第五章 第二の予知 4
「――一度知覚した魔力の特色は忘れませんわ。いやしくも魔術師を名乗る以上はね。少々お待ちになって。すぐに現物を持ってまいりますから」
なんとも言えない苛立たしさに駆られるまま、エレンは寝室に引っ込むと、書き物机の引出しの鍵をあけて、愛用のワインレッドの革製の書類挟みをとりだした。
そして再び接客スペースに戻って、興味と不信のないまぜになった表情で凝視してくるゴードンの目の前で〈分離〉羊皮紙をとりだす。
その瞬間、エレンは自分の目を疑った。
朝に確認したときには白紙だったはずの象牙色の紙面に、見覚えのあるブルーブラックの筆跡で、流麗な文章がびっしりと書き連ねてあったのだ。
「これは……」
「ミス・ディグビー、どうしました?」
ニーダムが心配そうに訊ねる。
エレンは黙って文面をニーダムとゴードンに示した。
途端、ゴードンが零れんばかりに目を瞠って呟く。
「彼女の筆跡だ……」
「ミス・エイウリーの? 間違いありませんの?」
「連載小説をお願いしていた作家の筆跡は忘れませんよ、いやしくも出版者を名乗る以上はね! 見せてください、あの人の書いた文章なら、俺は読めば分かるから!」
ゴードンが噛みつくように応えて、エレンの手から〈分離〉羊皮紙を奪い取るなり、前のめりになって熱心に視線を走らせ始めた。
ものすごいスピードである。
「おいビル、待てよ、僕たちにも読ませろってば」
「……ミスター・ゴードン、よろしければ音読していただけます?」
エレンが諦めまじりに頼むと、ゴードンがちらっと顔をあげ、忌々しそうに舌打ちをしてから、文面の音読にかかった。
そこにはこんな文章が記されていた。
「……――六月三十日の深夜である。
街路は闇に沈んでいた。夜空に雲が流れて、切れ目からときおり乳白色の月光が射してくる。その薄暗い道を、レディ・ジェインはたった独りで歩いていた。レディの足元を照らすのは、いつも彼女に付き添っているあの青白い鬼火だ。ゆらゆらと揺れる蒼褪めた光のなかを、黒いブーツの尖ったつま先が歩んでゆく。
やがて彼女は大通りから一本横道に入って、目指す教会の境内へと至った。
ノースミンスター地区の聖オーガスタス教会だ。
レディ・ジェインは境内の手前で足を止め、挑むように夜空を見上げて呟いた。『さあ、いよいよ今夜ですわ――……」
思いっきり女性的な台詞の部分でゴードンが言葉に詰まる。
エレンはその隙に口を挟んだ。
「……それ、このあいだのお話の続きですよね?」
「どうやらそのようです」
ゴードンが頷く。
「確実にミス・エイヴリーの文章かい?」と、ニーダム。
「間違いない。俺の首をかけてもいい」
「……六月三十日って、次の日曜日ですわよね?」
「ええ」
「ノースミンスター地区の聖オーガスタス教会というのは本当にあるのかしら?」
「それはすぐ調べてみますよ」と、ニーダムが請け合う。「このレディ・ジェインというのは、どう読んでもやっぱりミス・ディグビーがモデル……ですよね?」
「わたくしにしては少々階級が高いようですけれど」
「そこは間違いないだろう」と、ゴードンが頷く。
「前回の場合は、ミスター・ゴードンが受け取った原稿通りの事件が、描かれてある通り、六月十六日の日曜日にオータムフェア地区の教会で起こったのですよね?」
「ええ」
「そうなると、これもそういう予知なのかな? 六月三十日に聖オーガスタス教会で何か起こるんだろうか?」
「その可能性は高い……気がしますわね。ここに記されている通りの事件を何者かが敢えて起こそうとしているなら、予知と言うよりむしろ単なる事件予告でしょうけれど――……」
エレンは考えこみながら応えた。
と、ニーダムがわずかに眉をあげ、淡碧の眸にありありとした懸念を湛えてエレンの顔を覗き込んできた。
「ねえミス・ディグビー、お願いですから、書いてある通りの行動を再現しようなんて考えないでくださいね? あなたみたいな御令嬢が、夜の道をたった独りで歩こうなんて考えないでくださいよ?」
「お言葉ですけれどミスター・ニーダム、わたくしは魔術師ですよ?」
その日何度目になるのか分からない苛立ちに突き動かされるまま答えると、ニーダムが哀しそうな顔をした。
エレンは後悔した。
――昨日からわたくしはちょっと変だわ。スタンレー卿のこともミスター・ニーダムのことも、腹立ちまぎれに爪を立てるみたいに、やたらと傷つけている気がする……