花菱
「ごめんなさい」
とある日の放課後。立ち入り禁止の屋上、その入り口のあたりの踊り場に、彼を呼び出した。
下駄箱をクラスの男子に覗かれたりして、ちょっと手紙を渡すのに苦労はしたけど、いざ放課後になって、階段を登る彼が見えたとき、安心した。それと同時に、息が詰まりそうになった。
私は、私の精一杯を彼にぶつけたつもりだ。少し大声を出せば、下の階に響いてしまうことも、その時の私にとっては、どうでもよかった。
そして、
私は、彼にそう伝えられた。
頭がぐるぐるする。
瞬間、視界の端がぼやけていく。地面はまっすぐなのに傾いていて、バランスを崩してしまう。思わず、そばの手すりに指をかける。
「俺、君のことあんまり知らないし...いや、もちろん悪い人だとは思ってない、と、いうか...別に、君が悪いわけじゃないんだ。ただ...」
何か言っている。目の前に依然として映る、興味のない物体が、何か鳴いている。
だが、そのすべての音波が、私に細くて長い釘を刺す。
私は、この日のために、念入りな計画を練ってきたつもりだ。彼へのアピールは怠った覚えはないし、少しでも好く見せようと、必死に努力した。その姿に抜かりはないはずだ。なのに、何故?
「...もう少し、お互いを知ってからにしないか?」
手のひら全体で、彼の胸あたりに触れる。それと同時に、力いっぱいに押してやった。
バンッ。ちょうど背面にあった掃除用具入れに、彼の大きな体は打ち付けられた。押した反動で、私も一、二歩、後ろに下がった。彼は、「ぐっ」とか変な声を出し、私に間抜けな面を見せた後、小さく咳をする。そして、用具入れに弱々しく寄っかかったまま、呆然としながら、私を懐疑の目で見つめてきた。
ただただ憎かった。許せなかった。なんだ、被害者面か。これは罰だ。私を受け入れなかった罰なのだ。私の不断の努力を裏切った罰なのだ。私のこれ以上ない想いを踏みにじった罰なのだ。私の堪え切れない感情を嘲笑した罰なのだ。呆然となりたいのはこっちだ。私は失望した。もう、あきれてしまったのだ。
何かにつられるように、その場をあとにしようとする。ふらふらとした足取りで下り階段に足をかけようとした瞬間、痺れた右足が位置を見誤る。視界が右斜め下に傾き、まもなく、階段を前転するように下り始める。
十五段ある階段の中、身体のあちこちを角にぶつけて、切り付けられ、最後はその勢いのまま、もうひとつの踊り場の壁に頭を打ちつける。
あぁ、だめだ、と思った。さらに、視界がぼやけていく。
両足を斜め前に伸ばし、踊り場の壁に寄りかかるように、だらしなく座っていた。首を支えられない。背中の方に、あたたかい液体が流れ込む感覚がする。私が赤く染まっていく。いいや、元からか。
「おい、大丈夫か、おい!」
彼の声がする。彼は私の両肩をしっかり掴み、私に呼びかけていた。うるさいな。頭痛くなるだろうが。
でも、はじめて、私に真摯に向き合ってくれた気がする。
少し、体が軽くなったきがした。ちょっと、すくわれた気がしたのだ。ここちよい気分につつまれながら、もううつろになった目を、ずっとあけておくきりょくもなくて、
しずかに、目をとじた。