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第三章 死者の残光 4

 さほど待つ間もなくニーダムは現れた。


 相変わらずフワフワしたひよこみたいな栗毛頭で、アイボリー色のシャツの袖を捲って黒いベストを重ねている。

 鼻の短めな童顔と誠実そうな淡碧(うすあお)の目。

 その貌一杯に気遣いと、「会えて嬉しい」という喜びの表情を浮かべている。


 いつも通りのニーダムだ。

 エレンはなぜかほっとした。


「すみませんミス・ディグビー、お待たせしてしまって!」

 ニーダムがひそめた声で詫びながら階段を駆け下りてくる。

 エレンは辻馬車の前で笑った。

「こちらこそ、急に呼んでしまって。今はお忙しい?」

「ええと――」

 ニーダムはちょっと言いづらそうに背後を見やってから、すぐさま笑顔を拵えて首を横に振った。

「大丈夫ですよ。僕に何かお話が?」

「ええ。実は――」

 そこまで口にしたところで、エレンはドアの前から注がれる強烈な視線に気づいた。


 ハッと目を向ければ、ニーダムの左の肩越しに、黒い帽子の門衛が、好意的なニヤニヤ笑いを浮かべながらこちらを注視しているのが見えた。


 エレンと目が合うなり、わたくしは何にも聞いておりません……と、言わんばかりに澄まして虚空に視線を向ける。


 エレンは内心で舌打ちをした。

 門衛だのメイドだのボート小屋の番人だの、そういう〈見えない目撃者〉の重要性はこの頃身に染みているのだ。


「ミスター・ニーダム、よろしければ馬車のなかに」

「ドロワー通りに戻られるのですか?」

「ええ」

「ちょっと待ってください。警部に許可を貰ってきます。――大丈夫、あなたが一緒だとは勿論言いませんよ?」

 察しのよいニーダムは笑顔で言い添えると、一度屋内へ戻ってから、またすぐに駆けだしてきた。

「ミス・ディグビー、警部から許可を貰いました! 念のために事務所(オフィス)までお送りしますよ!」 

 興味津々の面持ちで成り行きを伺う門衛にわざと聞かせるような大声で言い、辻馬車のドアを開いて乗るようにと促す。エレンはステップを踏んで乗り込むと、ニーダムが続くのを待ってから、外の御者席に大声で命じた。

「ドロワー 通り331番地までやって頂戴!」

「へえミス・ディグビー!」と、御者が景気よく答える。「あんたみたいな有名人をお乗せ出来て光栄ですよ! トレー! 走り出せ!」

 そこに至ってエレンはようやくに気づいた。


 どうやらこの御者どのは〈諮問魔術師エレン・ディグビー〉の名を知っているようだ。


 御者もまた〈見えない目撃者〉のたぐいだ。

 車中での会話の音量はくれぐれも気をつけなければならない。


 

 ガランガランと割れ鐘のような足音を立てて自動機械人形(オートマタ)の馬が走り出す。

 夕方間近のブルックゲート大通りは同じ騒音に充ちていた。

 御者台を背にしてエレンと向き合う位置に坐ったニーダムが、無言のまま気づかわしそうな視線を向けてくる。

 エレンは騒音に紛らわせるような小声で口を切った。

「……ミスター・ニーダム、行方不明になったミス・エイヴリーのいた部屋から妙なものが見つかりましたの」

 言いながら、ずっと丸めて手にしていた〈分離(ディアアスポラ)羊皮紙(ヴェラム)を広げる。


 ニーダムが淡碧の眸を瞬かせる。

「これは――」

「ええ」

 エレンは頷いた。「〈分離〉羊皮紙ですわ。製作者はおそらく――」

 告げながら、エレンは魔術性の羊皮紙に指を触れて、今度は匂いの形で自らの魔力(グラマー)を注ぎこんだ。


 爽やかな月桂樹(ローリエ)の薫りと似たエレンの魔力が羊皮紙に注がれた途端、薄荷と泥炭(ピート)の混じったような鼻にツンとくる異臭が閃き、月桂樹の匂いが、押し出されるように溢れて車中に広がっていった。


「阻害反応、ですか?」

「ええ。――今のこの匂い、嗅ぎ覚えがありません?」

「あるといえばある、ような気がしますが」と、ニーダムが困ったように小首を傾げる。「僕が知っている魔術師ということですか? そんなの――……」

 そこまで口にしたところでニーダムが蒼褪めた。

「まさか?」

「ええ」

 エレンも蒼褪めながら頷いた。

「彼ですわ。三月に逮捕されたはずのパーシー準男爵家の元・顧問魔術師。グリムズロックの護符事件の糸を引いていた、あのアルジャナン・ロドニーの魔力ですわ」

「そんな、まさか」

 ニーダムが眸を見開いたまま慄く声で呟いた。

「あの男は極刑に処されたはずじゃ」

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