言葉が引っかかった。
* * *
その夜、ユウトは王宮に招かれた。セリシア王女の病は、幼い頃から続く謎の衰弱症で、どんな回復魔法や薬も効果がなかったのだという。
「なのに、君の野菜だけが効いた……これは偶然ではない。ぜひ、王女の専属農家になってもらいたい」
王宮執政官は厳しい口調で告げたが、ユウトは返事に困った。王宮? スローライフとは正反対の世界じゃないか。
しかし――
「お願い……ユウトさん。あなたの野菜が、私を……生かしてくれるの」
セリシア王女が、かすかにユウトの手を握った。
その手は冷たく、細く、儚い命の灯のようだった。
(……くそ、断れるかよ)
ユウトは深く息を吸い、そして答えた。
「分かりました。俺、セリシア様のために……命がけで、野菜を育てます!」
こうして、田舎農家ユウトの王宮生活が始まった。
だが、彼はまだ知らなかった。
王女を蝕む病が、ただの病ではなく、魔族が王国を滅ぼすために放った呪いだったことを――
そして彼のスキル《収穫適期》が、王国を救う“収穫の一撃”につながっていく運命だということを。