28 なぜか涙が止まりません
「そういえば、当代様はよくレイモンドと一緒にお散歩をされているそうですね」
今日はエシルさんが訪ねて来てくださったのです。
前回のお茶会の帰り際に、次は是非エシルさんからお誘いいただきたいと、半ばお願いのようにお伝えしておいたのです。
エシルさんはお世話係と相談されたらしく、お茶会の一週間後に来てくださいました。
「はい。レイモンドからは色々なことを教えていただいています。私は離宮で暮らしている時は外に出ることがほとんどなかったので、ここで目にするものは何もかもが初めてで、本当に楽しくて仕方がありません」
「まあ……」
エシルさんは少し驚いた後、表情を曇らせました。
「当代様はそこまで楽しみにされていらっしゃったのですね。レイモンドが足繁く通うのもわかります」
「……? ええと?」
エシルさんが遠回しに何かを伝えてくださろうとしていることはわかったのですが、残念ながら私にはその意図が読み取れませんでした。
「当代様が気にされるようなことではないのですが、本当に私のことを友達だと思ってくださっているのなら、私は――」
「エシルさん。もちろんです。エシルさんは私の大切なお友達です」
「では、当代様。友達ならば、友達ならばこそ、時に耳の痛いお話も、正直に申し上げるべきだと思うのです」
「ええ、もちろんです。どうぞ遠慮なさらずにおっしゃって」
「はい。実は――レイモンドから相談されたことがありまして。『この国は聖母様に守られているから皆が安心して暮らしている。だから聖母様のお心を曇らせることのないよう当代様のお心が乱れないよう周囲の者は気をつける必要がある。お目通りが叶った自分も、当代様と接する際は、自分を殺してでも当代様のお心に沿うようにしなければならない』と。それが少々辛いとこぼされておりました」
……なんということでしょうか。
私のためにレイモンドは無理をなさっておいでだったのですね。
ああ、どうしましょう。
私は、自分のことしか考えておりませんでした。
いつもお世話係に「お心のままに」と言われ、それを間に受けておりました。
私といる時にレイモンドがどんな様子だったのか――確かによく思い出せません。
彼が辛い気持ちを隠していたのだとしたら――私がちゃんと気づくべきでした。
「エシルさん。ありがとうございます。今度レイモンドにお会いした時は――」
「いいえ、当代様。正直に申し上げましたが、今の話は聞かなかったことにしていただきたいのです」
「え? どうしてでしょう?」
「レイモンドのためです。騎士たるもの、自分の感情に左右されることなく任務をこなしてこそ一人前なのです。もし当代様にお気を遣わせたと知れば、彼は傷つくはずです。どうか今までと変わりない態度で接してあげてください」
……まあ!
エシルさんは多方面に精通していらっしゃるのですね。それに思慮深くていらっしゃる。
「わかりました。そのようにいたします。とても言いにくい助言でしたでしょうに、私のために本当にありがとうございます。エシルさんがお友達になってくださってよかったです」
そう言うと、エシルさんはほっとしたご様子でお茶を召し上がられました。
レイモンドのことを思うと胸の奥がチクリと痛みますが、それでもこうしてエシルさんを前にして、改めて『友達』というものを噛み締めますと、ほんわかと温かいものが体の中に広がっていきます。
エシルさんには、またすぐにでも遊びに来ていただきたいものです。
エシルさんがお帰りになった後、レイモンドが入れ違いにいらっしゃいました。
指定席の出窓に腰掛けている彼を見ると、つい頬が緩みます。あ、でも彼は……いえ! いつも通りにしなければ。
「先ほどまでエシルさんがいらっしゃっていたのですよ。レイモンドがいらっしゃるとわかっていたらお引き留めしましたのに」
「いや。正直、帰ってくれてよかった。アイツがいると調子が出ないからな。お前もあんまり頻繁に呼ぶのはどうかと思うぞ。話し相手が欲しいならオレがいるだろ?」
これまでの私ならば額面通りに受け取っていたかもしれませんが、何とお答えすればよいのでしょう。難しいです。
「……? レイモンドはエシルさんと親しいのではないですか? なぜそのようなことをおっしゃるのです?」
「別に親しくなんかないけどな。まあ、そうだな。お前は誰とでも仲良くしたいという考えなんだな……」
「え? ええ、まあ……」
「今日はどこへ行くか決めているのか?」
「え?」
「散歩だよ。まだ行っていないだろ?」
「ええ。ただ、今日はちょっと……お部屋でゆっくりしようと思っていたところでして……」
「そうなのか? どこか具合が悪いとか、そういうことじゃないよな?」
「ええ」
「そうか、ならいい」
「……」
「……」
どうしましょう。今まではこんな風に会話に困ることはありませんでしたのに。
「じゃあ、オレも今日は帰るとするか。また来る」
「はい」
その日からです。レイモンドとの会話がチグハグとしたものになってしまったのは。
私としてはレイモンドを傷つけることなく普通にお話をしたいのですが、何を言っても彼に気を遣わせそうで考えれば考えるほど何も言えなくなるのです。
そんな私の態度がレイモンドを困らせていることもよくわかるのですが。
思い切ってエシルさんに相談しようと思い、お社に来ていただきました。
「実はエシルさんに相談したいことがあるのです」
「まあ、奇遇ですわ。私もちょうど当代様にご相談しようと思っていたところですの」
「エシルさんが私に? エシルさんにわからないことが私にわかるとは思えないのですが」
「まあ! 当代様。友達の相談というのは、ただ話を聞くだけでもよいものですよ?」
「そうなのですね。では、エシルさんのお話を聞かせてください」
「はい。実は――レイモンドのことですの。最近しょっちゅう私のところに来てはくだらない話ばかりするのですが……」
最初の頃は二日と空けずに来られていたレイモンドですが、三日に一度、四日に一度と、徐々に足が遠のいていっています。
そうでしたか。エシルさんのところに行かれていたのですね。
「レイモンドにはっきりお聞きしたのです。毎日のように訪ねて来るのはどういうことなのかと。すると彼は、そのはっきりと――私のことが――好きだからだと」
「……!」
そうだったのですね。
レイモンドからはそのような素ぶりは感じ取れませんでしたので、本当にご自分のお心を隠すのがお上手なのでしょう。
それにしても、そうですか。
レイモンドはエシルさんのことが好き……今、何かがひっかかったような、感じたことのない気持ちを感じたような気がしたのですが、よくわかりません。
それからしばらくはエシルさんがレイモンドとのあれやこれやを話されていましたが、私はなかなか集中することができず、心ここに在らずといった失礼な態度で接してしまいました。
それから何日かして、久しぶりにレイモンドがいらっしゃいました。
エシルさんの話を聞いた後ですので、私は益々レイモンドへの接し方に迷ってしまいます。
出窓に座った彼は、外を眺めながら話し始めました。
「なあ、知っているか? 人が亡くなると、握り拳ひとつ分だけ軽くなるっていう話」
急にどうされたのでしょうか?
「それが魂の重さなんだってさ。肉体を失った魂はどこへ行くんだろうな。どこへでも行けるかもしれないが、誰からも見られないし、誰にも触れないなんて、オレは嫌だな」
確かにそうですね。私も同感です。
「そうですね。触れられないというのは寂しいです」
「そうだろ? 多分、同じような奴が肉体を求めて生まれ変わるんじゃないかな」
「え?」
「ふっ。そんな訳ないか……ベスには何でか、普段なら人に言わないようなことまで話せるんだよな」
「え? エシルさんではなくて、私にですか?」
振り向いたレイモンドが目を見開いて叫ぶようにおっしゃいました。
「何でエシルが出てくるんだ?」
困りました。エシルさんから聞いたなどとは言えませんし。
レイモンドは私の表情から私の気持ちを読み取ろうとされています。
慌てて目を逸らすと、彼が突然とんでもないことをおっしゃいました。
「なあ。オレみたいな粗野な奴は嫌いか?」
おっしゃる意味がわかりません。どういう意図なのでしょうか?
なぜそのようなことをお尋ねになるのでしょう?
「悪い。困らせるつもりはなかったんだ。また来る……」
レイモンドはそう言って、窓からひょいと飛び降りて行かれました。
こんな風に気まずく別れるのは嫌なのですが、どう答えればよかったのでしょうか。
……お母様。
今ほど切実にお母様にお会いしたいと思ったことはありません。
お母様にたくさん聞いていただきたいです。
お母様に教えていただきたいことがたくさんあるのです。
……あ、あら?
私、どうしたのでしょう?
感情的になってはいけないと言われておりましたのに。
どうしても、どうしても涙が止まりません。
お母様……せめてお手紙をいただきたいです。お母様のお言葉に触れたいです。
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