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第九章 ひとまずステイルメイト 1

 スタンレー子爵――


 その称号を耳にした瞬間、エレンは文字通り心臓を錐で一突きにされたような痛みに似た衝撃を覚えた。


 連合王国でも指折りに富裕なコーダー伯爵家の嫡男、スタンレー卿エドガー・キャルスメイン・ジュニア。

 エレンにとってその貴族は〈夢の王子様〉だった。

 白いドレスをまとってこの摂政宮殿(リージェンシー・パレス)での夜の大舞踏会に初めて参加する前、故郷の荘園邸や地方の寄宿学校で暮らしながら大都会に憬れていた少女だったころに夢見た理想の王子様――……エドガーはそんな幼い夢の体現であり、今のエレンにとっては、現実に結婚を考える相手では全くなかった。



 --だってそんな現実はわたくしを不幸にするだけだもの。



 首府近郊の富裕な大地主であるセルカークのディグビー家の娘なら、爵位貴族の家系に嫁ぐことは不可能ではない。

 だが、そんな婚姻をした場合、はるかに格下の家から嫁いできた妻は一族中から見下され、軽んじられ続けるはずだ。



 --でも、もし妃殿下の後ろ盾があったら? あの方と人生を共にすることが可能になるのかしら?



 そう思った瞬間、全身がカッと熱くなるのを感じた。



 表情の変化に気付いたのか、公妃(プリンセス)がにやりと微笑む。


「どうだ。悪くない条件だろう?」


「お言葉ながら妃殿下――」

 エレンは内心の動揺を押し隠してどうにか声を絞り出した。「妃殿下はなぜそれほどわたくしをお求めに? 夜会での余興に焔の踊りを見せるためなのですか?」


「いや」

 公妃が首を横に振り、ふと目を逸らして続けた。

「わが故国のためよ」


「故国と申しますと、大陸の、南アルマンのファーデン選帝侯国の?」


「そうだ」

 公妃が顔をあげ、真摯そのものの眼差しでまっすぐにエレンを見あげてきた。

「知っての通り、わが故国ファーデンはアルマン帝国内で最も南に位置する。ルテチアの皇帝僭称者が国境を越えたら初めに侵攻される国だ」

「お言葉ながら妃殿下、ルテチアとアルマンの自然国境たる大河リューンは、古の大魔術師アルクメネスの時代に定められた〈不可侵の誓約〉に含まれているはずです。武装してリューンを渡ろうとした場合、誓約の守護者たる土地精霊(ゲニウス・ロキ)たちが必ず妨げるはず」

「そなたは耳が遅い」と、公妃が不機嫌に断じる。「己らだけで安逸をむさぼるこの島国のすべての政治家どもと同じくな! ――キャサリン、お前から話してやれ」


「はい妃殿下」

 公妃の左後に控える胡桃色の巻き毛の侍女――おそらくはキャサリン・パーシーーーが、恭しく応え、ヒヤシンス色の眸を猫のように細めてエレンを睨みつけながら口を切った。

「聞きなさいセルカークの魔女。ルテチアの皇帝僭称者は魔術師たちを動員して戦場に連れて行っています。その古代からの〈誓約〉とやらが破られるのも時間の問題です。妃殿下は故国ファーデンを御守りになるため、戦える魔術師を集めて大陸へ送ろうと志されているのです」

「それはひいては大陸全土を――西方世界全体の秩序を維持することにもつながるはずです」と、それまで無言で控えていた右側の侍女が言い添える。


「そういうことだ。連合王国が動かぬならば私がやるほかあるまい」

 公妃が重々しく結ぶ。


 キャサリンももう一人の侍女も、崇高な目的に身を捧げる英雄を見るような目つきで公妃を見つめていた。


 ちらっと横目で確かめれば、エレンの右後ろに控えるルイーズも、金属的なブルーの眸をわずかに潤ませ、唇をきっと引き結んで、白い拳を握りしめ、何やら熱に浮かされたような目つきで公妃を見つめているのだった。



「どうだエレン・ディグビー。そなたの力、この大義のために捧げるつもりはないか?」


 公妃が熱のこもった声音で訊ねてくる。

 

 エレンは一瞬、「喜んで」と答えて跪きたい衝動にかられた。


 だが、公妃の左後に立つキャサリン・パーシーの姿がその衝動を辛うじて押さえつけた。


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