5 日記帳が見せる夢
エシルさんにもらった日記帳はゴテゴテした装飾が施されていて、見た目通りずっしりと重たかった。
家に帰って改めて日記帳を見直してみたけれど、分厚い表紙は日記帳というよりも貴族たちが買い求めるような豪華な本に見える。
表紙を開くと、眩しいくらいの真っ白なページが現れた。
「とても私が書き込んでいいような物じゃないと思うんだけど……」
艶々と輝くようなページに文字を書くなんて、汚すのと同じに思える。
「おまじないみたいなものなのかな? この日記帳に書くために覚えておくんだって思っていれば、夢の内容を覚えていられるのかな……」
昨晩は夢を見ていない。
それでも、今日からは、「これに書くんだ」と思わなきゃね。
「日記って、毎日書くものだよね。書くフリだけでも毎日続けた方がいいのかな?」
きっと習慣化させることも大切なのだろうと、ペンを手に取り真っ白なページの上に持っていくと、ペン先が紙に吸い寄せられるようにピタリと降りた。
「……え?」
書くつもりなんかないのに。
どうして――?
このままだとインクの染みができてしまう。そう思って慌てて日記帳からペンを離そうとした――のに。
自分の意思に反して、ペン先が動いていく。
『お母様……? 泣いていらっしゃるの?』
え? え? 何これ……?
突然、頭の中にいつか夢で見た母娘の姿が浮かんだ。
姿が浮かんだばかりか、少女の気持ちが自分の中に流れ込んでくる。
何なの? どうなっているの?
そこからはまるで自分の体が自分じゃないような、経験したことのない感覚に襲われた。
◇◇◇ ◇◇◇
「私の可愛いお姫様。その可愛らしいお顔をよく見せてちょうだい」
「お母様?」
いつもなら「慎み深くしていなさい」と叱られるはずですのに、私が駆け寄ってお母様の手を取ると、ぎゅうっと握り返してくださいました。
お母様の瞳を覗き込むと濡れているように見えます。
「お母様……? 泣いていらっしゃるの?」
「え? あ、あら……? いいえ。泣いたりなどしていません」
お母様はご自分が泣いていらっしゃったことに驚いたご様子。
見て見ぬふりをするべきところを、うっかり指摘してしまったようです……。
これでは淑女失格です。
「あぁ……ベル。私の可愛いお姫様。実はとても不幸なことがあったの。公爵家のご令嬢が病で亡くなられたの」
「まあ。それはお気の毒に。お母様は親しくなさっていたのですか?」
「い、いいえ。でも彼女のことはよく知っていたの。彼女のお役目についても……」
「お役目?」
痛い。不意にお母様が手に力を込められました。
「お、お母様。お手を……」
「……! ごめんなさい。あぁどうしましょう。痣にならないかしら……。ごめんなさい。ごめんなさいね、ベル」
すぐに力を緩めてくださったので何ともありませんのに、お母様がとても悲しそうな目で謝ってくださいます。
「ベル」
「えっ?」
お母様に抱きすくめられて驚いてしまいました。
こんな風に抱きしめられるのは、幼かった五、六歳の頃以来ではないでしょうか。
もう十二歳になったというのに。何だか恥ずかしいです。
でもお母様のいい匂い。私の大好きな匂い。
「お母様……」
しばらくお母様の温もりに浸っておりましたら、スッと体を離されました。
「お母様……?」
「ベル。実は――国王陛下が、あなたに会いたいと仰せなの」
「国王陛下?」
幼少の頃から、国王陛下のことは、絶対に「お父様」と呼んではならないと言い聞かされています。
お母様は「お母様」なのに、どうして「お父様」と言ってはならないのは理解できませんでしたが、今なら少しわかります。
国王陛下は、全ての国民にとって特別な存在なのです。誰かの父親という役目など比べものにならない程に。
「陛下はとてもお急ぎなの。だから今から支度をして会いにいくの」
「え? 今日これからお会いするのですか? 私、まだちゃんとご挨拶の練習をしておりませんのに」
「ベル。これまでずっと練習してきたでしょう。いつもとても上手にできていたわ。心配しなくても大丈夫よ」
「でも――」
初めてお会いするお父様を失望させたくありません。
できれば上手にできたと褒めてもらいたいのです。
つい、そんな幼稚なことを考えてしまいました。
国王陛下に勝手なことを望んではいけませんのに。
「イザベラ様。陛下をお待たせする訳にはまいりません。ささ。お急ぎを」
侍女に連れられていく私を、お母様が悲しそうな目で見ていらっしゃいました。