第一章 消えた恋愛作家 2
「え? ああ、そうですよ」と、話を中座されたゴードンが不本意そうに頷く。「先週の木曜日、六月十三日のことです。先ほどもお話したとおり、ミス・エイヴリーは毎週水曜日の午後二時に事務所に原稿を届けに来ていたのです」
「でも十二日にはいらっしゃらなかったのですよね?」
「そうなのです」と、ゴードンが沈鬱な顔で頷く。「連載中の小説はもともと一話分先取りで貰っていますから、すぐに困ることはないのですが――何の知らせも寄越さずに約束の時間に来ないなど、三か月のあいだで初めてでしたから、彼女に何かあったのではと心配になったのです」
「それで翌日彼女の部屋を訪ねたんだね?」と、ニーダム。
「そうなんだ。そうしたら、下宿屋の女将が、ミス・エイヴリーは先週急に部屋を解約して出て行ってしまったって言うんだ。それで、ゴードン&モリソン出版社の宛書と六月六日の日付の入った封筒を渡してくれたんだ」
「その中身がこの原稿――というわけですね?」
エレンが慎重に訊ねると、ゴードンは力強く頷いた。
「ええミス・ディグビー。愕いたでしょう・」
「今のお話を伺って改めて驚きました」
「――すみませんミス・ディグビー、何を愕いていらっしゃるのか僕にも教えてくださいますか?」と、ニーダムが控えめに申しでる。
エレンはゴードンの表情を横目で確かめてから、繊細な筆跡で書かれた原稿の束をニーダムに手渡した。
「お読みになれば分かりますわ」
ニーダムが原稿を受け取ってざっと視線を走らせる。
そしてたちまち淡碧の眸を大きく見張って、分かりやすい驚きの表情を浮かべた。
「え、嘘だろビル。これを先週受け取ったの?」
「そうなんだよクリス。間違いなく先週受け取ったんだ」
「そしてまだ新聞に掲載はしていない?」
「ええミス・ディグビー。掲載どころか私以外の誰も読んでいませんよ!」
「それじゃ、どうしてこんなことが」と、ニーダムが呆気にとられた表情のまま呟く。「だってこのオータムフェアでのガーゴイルの破壊事件って、三日前の日曜日に本当に起こった通りじゃないか」
「そうなんだよ。信じがたいことに」と、ゴードンが沈鬱な顔で頷き、縋るような目つきをエレンに向けてきた。
「ミス・ディグビー、これはどういうことだと思います? まだ起こっていない未来の事件を知るなんてことは、魔術なら出来ることなんでしょうか?」
「未来視、千里眼といった能力ですね」と、エレンは職業的な冷静さを取り繕って応えた。「残念ながら、そういった特殊能力は、わたくしどもの属する古典四代元素派の魔術師のなかでは存在するとは考えられていません」
「それじゃ、彼女はどうしてオータムフェアの事件を起こる前に知っていたのです?」
「逆に考えたらいかがです? つまり、何者かが彼女の書いた原稿を模倣して事件を起こしたと」
「でも、この原稿は先週の木曜日からずっと私の手元にあったのです!」と、ゴードンが言い募る。「私以外に内容を知っている人間がいるとしたら、あとはもう彼女自身しか――」
そこまで口にしたところでゴードンが深く項垂れてしまう。
ここに至って、エレンはようやく依頼人が警視庁に報せることをためらう理由に思い至った。
「つまりミスター・ゴードン、あなたはそれが怖ろしいのですね? ことのあらましを警視庁に通報したら、失踪なさったミス・エイヴリーが、あのガーゴイル破壊事件の容疑者として疑われるのではないかということが」
「――その通りです」
ゴードンは沈鬱に応え、やおら顔をあげると、両手を胸の前で組み合わせて祈るような姿勢で頼んできた。
「ですからミス・ディグビー、あなたにお願いしたいのです。どうか、どうか彼女の行方を見つけてください……!」
「ミス・ディグビー。僕からもお願いします」と、仲介者のニーダムが言い添える。「このビル・ゴードンは古い友人なのです。僕もできるかぎり私的にお手伝いさせてください」
そう頼み込むニーダムの童顔はいつものように真摯で誠実そうだった。
エレンは諦めて頷いた。
「分かりましたわ。できるかぎり尽力いたしましょう」