第七章 最強の駒 2
暗い想像に沈むあいだにも護送馬車は進んでいた。
じきに車体がガタリと停まる。
ついに目的地についたのかと闇の中で身構えたとき、右手の扉が不意に開いて、目が痛いほど眩いランタンの明かりが射しこんできた。
思わず右腕を目の前にかざしたとき、
「――見ての通り、乗せているのはこの女だけだ」
灰色の大尉の冷ややかな声が誰かに告げるのが分かった。
「ははあ」
と、ランタンの後ろから若そうな男の声が答える。
何となく面白がっているような声だ。
「大した別嬪さんだ。大尉殿、こちらの〈お嬢さん〉を密かにお運びするのが殿下の密命なので?」
「ノーコメントだ」
「王室騎兵隊の将校さんも大変ですねえ」
揶揄うような声で応じる男は青い帽子を被っていた。
エレンはハッとした。
この男は勤務中の巡査だ。
巡査が逐一馬車を停めて車内を検めているということは、この場所はおそらく――
――オータムフェア?
思った瞬間、外から扉が閉められて車内が闇に戻った。
間髪入れずに馬車が動き出す。
巡査は内部の検めは殆ど行わなかった。
エレンは確信した。
この馬車の行き先は摂政宮殿だ。
想像した以上の大物が背後に控えていたようだ。
馬車はそのあともう一度停まり、滑らかな路上をしばらく直進した。
おそらくはもう宮殿の中なのだろう。これから対峙する相手を思い浮かべてエレンは全身に微かな震えが走るのを感じた。
放埓で有名な摂政王太子マクシミリアン殿下。
殿下は今フレイザー城にいるはずだが――……実は密かに残って、父王不在のタメシスの夜に、王室騎兵隊を使って陰謀を巡らせているというのだろうか?
――スチュアード卿がお止めになったのも無理はないわ。一介の諮問魔術師が向き合うには相手が大きすぎる。
エレンは自分が巨大な風車相手に槍一本で戦いを挑む無謀な道化になったような心もとなさを覚えた。
やがてまた馬車が停まった。
「降りろ」
鋭い声とともに扉が外から開く。
「大尉、あなた命令形でしか言葉を発せないの?」
苛立ち交じりに毒づきながらステップを踏んで馬車を降りるなり、右手から射す無数の火明かりの眩さが視界を焼いた。
振り仰げば、その向きに、数層に重なる垂直の星空のような燈火の群れがみえた。
摂政宮殿の窓の燈だ。
エレンはずっと昔に一度だけ、この宮殿の大舞踏会に参加したことがあった。
「懐かしいわ」
「来たことがあるのか?」
「十八の夏にね。ノースミンスターに伺候できる身分ではないから、わたくしの社交界デビューはここでの舞踏会だったの」
緊張のためか思わず素の口調で答えてしまうと、灰色の大尉がわずかに目を見開くのが分かった。エレンは意外に思った。
今の変装からは意外な台詞だろうが、首府近郊の富裕な大地主の娘の思い出話としてはそんなに驚くほどのことでもないはずだ。
――じゃ、この大尉、わたくしが何者か本当に知らないのかしら?