第二章 フラウ・ハーゲンの下宿屋 1
半時間後――
エレンは手持ちの衣料のなかで最も粗末な灰色と緑の格子縞の木綿のドレスに着替え、秘書兼家政婦のミセス・マディソンから借りた古いボロボロの灰色のボンネットを被って、ニーダムとゴードンと連れ立ってドロワー通りを西へと歩いていた。
時刻はもう真昼だ。
ギラギラと眩い六月の太陽が左手に列なる四階建てのテラスハウスの屋根の上から強烈な光を投げかけている。
石畳の大通りの車道には二対の轍の跡が刻まれ、馬型の自動機械人形の引く箱馬車が、ときいりガラガラと割れ鐘のような騒音を立てながら通り過ぎていく。
じきにドロワー通りがピアゲート大通りと交わる辻まで出れば、北東の一画に、白壁に黒木の柱と窓枠を備えた古風な三階建ての建物が見える。
入り口の脇から突き出す横木に釣り下がる看板は木製の赤い竜だ。
その下に下がった横長の板に金の地で「赤竜亭」と刻まれている。
「ひとまずここで昼食にいたしましょう」
エレンは看板の下で足をとめ、自らのテリトリーで客人をもてなす世慣れた職業人の得意さを味わいながら告げた。
ニーダムが眉をよせる。
「いいんですかミス・ディグビー、あなたみたいな御令嬢が男二人と連れ立って旅籠に入るなんて」
「そのための変装ですわ」
エレンは顎をあげて応じると、薫りの形で表出させた魔力の被膜で全身を覆った。
エレンの魔力の特色である月桂樹と似た爽やかな香りがふわりと立ち上る。
ゴードンが目をぱちくりさせた。
「どうですお二人とも。わたくしどう見えます? あなたたちどちらかの昔の乳母が夫を亡くして田舎から職探しに来たとか、そんな風に見えません?」
「ええと、その――」
ニーダムが言いづらそうに口ごもる。
「見えますね!」と、ゴードンが躊躇いなく賛成した。「いやあ、すごいな。魔術って姿を変えることもできるのですか?」
「姿を変えているわけじゃありませんわ。服装に見合った姿だと錯覚するよう暗示をかけているのです。全体のシルエットなんかは、たぶん同じに見えていると思いますよ?」
「ああほんとだ」と、ニーダムが感心したように頷く。「影の形は変わっていないし、不自然でもありませんね」
当たり前のように言うニーダムの言葉にエレンは感心した。
--ミスター・ニーダムは頭がいいのね。昔は法学院に通っていたと聞くけれど、どうしてやめてしまったのかしら?
〈赤竜亭〉の立ち飲みスペースで揚げジャガイモと魚のフライという定番の軽食をとったあとで、ニーダムは午後の仕事があるからと市内の北のカレドニアン・ヤード通りに面する警視庁へと戻っていった。
「ミスター・ゴードンは午後のお仕事は?」
「今日は大丈夫です。調査に同行させてください」
「それはかまいませんけれど。―-では、まずミス・エイヴリーが契約していた下宿屋に案内してくださいます? もしかしたらその部屋に、他にも何か手がかりが残されている――かもしれません」