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第二章 フラウ・ハーゲンの下宿屋 2

 ニーダムと別れたエレンは、ゴードンと連れ立って、馬型の自動機械人形(オートマタ)の引く辻馬車でピアゲート大通りを北上して、市内(シティ)の中心に位置するテンプル・スクエアへと向かった。

「ミス・エイヴリーは市内(シティ)にお住まいだったんですの?」

 馬車のなかでエレンは意外に思いながら訊ねた。


(オールド)タメシス〉と俗称される市内エリアは、全周1㎞ほどの市壁に囲まれたごく狭い面積ながら、聖ルーク教会と市庁舎(ギルドホール)、海運業組合や毛織物組合といったタメシス市建設以来の伝統ある職業組合の会館に加えて、この頃では多くの金融業者が本社を構える重要な街区で、当然地価も高い。

 貧しい――おそらくは貧しいのだろう――若い女性が独り暮らしをするには珍しい場所といえる。


 エレンの怪訝そうな声音に気付いたのか、向かいの席に座ったゴードンが不本意そうに眉をよせて答える。

「ブリッジゲートの近くにそれほど高価ではない下宿屋があるのですよ。何と言っても若い女性ですからね。安全な場所に住みたかったのでしょう」

「彼女はどういう来歴なのか、詳しいことは御存じですの?」

「いや、それほどは」と、ゴードンが口を濁し、自分自身に言い聞かせるような口調で続けた。「しかし、あの人は良家の令嬢ですよ。生まれ育ちが良いことは一目で分かりました。――たぶん、何らかのご事情でご生家が困窮していたのでしょう。古い知り合いの伝手をたどって家庭教師(ガヴァネス)の口を捜しているのだと話していましたから」

「あら」と、エレンは拍子抜けた。「じゃ、単に良いお仕事が見つかったから転居なさったのでは?」

「それだったら必ずそう知らせてくれるはずです!」と、ゴードンが言い募る。

 エレンは眉をよせた。

「でもねミスター・ゴードン、あなたのミス・エイヴリーが、家庭教師の口を捜している困窮した良家のお嬢さんだったとしたら、新聞に恋愛小説を掲載していたという経歴は、残念ながら決して名誉にはなりませんわよ?」

「そんなことは分かっていますよ」と、ゴードンがうなだれ、厚い掌で麦わら色の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。「だけど、あの人は無責任な人じゃないのです。連載途中の小説を放りだして、何の連絡も寄越さずに姿を消すような、そんな人じゃないはずなのです。それに――……」


「それに?」

 促すとゴードンが顔をあげ、やつれた顔をさっと紅潮させて囁いた。

「実は私、彼女と最後に会ったときに遠回しに求婚しているのです」


「まあ」

 エレンは呆気にとられた。「遠回しって、どういう風に?」

「あなたにはもっとふさわしいお名前があるはずです、と」

「……つまり、その表現でミセス・ゴードンになって欲しいと伝えたおつもりですの?」

「そうです。その通りです」

 ゴードンは力強く頷いた。

 エレンは内心で呆れた。もし、そのミス・エイヴリーが、ゴードンの推測通り困窮した良家の子女で、家庭教師の口を捜すまでのつなぎとして恋愛小説を書いていたのだとしたら、偽名を使っている可能性が高い。



 ――もしそうだった場合、その言い方じゃ殆ど脅しだわ。『お前の正体は分かっているぞ』って。お気の毒なミス・エイヴリーはそのために逃げるように出て行ったのかもしれない……


 

 会話を交わすあいだにも辻馬車は進んでいた。


 じきに窓の外が騒がしくなる。


 市内きっての繁華街であるテンプル・スクエアに着いたようだ。

 エレンとゴードンは広場(スクエア)の手前で辻馬車を降りると、南西のブリッジゲート通りへと向かった。

 名の通りタメシス大橋に面する市門(ゲート)へつづく通りの左右には旅籠や居酒屋が多く、金融街のイメージの強い市内エリアのなかではだいぶ猥雑な風情だ。その大通りをまっすぐ西へ向かい、市門の手前の路地を左へ折れると、袋小路の突き当りの赤煉瓦の壁にアーチ型の門が開いていた。


 扉のない門をくぐった先は小ぢんまりとした方形の中庭で、三方を三階建ての棟が囲んでいる。

 壁と同じく煉瓦敷の中庭は見るからにジメジメとして、四方に掘りこまれた浅い溝から汚水が溢れていた。右手の棟の入り口の階段の下で痩せこけたぶち犬が一頭腹ばいになっている。


「ここですよ」と、ゴードンが何となく傷ましげにいった。「正面のテラスハウスが女性向けの下宿屋なのです」

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