24 いらだつエシル
目が覚めたら泣いていた。
泣きながら目を覚ましたのは初めてだ。
しばらく嗚咽が止まらない。どうして?
それに胸が苦しい。あの子のせい? でも楽しそうだったのに……。
本当にどうして? 幸せな記憶だよね?
今日はエシルさんに会えるまで待つつもりで、母さんにも遅くなるかもしれないと伝えてから出かけた。
「いるかな? いてくれたらいいのにな。そして、どうかお客様はいませんように」
「はあ」と大きく息を吐いてからノックすると、「どうぞ」と中から声が聞こえた。
よかったー!
「そんなに慌てて何かあったの?」
エシルさんにそう聞かれると、確かに心配するようなことなんか何もない気がしてきた。
「ええと。全然先に進まないというか、同じような夢ばかり見てしまうというか……」
日記帳をエシルさんに渡すと、エシルさんは黙って読み始めた。
エシルさんが日記帳を開く時は、いまだにドキッとしちゃうけど、やっぱりエシルさんは私と違って夢の中にはいかないようだ。
「……思い出せるようになったのね」
エシルさんが顔を上げずに独り言のようにつぶやいた。
「はい。覚えておけるようになりました」
気のせいか、熱心に読んでいたエシルさんの表情が険しくなっている。
最後まで読むと、パンと音を立てて日記帳を閉じた。
「ねえ、イリヤ。夢の内容を覚えておこうと思ったから、こうして忘れないでいられるようになったのはわかるわよね? じゃあ次は、見たい夢をあなたが決めてみてはどうかしら?」
「見たい夢を私が決める?」
「ええ、そう。あなたも言っていたように、こんなありきたりの毎日じゃなくて、もっと特別な出来事――あなたに見てもらいたいことがあると思うの。だからあなたも、特別な出来事を見たいと強く思ってみて」
「その特別な出来事がわかれば、私が夢を見ている理由もわかるのでしょうか?」
「ええ、そう思うわ」
エシルさんはとびっきりの笑顔でそう答えてくれた。
スッキリした気持ちで店に戻ると、母さんが心配そうに話しかけてきた。
「それで、大丈夫だったのかい? お前のことだから喧嘩して意固地になったりしてないだろうね?」
「へ? まさか、まだ私に恋人がいると思ってんの? 違うって。ちょっと野暮用を片付けただけ」
「まあ隠したい気持ちもわからない訳じゃないけどねえ。泣きたいほど辛い時には私に相談くらいしてくれたっていいじゃないか……」
「な、泣いたりなんかしていないけど!」
「ま、そういうことにしておくけどね。あんまり心配かけないでよ?」
「うん」
もしかして、母さんは私が今朝泣いていたことに気がついていたの?
夢のこと、話した方がいいのかな……?
でもなあ。聖母様とか聖協会とか出てくるから、ちょっとね……。
それに、どこかで一区切りついて夢を見なくなる可能性だってあるし、今はまだ打ち明けなくてもいいかな。
◇◇◇ ◇◇◇
イリヤが帰った後、イライラが収まらず、ワインを乱暴に注いで一気にあおってしまった。
『全然先に進まない』ですって!
それはこっちのセリフよ!
レイモンドとの楽しい思い出ばかり思い出して、何やってんのよ!
でも、まあ。
この調子でどんどん思い出してくれれば、いずれあの日に行き着くはず。
途中の出来事なんかどうでもいいから、早く思い出してほしい。
最後の瞬間を思い出したらどうなるのかしら?
正直、あの日記帳の力がどれほどのものなのか詳細を知っている訳じゃないけれど。
でも、もしあの力ごと蘇るのならば……。
その時は私も立ち会わなければならない。
そして、今度こそ掴み損ねた力をこの手にしてみせる。




