第六章 深夜の捕縛劇 1
さて、予知、あるいは予告された六月三十日の夕刻である。
エレンはノースミンスター地区の片隅の安宿の一室で、解いた長いストロベリーブロンドを熱い鏝に巻き付けて、かつてないほど細かく縮れた巻き毛を拵えようとしていた。
腰かけているのは三本しかない脚の高さの揃わない木製のスツール。
白い塗装の剥げかけた古ぼけた猫脚の化粧台の上に蝋燭が一本だけ灯って、縁のひび割れた楕円形の鏡のなかに、濃い化粧を施した女の顔を浮かび上がらせている。
体に悪いと評判の鉛入りの白粉をたっぷりと塗り、眉を細く整え、唇を真っ赤に塗り立てた女の貌――それはもちろん鏡に向き合うエレン自身の顔だ。
木製の取手のついた細い鏝を外すと、その白い人形みたいな顔の右側に、くるくる縮れた赤い巻き毛の房が零れるように滑り降りた。
熱された髪が首の皮膚に当たって熱い。
鏝に熱をいれるために暖炉に火をいれているせいで、狭い室内そのものもむっとするほどの熱さだった。
あまりの熱さに耐えかねて開けた左手の窓の隙間から、馬糞と汚水と煤煙の入り混じったタメシスの市街地特有の臭気が、生ぬるい夕の風とともに流れこんでくる。
もともとは王宮ながら今はもっぱら国会議事堂として用いられているノースミンスター宮殿と王家の墓所でありタメシス主教の座所であるノースミンスター寺院の存在するこの街区には、官邸や役所や議員たちの邸宅といった警備の厳重な建物と、今エレンがいるようなごみごみとした安宿のたぐいが無秩序に入り混じっている。
ノースミンスター地区の光と影だ。
先日ニーダムが調べたところによると、例の予知だか予告だかに現れた「聖オーガスタス教会」は、ノースミンスターの影の部分たる貧民街にあった。
市域の貧民街にはよくあるように牧師の常駐しない空き教会で、日曜の礼拝はノースミンスター寺院所属の若手の助祭が持ち回りの巡回で担当しているのだという。
――二週間前にガーゴイルが破壊されたオータムフェア地区の聖ステファヌス教会も似たような条件だったわね……
こちらの情報源はエドガーだ。
暖炉の炭火で熱を入れ直した鏝に薄紙を巻き、火傷しないように気をつけながら顔の右側の髪をくるくると巻き付けながら、エレンは二つの教会の関連性が他に何かないかと考えを巡らせていた。
――オータムフェアの事件を担当した諮問魔術師によれば、あちらのガーゴイルそのものに魔術的な仕組みは施されていなかったという話だわ。ノースミンスターのガーゴイルのほうも、わたくしが目視した限りでは、秘かに自動機械人形とされているといった細工は感じられなかった――……そうなると、問題は教会そのものにあるはず――……
考え事をしながら髪を巻く内に時間が立ちすぎてしまった。
微かに焦げ臭いにおいを感じて慌てて鏝を外す。
あと一歩で焼ける寸前まで熱されてしまったストロベリーブロンドが、螺子みたいに細かい巻き毛になって顔の左側に零れ落ちる。
「熱っ!」
エレンは思わず声をあげ、無意識に魔力を表出させて首の表面を淡金色の被膜で覆った。
その瞬間、こういうときにはいつも右の肩にとまっているはずの火蜥蜴のことが思い出された。