30 15年前の出来事
「ベス!」
お世話係が本当に呼んだのでしょうか?
レイモンドが馬に乗って駆けつけてくださいました。
……いいえ。もしかすると、あらかじめエシルさんと待ち合わせをしていたのかもしれません。
「ベス!」
レイモンドが人混みをかき分けて私たちのところへ向かって来られます。
私はなんだか彼と顔を合わせたくなくて、扉の方へと逃げてしまいました。
周囲の「おぉぉ!」という声にギョッとしましたが、見れば、触れてもいないのに扉が開いていました。
お世話係を含め、その場にいた方々はゾロゾロと後退りをされて、扉から遠ざかって行きます。
一人だけ――レイモンドだけが、真っ直ぐ扉に向かって来られました。
私はレイモンドから目を逸らして、そのまま扉の中へと入りました。
ここに入れるのは私だけなので、ここならば一人になれると思ったのです。
ですが、それは間違いだったようです。
「私――入れたわ! そうよ! 私にも初代王様と同じ血が流れているんですもの!」
エシルさんも私のすぐ後に入って来られたようです。
当代しか入れないとお聞きしたと思うのですが……いったい何が起こっているのでしょうか。
「見て! ベス! ほらっ! 私がここに入れたっていうことは、聖母様が私に当代になれとおっしゃっているのよ! あなた――今は感情がぐちゃぐちゃになっているでしょう? あの扉! ちょっとまずいんじゃないかしら。あなたはすぐに職を辞するべきだと思うわ。真っさらな当代に変われば扉も元通りになるはずよ」
……私が感情を乱したせいで聖殿に異変が起きているのですね。
聖殿に異変が起きたということは、あぁ……なんということでしょう。
私は大切なお役目を果たすことができなかったようです。
お母様……私……私は……。
エシルさんの声が段々と遠ざかっていきます……。
「は? レイモンド? なんであなたまで入れるわけ?」
「オレにもその、初代王様と同じ血とやらが流れているからだろ」
「う、嘘……」
「オレは国王のご落胤ってやつなのさ」
「なんですってー!?」
「それよりベスだ。あいつは一体どうなっちまったんだ?」
私は何かに引き寄せられるように、気がつけば奥にある聖母像の前にいました。
聖母様がお手にされている球は、以前見た時とは打って変わって灰色に濁っています。
「どうしましょう。あぁぁ……私のせいで聖母様のお心を……これでは、このままでは国が……どうすればよいのでしょう?」
私の心が全ての元凶なのですね。
レイモンドに対する思いでしょうか? それともエシルさんに対する思い? お母様に拒絶された悲しみ?
自分でもなぜこんなにも感情が昂っているのかわかりません。
最初はモヤモヤとした感情が渦巻いているだけだったのですが……。
私がこの感情を手放せば元に戻るのでしょうか?
お母様もエシルさんもレイモンドも、お世話係の方々も国民の皆様も、みんなみんな、元通り聖母様のご加護の元で幸せに暮らせるのでしょうか。
――それならば。
私はこの感情の消し方がわかりません。
ですので、この感情もろとも我が身を消すほかないように思います。
……あぁぁ……球が……どんどん黒くなっていきます。
そんな球をいつまでも聖母様のお手に乗せて置く訳にはいきません。
畏れ多いことですが、球を聖母様から遠ざけるために手に取りました。
「……っ!」
手のひらが焼かれたように熱いです。
これが罰なのでしょうか。この身は焼かれるべきなのでしょうか。
「うぅぅ」
私の思いに呼応するかのように球の熱が更に上昇したように感じました。
私はあまりの熱さに球を落としてしまいました。
バリン――と球が割れる音が聞こえたかと思うと、床が波打つように揺れ出しました。
とても立っていられません。
床にへたりこむと、天井にヒビが入っていく様子が見えました。
このままでは聖母像が傷ついてしまうかも――そう思った刹那、ふわりと浮遊するような感覚に襲われました。
ゴードドドドドーと大地が割れるような轟音と振動に恐怖を感じていたのが嘘のようです。
体を支えきれず膝をついた時の痛みも、部屋自体の大きな揺れも、もう何も感じません。
自分が立っているのか床に転がっているのかさえ定かではありません。
……私の体から感覚が失われつつあるようです。
感覚が……体が……私という存在が……。
あぁ……私の願いは聞き届けられたのですね……。
――どうか。
――どうか、この汚れた魂もろともこの身を消し去ってください。私という存在を無かったことにしてください。
よかった……。
これでご迷惑をおかけすることなく終われます……。
とても気持ちのよいところを揺蕩っているようです……。
……………………?
……………………どこかから、誰かに呼ばれているような……?
こんな私のことをいったい誰が……?
眩い光に包まれて……私は……意識を手放しました。
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