エピローグ
四日後の木曜日――
その日発売された『イラストレイテッド・タメシス・ニュース』には、摂政宮殿の黒い疑惑の記事は載らず、代わりに、『貴婦人諮問魔術師レディ・ジェインの冒険 ――連続ガーゴイル破壊事件の謎』の第一話・第二話が、連載開始サービスとして二話連続で掲載された。
「--なあビル、これ本当に連載しちゃってよかったのかい?」
ドロワー通り331番地の事務所兼下宿の接客スペースで、ニーダムが四つ折り版の紙面に目を通しながら、向かい側に坐ったビル・ゴードンに心配そうに訊ねる。
「この筋立てだと、まずは事前予告は無しでオータムフェアのガーゴイルが破壊されたけど、警視庁は目的が分からなくて困ってこの〈レディ・ジェイン〉に意見を聞きに行くんだよね?」
「ああ」と、ゴードン。
「そうですわね」と、ニーダムの右隣のエレンも答える。
「で、レディ・ジェインは、理由は伏せたまま『次はノースミンスターの聖オーガスタス教会が狙われる』と断言して、夜に独りで犯人捕縛に向かったんだよね?」
「物語上はそうですわね」
「や、ミス・ディグビー、あなたほんとうに独りで向かったじゃないですか」
「わたくしの目的は捕縛じゃありませんわ。敵地への潜入です」
「二人とも、そこは今はどっちでもいいんだよ!」と、ニーダムが焦れたように口を挟む。「結局のところ、あの夜ミス・ディグビーを連れて行ったのは魔術師を密かに私兵にしようとしている『口に出せないほど大物』の宮廷関係者で、ロドニーに密かな恩赦を与えさせていたのもその彼だったのですよね?」
と、ニーダムが今度は明瞭にエレンへと訊ねてくる。
あの夜の行き先が摂政宮殿であったことと、黒幕が王太子妃であったことをエレンは二人には伏せている。
ニーダムが「彼」という表現をしたことにエレンは安堵した。
「ええ。先ほどもお話した通り、その人物はミス・キャサリン・パーシーも保護していらっしゃいます。わたくしは、ロドニーにこれ以上連合国内で法を犯させないことと、ミス・パーシーの生活が保証されることを条件に、わたくし自身の身柄を解放させたのですわ」
「ひとまず痛み分け――といった格好ですね! 引き換えは秘密の厳守だ」と、ゴードンが不本意そうに言う。
するとニーダムがバン、と掌でローテーブルを叩いた。
「そうだよ! 秘密の厳守だ! つまりさ、こんな記事を載せちゃって本当に大丈夫なのかい?」
「何がですの?」
「あなたの身の安全が、ですよ!」と、ニーダムが今にも泣きだしそうな声で叫ぶ。「オータムフェアの教会とノースミンスターの教会にはどちらにも宮殿からの地下道の出入り口があるのかもしれない――というあなたの推測も、秘密厳守の一部なのでしょう? それがこんな記事を掲載してしまって……」
「おいクリス、落ち着け、これは記事じゃない」と、ゴードンが口を挟む。「あくまでも物語だ。ミス・クラリス・エイヴリー作のな」
ゴードンはそこで言葉を切り、眩しいものでも見るように目を細めてつづけた。
「あの人はきっと続きを送ってくれるよ。自分の筆名でサインされた連載小説の続きを放り出すような、そういう無責任な人じゃないんだ」
ゴードンはそこで言葉を切ると、堪えかねたように嗚咽を漏らした。
「おいビル、泣くなよ!」と、ニーダムが慌ててその背を撫でる。「彼女は生きているんだよ。なんにせよ、どこかで安全に生きてはいるんだよ」
エレンはそのさまを眺めながらほろ苦い悲しみを覚えた。
--忘れがたい摂政宮殿での一夜の最後、エレンの着替えを手伝いながらキャサリンは吐き捨てるように言った。
あの男が私を愛している?
冗談じゃないわ。
あの男が気に入ったのは私のうわべだけよ。
私がこんな巻き毛じゃなく、あいつの言うヒヤシンス色の目じゃなく、小柄で色白じゃなく、可愛い顔じゃなかったら、あの男はきっと私のことなんか気にも留めなかったはず。
私はあんな男の愛なんか信じない。
ロドニーだって一緒よ。
あれが私を大事に、大事にしたのは、私が可愛いお嬢様だったから。
あいつらにとって私の価値は可愛いってことだけだったの。
遠からずなくなる若さと可愛さだけが私の価値だった。
でもここでは違う。
安心しなさいエレン・ディグビー。
あなたのことはもう怨んではいないから。
私は妃殿下のために生きるの。
妃殿下の大義のために。
そう言い切るキャサリンの顔は寂しく厳しげだった。
――ねえキャサリン・パーシー。戻ってきなさいよ。戻って、もっと泣いたり笑ったり、わたくしを憎んだりしなさいよ? ミスター・ゴードンは間違いなくあなたを愛しているわ。あなたの巻き毛と、あなたの眸と、あなたの魂を。
その日エレンは祈るように思った。
祈りは二週間後に通じた。
『イラストレイテッド・タメシス・ニュース』に、明らかにキャサリンの筆と分かる文章で、「連続ガーゴイル破壊事件」の真相編が掲載されたのだ。
ガーゴイルはみな同じ工房の作成によるもので、どれかの内部に盗まれた宝石が隠されていた――という筋立てだった。