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第八章 夜の謁見 2

半時間後――


 エレンは首の詰まった長袖の黒い薄琥珀(タフタ)のドレスにフリル付きの真っ白いエプロン、首の後ろにひらひらした白いサテンのリボンの垂れる装飾的な白いヘッドキャップという夏には少々暑苦しい午後のメイドの正装姿で、窓ひとつない薄暗い狭い廊下を歩いていた。


 前を行くのは蝋燭を手にした深緑のドレスのブロンド美人のルイーズ。

 真後ろを灰色の大尉が続く。


 廊下の床は板張りで、汚れの目立たなそうな青灰色の薄いカーペットが敷いてある。ところどころに飾り気のない燭台があって、短く太く茶色っぽい獣脂蝋燭が微かな異臭を放ちながら焔をあげている。


 摂政宮殿(リージェンシー・パレス)の内部とはにわかに信じがたいほど質素なこの廊下は、常日頃のエレンならどんな大邸宅であれ滅多に足を踏み入れない使用人専用の通路だ。

 大邸宅や宮殿の背後には、目に見えない血管のように、使用人たちの区間が張り巡らされている。


 じきにその廊下を左手に折れると、すぐ前に急な階段が現れた。

 上部に扉がある。

「大尉、あなたは下までです」

 ルイーズが有無を言わさぬ口調で告げると、サラサラとした衣擦れの音だけを立てて滑るように階段を上り、腰帯に吊るした鍵束を探って扉の鍵を開けた。

「入りなさい」と、メイド姿のエレンに命じる。


 

 細く開いた扉の向こうに足を踏み入れるなり、長く柔らかな絨毯の毛足にフカリと靴が沈んだ。

 ペールブルーの柔らかな厚手の絨毯だ。

 白い柱と青い壁。

 壁の二か所から黄金色に輝く三枝の燭台が突き出して、絨毯と同じ淡いブルーに染められたほっそりとした蜜蝋燭が焔をあげている。


 宮殿(パレス)の表舞台に出たようだ。


 

 室内はそう広くはなかった。

 どうやら控えの間らしい。

 右手の柱のあいだに両開きの扉がある。

 ルイーズが扉の前へと進んで、キムリー公の公紋章を象った黄金細工のノッカーを丁重な手つきで鳴らす。

 すると音もなく内側から扉が開いた。

 同時にルイーズがスカートをつまみあげ、片足を後ろに引き、片足を折り曲げて頭の位置を低めた。

妃殿下(ハー・ハイネス)がお召しの者を連れてまいりました」



 ――え、妃殿下?


 

 ルイーズの後ろでエレンが意外に思ったとき、


「そうか。入れルイーズ」


 室内から低く静かな女声が答えた。


 サラサラと衣擦れの音を立ててルイーズが扉の先へと進む。


 エレンも慌ててその背を追った。


 扉の先はやたらと明るかった。

 天井から黄金細工の二重の環状のシャンデリアが下がって、無数のペールブルーの蝋燭が焔をあげているのだ。

 その眩い火明かりの環の下に猫脚の長椅子が据えられ、目が覚めるほど鮮やかなブルーのドレスの裾を広げた大柄な貴婦人(レディ)が腰掛けていた。

 齢の頃は四十歳前後か、髪は暗いブロンドで眸はブラウンだ。

 やや肥り肉で二重顎になりかけているために一瞬分からなかったが、エレンはすぐにその顔が誰のものかに気付いた。


 プリンセス・オヴ・キムリー。

 摂政公妃アマーリエ・フォン・ファーデン殿下だ。



 

 公妃の後ろには二人の侍女が控えていた。

 右手の一方は濃い赤のドレスで、ルイーズとよく似た長身ブロンドの美人だ。

 居室の色調をブルーで揃えるように、妃殿下は侍女をこのタイプの美人で揃えている……のかもしれない。

 しかし、左手の一方はタイプが違った。

 背丈はどちらかというと小柄で、丸顔で可愛らしいタイプだ。

 くるくると縮れた胡桃色の巻き毛にラヴェンダー色のドレスがよく似合っている。

 愛らしい陶器人形みたいな侍女は、なぜかひどく剣呑な目つきでエレンを睨みつけていた。警戒のために全身の毛を逆立てる仔猫のようだ。


 その眸は紫がかった明るいブルーだった。


 春のヒヤシンス色だ。


 そこまで気づいたとき、エレンははっとした。



 --もしかして、この()が?



 そのとき、


「そなたがエレン・ディグビーか?」

 公妃が静かに訊ねた。


 エレンははっとわれに返った。

 

 目の前の貴女が興味深そうな目つきでこちらを眺めていた。

 完全なる上位者の視線――人間が犬か馬を見るような、いっそ家具でも見定めるような余裕に充ちた視線だ。

 その視線に眺められた途端、エレンは全身を緊張に強張らせていた十八歳のデビュタントの心に引き戻されてしまった。

 妃殿下だ。

 目の前にいるのは本物の王太子妃殿下なのだ。


 思うなり全身が震える。

 ルイーズが目だけで応えるようにと促してくる。

 エレンは乾いた唇を舐めると、必死で心を落ち着かせながら、メイド服のスカートをつまんで持ち上げ、片足を引き、片足を折り曲げて正式の膝折礼(カーテシー)の姿勢をとりながら名乗った。

「はい妃殿下。セルカークのエレン・ディグビーと申します」

「ほほう」

 妃殿下が興味深そうに応じ、しばらくジロジロとエレンの全身を眺めまわしたあとで、不意に頷いたかと思うと命じてきた。

「そなた魔術師なのだろう? なにか技を見せてみろ」

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