第七章 最強の駒 3
「こちらだ。ついてこい」
灰色の大尉が窓の燈火を右手にして迷いのない足取りでどこかへ歩いてゆく。
エレンの後ろを、カンテラを手にしたもう一人の部下が続く。
夜の摂政宮殿には要所要所に大尉たちと同じ黒い軍服の近衛兵がマスケット銃を杖のように構えて警備に立っていた。
みな大尉を見ると敬礼はするものの、けばけばしく着飾ったエレンを見ても眉ひとつ動かさない。
やがて先導者は低い柘植の生垣のあいだの小径を抜けて、月明かりにぼんやりと浮かび上がる白亜の小堂の前へと出た。
正面に三段の階段のある尖り屋根の小さな建物だ。
頂に金色の十字架が輝いている。
「ノートン、女に目隠しを」
「はい大尉。―-失礼お嬢さん」
後ろをずっとついてきていた部下が、カンテラを大尉に渡すと、どこからか取り出した黒天鵞絨の布をエレンの顔の上半分にきつく結びつけた。
「大丈夫? 痛くない?」
「ええ大丈夫よ。お気遣いありがとう」
答えながら、エレンは怖れと緊張に胸が高鳴るのを感じた。
――巻き毛の髷の真ん中には、大事な証拠物件である〈分離〉羊皮紙の筒が挿しこんであるのだ。
「ショールを外せ。両手を上にあげさせろ」
大尉が冷ややかに命じる。
「ごめんね、ちょっと我慢して」
若いノートンが気の毒そうに耳元で囁くなり、肩を覆うショールをむしり取った。
エレンは強いられる前に自分で両腕を上にあげた。
「王室騎兵隊の将校が、紳士的な振舞ですこと!」
精一杯の皮肉にも特にかえってくる言葉はない。
代わりに、硬く武骨な男の手が、体中をゆっくりと撫でまわすのが分かった。
わき腹から腰のあたりを掌が動くのを感じたとき、エレンはあまりのおぞましさに目隠しの下でぎゅっと目をつぶってしまった。
と、思いもかけず掌が離れて、耳のすぐ近くで聞こえていた男の吐息がすっと離れてゆくのが分かった。
「――すまない。続きの検めはだれかご婦人にお願いしよう」
意外にも大尉が本当に申し訳なさそうに言うと、ノートンがはーッとため息をつくのが分かった。
「当然ですよ大尉。可哀そうに、お嬢さんは今にも泣きそうじゃありませんか」
「そういう娘には見えなかったのだ」
大尉は気まずそうに応えると、ほんの少し丁寧な口調で、
「失礼、手を引くぞ」
と、告げるなり、エレンの右手を雑に掴んで歩き始めた。
ぐるぐると無意味に――おそらくは無意味に――あたりを歩き回ってから、どこか階段のようなところを登り始める。
歩きながらずっと今自分がどちらを向いているのか記憶していたエレンは内心でほくそえんだ。方角をごまかそうとしたようだが、結果としては結局一回りしただけだ。
つまり、この場所はまだあの小礼拝堂の前。今登っているのは礼拝堂の入り口の前の階段だ。
扉が開く音は聞こえなかった――エレンたちが歩いているあいだに、ノートンがあらかじめ開けておいたのかもしれない。
階段を上りきれば、足元が滑らかな石張りの床になるのが分かった。
靴音の反響の大きさからしてごく狭い室内だ。
間違いなく礼拝堂の中だ。
--ここで待機……なのかしら?
戸惑いながらも手を引かれるままに歩いていたとき、
「降りるぞ。気をつけろ」
前を行く大尉が思いもかけない言葉を囁いた。
――え? 降りる?
では、ここは礼拝堂の内部ではないのだろうか?
戸惑いながら踏み出した足の先がふわりと浮く。
下り階段が始まっているのだ。
エレンはあると信じていた地面が不意に消えてしまったような不安を感じた。
――どういうこと? ここはどこ? わたくしはどこに下ろうとしているの――……
そこまで考えたところでハッと気づく。
地下通路だ。
間違いない。
この小礼拝堂は地下通路の入り口なのだ。
そう気づいた瞬間、頭の中に答えが閃いた。
二つの教会の共通点もおそらくはそれだ。
オータムフェアの聖ステファノス教会とノースミンスターの聖オーガスタス教会。
前者はこの摂政宮殿に近く、後者はノースミンスター宮殿に近い。
どちらも普段は無人の、旧い小さな目立たない街中の教会――あの二つの教会は、おそらくどちらも王室が秘密にしている地下通路の出入り口になっているのだ。